おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

地獄の黙示録

2019-07-10 09:08:39 | 映画
「地獄の黙示録」 1979年 アメリカ


監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 マーロン・ブランド
   マーティン・シーン
   デニス・ホッパー
   ロバート・デュヴァル
   フレデリック・フォレスト
   アルバート・ホール
   サム・ボトムズ
   ラリー・フィッシュバーン
   G・D・スプラドリン
   ハリソン・フォード
   スコット・グレン

ストーリー
ベトナム戦争中期。
陸軍空挺士官のウィラード大尉は、妻と離婚してまで再び戦場に戻ってきた。
彼はMACV-SOGの一員として、CIAによる敵要人暗殺の秘密作戦に従事してきた古参兵だった。
その実績を買われ、サイゴンのホテルに滞在中、軍上層部に呼び出される。
そこで彼は、元グリーンベレー隊長のカーツ大佐の暗殺指令を受ける。
カーツは軍の命令を無視して暴走、カンボジアのジャングルの中に独立王国を築いていた。
ウィラードは海軍の河川哨戒艇に乗り込み、乗組員に目的地を知らせぬまま大河を遡行する。
ウィラードは道すがら、カーツの資料から彼の思想を読み取ろうとする。
そして一行は戦争の狂気を目の当たりにする。
サーフィンをするためにベトコンの前哨基地を襲撃する陸軍ヘリ部隊の司令官、ジャングルに突如として出現したプレイメイトのステージ、指揮官抜きで戦い続ける最前線の兵士、そして麻薬に溺れ、正気を失ってゆく哨戒艇の若い乗組員たち。
やがてカーツの王国に近づくにつれて、ウィラード自身も少しずつ心の平衡を保てなくなってゆく。
哨戒艇の乗組員を何人も失いながらも、何とか王国にたどり着いたウィラード。
彼は王国の支配者カーツと邂逅し、その思想や言動に動揺する。
一時は監禁されたものの、改めて自由を与えられたウィラードは、水牛を生贄にする祭りの夜にカーツの暗殺を決行する。


寸評
コッポラが私財をなげうってまで完成させた映画で、コッポラは「ゴッド・ファーザー」で財をなして、この作品で財を失ったと言われている。
それほどハチャメチャな作品である。
手元にある映画チラシには「この世ならぬ2時間半の旅は、あなたの脳裏に永遠に残る!」とか、「過言ではない!まさに世紀の巨篇」や「あなたは6人目の同乗者!」などのうたい文句が並べられており、びっくりマーク(!)が躍っている。
大金をつぎ込んだ挙句のハチャメチャさがどこにあるのかと言えば、2時間半に及ぶ長尺であることや、狂気と混乱を象徴させる多くのエピソードの果てに迎える観念的な終幕などもあるが、何よりも戦争をまるでお祭り騒ぎのような酔っぱらい的バカ騒ぎで描いたことによると思う。
 石油を大量に撒き散らしたようにしてジャングルを一気に焼き払うという、ベトナム戦争のために開発されたナパーム弾をこれでもかとまき散らしている。
 キルゴア中佐は戦争よりもサーフィンに夢中で、花形サーファーのランスを見つけると狂喜し、サーフィンにいい波が来ているという理由でヘリコプターの大編隊を組んでその漁村を襲撃する。流れる曲はワグナーの交響曲で、この映像と音による一大スペクタクルには圧倒されるが、監督(製作者)の道楽もここまで来たかの感を思わずにはいられない。
戦争は拡大再生産ができない究極の浪費だと思うが、それに負けず劣らずの浪費であり、貧乏人の私が無駄使いの時に感じる恍惚感を感じながら撮っていたのでないかと思わせる。
 陶酔のためのバカ騒ぎは、プレイボーイのウサギちゃんマークが描かれたヘリコプターに乗って米軍兵士の慰問に訪れた「ミス・バニー」のショー・タイムなど枚挙にいとまがない。
それがまた、とんでもないショーであり、とんでもない装置と演出で、興奮のあまりギラついた兵士たちがステージになだれ込んだために、彼女達は逃げるように飛び去っていく。
大金がいくらあっても足りない自己陶酔的バカ騒ぎで、ハチャメチャも極めリだ。

この映画を反戦映画と呼ぶには少し抵抗が有る。あえて言えば、反戦風な映画である。
アメリカの自由に対する懐の深さは、このような反戦風的ハチャメチャ映画を受け入れるところだ。
1960年代のベトナム戦争下のジャングルを舞台に、アメリカ軍将校暗殺を命じられた大尉が目撃する戦争の狂気を描いてはいるが、狂気だったのは間違いなくコッポラ監督自身で有ったと思わせる作品だ。

僕の本棚には2002年3月1日に発売された立花隆氏の "解読 「地獄の黙示録」" なる書物が鎮座している。
これは2002年2月に公開された「特別完全版」について書かれたもので、氏は「この映画は映画史上最も特異的に面白い作品で世界文学に匹敵する作品だ」と記している。
一冊の本が書かれるほどで、解読などというタイトルが似つかわしい作品でもある。
僕は特異的だとは思うが、それ以上の評価を持ち合わせていない。
というのも、この作品の記憶としては、所々の印象的なシーンと、あまりにもハチャメチャすぎる全体的イメージしか残っていないからだ。
しかしながら、その強烈なイメージを残したということで言えば映画史に残る名作なのかも知れない。