「十三人の刺客」 2010年 日本
監督 三池崇史
出演 役所広司 山田孝之 伊勢谷友介
沢村一樹 古田新太 高岡蒼甫
窪田正孝 伊原剛志 松方弘樹
吹石一恵 谷村美月 斎藤工
内野聖陽 岸部一徳 平幹二朗
松本幸四郎 稲垣吾郎 市村正親
ストーリー
江戸時代末期。明石藩江戸家老・間宮が、老中・土井家の門前で切腹自害した。
間宮の死は、生来の残虐な性質で罪なき民衆に不条理な殺戮を繰り返す、明石藩主・松平斉韶の暴君ぶりを訴えるものだった。
斉韶は将軍の弟で、明年には老中への就任が決まっているが、この事件は時の幕閣を動揺させる。
このままでは幕府、ひいては国の存亡に関わると判断した土井は斉韶暗殺を決断、御目付役・島田新左衛門にその命を下した。
大事決行を控え、新左衛門は刺客集めに奔走。
御徒目付組頭・倉永、剣豪浪人・平山、酒と女と博打に溺れる新左衛門の甥・新六郎など十一人の強者たちが新左衛門の元に集う。
暗殺計画は極秘裏に進められていたが、斉韶の腹心・鬼頭半兵衛はその情報を掴む。
かつて新左衛門と剣の同門でありながらも道を違え、御用人千石の身分を自分で掴んだ傑物である。
新左衛門は、斉韶を襲うのは、江戸から明石への参勤交代の帰国の道中しかないと判断。
襲撃場所を交通の要所の落合宿に決める。
斉韶を落合宿に誘い込むため新左衛門は事の詳細を、かつて自分の息子と嫁を斉韶に殺された尾張藩の木曽上松御陣屋詰・牧野靭負に打ち明け協力を求めた。
刺客たちは現地へ急行し、明石藩を迎え撃つ要塞へと落合宿を改造する。
道中、山の民・木賀小弥太がこの計画に加わり、落合宿にて総勢十三人の刺客が揃う。
しかし、明石藩の一行は待てども待てども落合宿にやって来ない・・・。
寸評
1963年の工藤栄一監督作品のリメイクだが、旧作は白塗りのチャンバラ映画から任侠映画や実録路線に移行する過程で生まれた集団抗争時代劇として登場した。
特に工藤栄一の活躍は素晴らしく1964年にはこれまた傑作の「大殺陣」を撮り、1967年には「十一人の侍」を撮っている。
これらが登場した背景には60年安保闘争の影響が有るのかもしれないが、まだガキだった私はそのテーマ性よりもラストの死闘シーンの迫力に手に汗を握り息を止めて見入った記憶が有る。
今回はカラー化されていることもあってその効果は倍増している。
ただし全体的な構成は旧作品の方が優れていると思うし、政治に翻弄されて殺人鬼と化していく侍たちの悲哀が出ていたと思う。
冒頭に「原爆が投下される100年前……」というようなテロップが出るが特別な意味はなく、何のためのテロップだったのかと思ってしまう。
武士という階級の虚しさや、民衆をないがしろにする暴君への批判などもあるが、メッセージ性は少なく、その分エンターティメントとしては見応え十分としている。
ラストの刺し違える相手が前作と違っているが、この相手は旧作通りにしておいた方が良かったのではないか?
明石藩主松平斉韶の非道ぶりは本作品の方が徹底して描かれており、特に斉韶の食事シーンなどを見せられると、これは発狂しているのではないかとさえ思わされる。
その松平斉韶を稲垣吾郎が怪演(熱演)していてジャニーズ事務所がよくOKしたものだと思う。
観客を刺客たちに感情移入させる功労者として立派だった。
島田新左衛門の慎重さと鬼頭半兵衛の知恵比べを描く渡しの場面が無く、代わりに待ち伏せで浪人に襲わせるシーンが挿入されているが、これもエンタテインメントとしての見ごたえをアップする為だったのかもしれない。
その意味では落合宿庄屋の三州屋徳兵衛や木賀小弥太などが狂言回し的に使われていて、笑わせるシーンなどもいれてサービス精神旺盛である。
平幹二郎、松方弘樹などの大芝居的な演技も彩りを添える。
吹石一恵をどうして二役で使ったのかなあ?
身分と育ちの違う新六郎と小弥太の女性に対する想いを関連付けたかったのかなあ?
