おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

十三人の刺客 1963年版

2019-07-29 08:31:49 | 映画
「十三人の刺客」 1963年 日本


監督 工藤栄一
出演 片岡千恵蔵 里見浩太郎
   内田良平 丹波哲郎
   嵐寛寿郎 西村晃
   月形龍之介 丘さとみ
   三島ゆり子 藤純子
   河原崎長一郎 水島道太郎
   加賀邦男 山城新伍

ストーリー
弘化元年九月明石藩江戸家老間宮図書(高松錦之助)が老中土井大炊頭(丹波哲郎)の門前で割腹し果てた。
間宮の死は藩主松平左兵衛斉韶(菅貫太郎)の暴君ぶりを訴えていた。
これに対し老中土井は、非常手段として御目付役島田新左衛門(片岡千恵蔵)に斉韶暗殺を命じた。
大事決行をひかえ新左衛門は十一人の協力者を集めた。
暗殺計画は極秘裡に進められたが、この暗殺計画を事前にキャッチした人物がいた。
鬼頭半兵衛(内田良平)、明石藩側用人千石の身分を自分で掴んだ傑物である。
不詳事発生以来一ヵ月余、明石藩が突如参勤交代の途についた。
行列を追う刺客団は、中仙道で奇襲作戦を練ったが、半兵衛の奇計にあい失敗に終った。
新左衛門の計略は、斉韶が尾張を通る時、その尾張藩の通行を阻止すれば、勢力を削られた行列は襲撃には絶好の落合宿に出るので、そこを狙うと言うものであった。
尾張藩通行を阻止する方法は、尾張藩木曽上松陣屋にかつて息子夫婦(河原崎長一郎、三島ゆり子)を斉韶に惨殺され、深い恨みを抱く牧野靭負(月形龍之介)に依頼された。
長老の倉永(嵐寛寿郎)が早速上松陣屋に飛び、他の刺客は落合宿へ急行した。
郷士の倅・木賀小弥太(山城新伍)がこの計画に加わり、今はただ時を待つだけとなった。
運命の朝、深いもやの中を落合宿に乗り込んだ斉韶公以下53騎は、先ず真新しい高塀にさえぎられた。
混乱の中、退路の橋が大音響と共にくずれ落ちた。
五十三騎は、半兵衛の意志とは逆に障害物にはばまれて、刺客の誘導に乗っていった。
十三人と五十三騎の死闘は続いた。
虚しい死体の群の中に新左衛門、半兵衛の死体もあった。
弘化元年、斉韶は参勤交代の途中発病、帰城と同時に死去と届けられた。


寸評
宮本武蔵を初め、主人公とライバルが決闘をするものが多い中にあって、本作は「七人の侍」と同様に集団対集団の対決を描いている。
討たれる者は将軍の弟という出自をかさに着た暴君である。
権力をかさに着て我儘が過ぎ、色欲に溺れ残虐非道を繰り返すどうしようもない殿様である。
幕府の中枢もこの殿様の始末に困っているが、将軍の弟とあって手をこまねいている。
おまけにもうすぐ老中という幕府の要職に就くことになっているので、体よく隠居させるわけにもいかない。
今の世で言い換えるならば、社長の息子が無能のくせに肩で風を切り、社員からは嫌われていながらも、まもなく取締役に就任するといった状況だ。
困り果てた現職の老中は幕府の威厳を守るため、暴君斉韶を暗殺することにしたというのが発端である。
これは独裁者がクーデターによって処刑されるという、どこかの国で起こっていそうな図式だ。

暗殺実行者の島田新左衛門は仲間を集めるが、「七人の侍」のように人材に困るようなこともなく11人を集める。
わずかに新左衛門の甥である島田新六郎(里見浩太郎)が参加するくだりだけが描かれている。
芸者おえん(丘さとみ)に養ってもらっているような風来坊だが、参加するにあたって「しばらく留守にする」とおえんに言うと、おえんは「いつ頃のお帰りですか」と尋ねる。
新六郎は「早ければひと月、遅くても来年のお盆には帰ってくる」と伝える。
死を覚悟した言葉だが、なかなか粋なセリフだ。

暴君には切れ者の側近がいることは忠臣蔵の例を見るまでもなく当然の設定だ。
先ずはその鬼頭半兵衛との駆け引きが描かれ、途中で行方が不明となるなどしてサスペンス性を出していく。
新左衛門たちは暴君の性格を見越して落合宿をまるまる要塞のように作り変えて一行を待ち受ける。
その為に住民の立ち退き料として3500両もの大金を投じているのだが、それだけの大金をつぎ込むのなら爆薬でも仕掛けてふっ飛ばせばいいようなものだが、それでは映画にならない。
せめて鉄砲で銃撃するとかがあってもいいと思うのだが、飛び道具は弓だけで、刀による乱闘シーンが続く。
13対53という集団戦であるが、なぜか侍の集団戦の人数は奇数である。
「七人の侍」「三匹の侍」「十一人の侍」などが思いつく。

死闘の中で新左衛門一派の中からも死んでいく者が出てくるが、その死に際が劇的に描かれているのは、剣客平山九十郎(西村晃)と島田新左衛門ぐらいで、生き残った者の余韻はあまり感じない。
幕府の面目のために老中土井大炊頭は明石藩の藩主松平斉韶暗殺を決断し、武士の面目のために島田新左衛門は斉韶を暗殺し、同じく武士の面目のために鬼頭半兵衛は新左衛門を刺し、新左衛門は鬼頭半兵衛にさされてやる。
新六郎とおえんはどうなったのか、小弥太といい仲だった加代(藤純子)はどうしたのかは不明のままで、その辺の事情を余韻的に描いても良かったような気がする。
本作は集団抗争時代劇というジャンルを生み出した作品で、工藤栄一としても代表作になったのではないか。