おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

山椒大夫

2019-07-02 10:08:48 | 映画
「山椒大夫」 1954年 日本


監督 溝口健二
出演 田中絹代 花柳喜章 香川京子
   進藤英太郎 河野秋武 菅井一郎
   見明凡太郎 浪花千栄子
   毛利菊江 三津田健 清水将夫

ストーリー
平安朝の末期、越後の浜辺を子供連れの旅人が通りかかった。
七年前、農民の窮乏を救うため鎮守府将軍に楯をつき、筑紫へ左遷された平正氏(清水将夫)の妻玉木(田中絹代)、その子厨子王(加藤雅彦のち花柳喜章)と安寿(榎並啓子のち香川京子)の幼い兄妹、女中姥竹(浪花千栄子)の四人である。
その頃越後に横行していた人買は、言葉巧みに子供二人を舟に乗せられた母や姥竹と引離した。
姥竹は舟から落ちて死に、母は佐渡へ売られ、子供二人は丹後の大尽山椒大夫(進藤英太郎)のもとに奴隷として売られた。
兄は柴刈、妹は汐汲みと苛酷な労働と残酷な私刑に苦しみながら十年の月日が流れた。
大夫の息子太郎(河野秋武)は父の所業を悲しんで姿を消した。
佐渡から売られて来た小萩(小園蓉子)の口すさんだ歌に厨子王と安寿の名が呼ばれているのを耳にして、兄妹は母の消息を知った。
安寿は厨子王に逃亡を勧め、自分は迫手を食止めるため後に残り、首尾よく逃がした上で池に身を投げた。
厨子王は中山国分寺に隠れ、寺僧の好意で追手から逃れるが、この寺僧は十年前姿を消した太郎であった。
かくして都へ出た厨子王は関白藤原師実(三津田健)の館へ直訴し、一度は捕われて投獄されたが、取調べの結果、彼が正氏の嫡子である事が分ったが、正氏はすでに配所で故人になっていた。
師実は厨子王を丹後の国守に任じた。
彼は着任すると、直ちに人身売買を禁じ、右大臣の私領たる大夫の財産を没収した。
そして師実に辞表を提出して佐渡へ渡り、「厨子王恋しや」の歌を頼りに、落ちぶれた母親と涙の対面をした。


寸評
森鴎外の「山椒大夫」の元になったのは伝説なのだが、あらましを聞くと残酷描写も多い復讐物語と言えなくもないものだが、鴎外は奴隷解放した山椒大夫が、そのことで生産性をあげて富を増したとしたりして残酷部分を取り除き、厨子王と母親との感動的な再会に力点おき、親子や姉弟の間の人間愛を歌い上げるもとしている。
伝説では安寿は、厨子王丸を逃した罪でなぶり殺しにされるし、山椒大夫の首を息子の三郎に竹鋸で引かせて残酷な殺し方をしているらしい。
溝口はどうかというと、鴎外の原作を踏襲しながら溝口なりの解釈を加えている。
この作品が撮られたのは昭和29年であるから、当時の日本は戦後復興の道が開け、民主主義が国民に定着しかけた時期だったろうと推測する。
おそらく溝口はそんな時代の風潮、あるいは溝口自身の思いをこの作品に転嫁したのではないかと、これまた私は推測する。

原作と違う点の一つは厨子王を兄、安寿を妹としていることだ。
映画の中の安寿(香川京子)はどうみても、兄の厨子王(花柳喜章)よりもしっかり者だし毅然とした顔つきだ。
安寿は厨子王を助け自分は入水自殺を行うのだが、これが兄妹逆転していれば、女は長女であっても家名を守るために男子のために犠牲になるという家族制度を彷彿させてしまうからではなかったかと思う。
時代は家族制度が否定され、男女同権に大きく舵を切っていたのだと思う。

山椒大夫の最後も違っていて、山椒太夫を国外追放とした上で、民衆にその館を燃やさせることによって支配者階級の没落を暗示している。
封建的な抑圧からの民衆の解放物語と見てとれぬこともない。
違うといえば、、母子は山岡大夫というものに騙されることになっているところを、巫女が一夜の宿を貸した後で人買いに売り飛ばすように変更しているのだが、なぜ巫女に変えたのか必然性は見当たらない。
見ていても何か違和感があって、溝口は神道嫌いとしか説明のしようがない。

「人間はみな平等で、人は人を慈しまねばならぬ。自分には厳しく、人には慈悲をもって当たらないといけない」というのが父の教えで、厨子王はこの言葉を心に刻んで、逆境にあっても人間らしく生き、また最後には虐げられた人々を開放しようと決意するわけだが、これなども僕は農地解放などを連想するし、当時はまだまだ残っていた身分制度に対するテーゼのように感じる。

ともあれ、描くのが難しい中世初頭の話を上手く映像化しているし、当時の荘園制度とはこのようなものだったであろうと思わせる描き方も的を得たものだった。
でも僕は見ていてふと思った。
奴隷解放し去っていった厨子王だが、しかし私有の荘園なのだから、やがて右大臣の権力が再び押し寄せてきて元通りの世界になって人々は再び奴隷化してしまうのではないかと。
振り返れば、この映画にはかなり無理な部分が見受けられるのだが、溝口の思いだけは感じ取れる作品だ。
田中絹代は原節子などと違ってこのような役も上手い。