それにしても「本当の戦いはこんなだったのか?面白いのお~」は、うがった見方かもしれないが昨今の中国との緊張に右往左往して、平和ボケしていた現在の私たちとリンクして何だかアジテーションの様な気がした。
少々長すぎるラストの戦闘シーンも、斬っても斬っても現れる敵を実感させて、久しぶりにセットの見事さを体感させてもらった。
なにせこの乱闘シーンは50分にわたるもので、主君側の300人近くを島田たちがわずか13人でやっつける。
劣勢をひっくり返すために、あっ と驚く奇襲作戦が次々に登場する。
奮闘むなしく死んでいく刺客たち一人ひとりに見せ場を用意しているのでその長さになっているのだが、ここまで長いとちょっと間延び感が出てくる。
しかしまあエンタテインメントだけを追求した作品としては十分に面白い映画になっていた。
監督 三池崇史
出演 役所広司 山田孝之 伊勢谷友介
沢村一樹 古田新太 高岡蒼甫
窪田正孝 伊原剛志 松方弘樹
吹石一恵 谷村美月 斎藤工
内野聖陽 岸部一徳 平幹二朗
松本幸四郎 稲垣吾郎 市村正親
ストーリー
江戸時代末期。明石藩江戸家老・間宮が、老中・土井家の門前で切腹自害した。
間宮の死は、生来の残虐な性質で罪なき民衆に不条理な殺戮を繰り返す、明石藩主・松平斉韶の暴君ぶりを訴えるものだった。
斉韶は将軍の弟で、明年には老中への就任が決まっているが、この事件は時の幕閣を動揺させる。
このままでは幕府、ひいては国の存亡に関わると判断した土井は斉韶暗殺を決断、御目付役・島田新左衛門にその命を下した。
大事決行を控え、新左衛門は刺客集めに奔走。
御徒目付組頭・倉永、剣豪浪人・平山、酒と女と博打に溺れる新左衛門の甥・新六郎など十一人の強者たちが新左衛門の元に集う。
暗殺計画は極秘裏に進められていたが、斉韶の腹心・鬼頭半兵衛はその情報を掴む。
かつて新左衛門と剣の同門でありながらも道を違え、御用人千石の身分を自分で掴んだ傑物である。
新左衛門は、斉韶を襲うのは、江戸から明石への参勤交代の帰国の道中しかないと判断。
襲撃場所を交通の要所の落合宿に決める。
斉韶を落合宿に誘い込むため新左衛門は事の詳細を、かつて自分の息子と嫁を斉韶に殺された尾張藩の木曽上松御陣屋詰・牧野靭負に打ち明け協力を求めた。
刺客たちは現地へ急行し、明石藩を迎え撃つ要塞へと落合宿を改造する。
道中、山の民・木賀小弥太がこの計画に加わり、落合宿にて総勢十三人の刺客が揃う。
しかし、明石藩の一行は待てども待てども落合宿にやって来ない・・・。
寸評
1963年の工藤栄一監督作品のリメイクだが、旧作は白塗りのチャンバラ映画から任侠映画や実録路線に移行する過程で生まれた集団抗争時代劇として登場した。
特に工藤栄一の活躍は素晴らしく1964年にはこれまた傑作の「大殺陣」を撮り、1967年には「十一人の侍」を撮っている。
これらが登場した背景には60年安保闘争の影響が有るのかもしれないが、まだガキだった私はそのテーマ性よりもラストの死闘シーンの迫力に手に汗を握り息を止めて見入った記憶が有る。
今回はカラー化されていることもあってその効果は倍増している。
ただし全体的な構成は旧作品の方が優れていると思うし、政治に翻弄されて殺人鬼と化していく侍たちの悲哀が出ていたと思う。
冒頭に「原爆が投下される100年前……」というようなテロップが出るが特別な意味はなく、何のためのテロップだったのかと思ってしまう。
武士という階級の虚しさや、民衆をないがしろにする暴君への批判などもあるが、メッセージ性は少なく、その分エンターティメントとしては見応え十分としている。
ラストの刺し違える相手が前作と違っているが、この相手は旧作通りにしておいた方が良かったのではないか?
明石藩主松平斉韶の非道ぶりは本作品の方が徹底して描かれており、特に斉韶の食事シーンなどを見せられると、これは発狂しているのではないかとさえ思わされる。
その松平斉韶を稲垣吾郎が怪演(熱演)していてジャニーズ事務所がよくOKしたものだと思う。
観客を刺客たちに感情移入させる功労者として立派だった。
島田新左衛門の慎重さと鬼頭半兵衛の知恵比べを描く渡しの場面が無く、代わりに待ち伏せで浪人に襲わせるシーンが挿入されているが、これもエンタテインメントとしての見ごたえをアップする為だったのかもしれない。
その意味では落合宿庄屋の三州屋徳兵衛や木賀小弥太などが狂言回し的に使われていて、笑わせるシーンなどもいれてサービス精神旺盛である。
平幹二郎、松方弘樹などの大芝居的な演技も彩りを添える。
吹石一恵をどうして二役で使ったのかなあ?
身分と育ちの違う新六郎と小弥太の女性に対する想いを関連付けたかったのかなあ?
それにしても「本当の戦いはこんなだったのか?面白いのお~」は、うがった見方かもしれないが昨今の中国との緊張に右往左往して、平和ボケしていた現在の私たちとリンクして何だかアジテーションの様な気がした。
少々長すぎるラストの戦闘シーンも、斬っても斬っても現れる敵を実感させて、久しぶりにセットの見事さを体感させてもらった。
なにせこの乱闘シーンは50分にわたるもので、主君側の300人近くを島田たちがわずか13人でやっつける。
劣勢をひっくり返すために、あっ と驚く奇襲作戦が次々に登場する。
奮闘むなしく死んでいく刺客たち一人ひとりに見せ場を用意しているのでその長さになっているのだが、ここまで長いとちょっと間延び感が出てくる。
しかしまあエンタテインメントだけを追求した作品としては十分に面白い映画になっていた。