おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ガンジー

2019-03-30 10:44:10 | 映画
「ガンジー」 1982年 イギリス / インド


監督 リチャード・アッテンボロー
出演 ベン・キングズレー キャンディス・バーゲン
   ジョン・ギールグッド マーティン・シーン
   エドワード・フォックス トレヴァー・ハワード
   ジョン・ミルズ ダニエル・デイ=ルイス

ストーリー
南アフリカ、1893年。皮膚の浅黒い一人の青年紳士が列車の一等車に乗っていたため放り出された。
この人種差別に、青年は激しい怒りを覚えた。青年の名はモハンダス・K・ガンジー。
彼はインド人移民に呼びかけて、身分証明カードを焼き拾てることを提唱する。
ガンジーは暴力を用いずに闘うことを信条とし、“生涯禁欲”の誓いを立て、アシュラム(共同農園)を建設。
1915年ボンベイに戻ったガンジーはインド国民から英雄として迎えられた。
インドの指導的立場にある人々はイギリスからの独立を願っており、その中には後に首相となるネールもいた。
ガンジーはチャンパランという寒村で小作人の権利を守るため地主と闘い逮捕された。
ガンジーは逮捕されたが、今や“マハトマ(偉大なる魂)”と呼ばれ、全国民の精神的支柱となった彼を裁判にかけることは不可能だった。
やがて第二次大戦が勃発。戦争に反対するガンジーは、アガーカーン宮殿に収容された。
独立を目前にしたインドだったが、回教徒はヒンズー教徒と袂を分かち、1947年8月、アリ・ジンナーを指導者としてパキスタンを建国したが、そのため、国境を中心として両教徒の間で衝突が激化、内戦状態になった。
これを悲しんだガンジーは、カルカッタで断食を行ない、民衆に武器を捨てさせることに成功した。
1948年1月30日。マハトマ・ガンジーは、デリーで夕べの祈りをしている時、ヒンズー教極右派のヴィナヤク・N・ゴードセーによって暗殺された。
時にガンジー78歳。葬儀には250万を越える人々が集まり、遺灰は聖なるガンジス川に流された。


寸評
僕が小学生の頃には1週間に1度図書の時間というのがあり、学校の図書室での読書を義務付けられていた。
伝記物が人気の読み物で、ガンジーはその中の一冊として伝記物コーナーに並んでいた。
非暴力でインド独立を果たしたということで、学校での教材としても都合がよかったのかもしれない。
僕の脳裏にインド人として思い浮かぶのは、映画監督のサタジット・レイと、ここで描かれたマハトマ・ガンジー、盟友のネール首相ぐらいである。
教育の中でそうなったのかどうかわからないけれど、僕の少年時代にはガンジーとネール首相は思い浮かぶ外国人の名前で抜きん出ていた。
作品はそのマハトマ・ガンジーの伝記映画である。
伝記映画は見世物としてエピソードを紡いでいて、主人公のすべてを描いているわけではない。
しかし概ね事実と思われる主要な出来事を描いてくれているので、歴史上の人物を知るには都合がよい。
知らなかったことを知る機会も提供してくれている。
そうしたジャンルの作品として「ガンジー」は重厚にして見ごたえ十分な作品となっている。

ガンジーが南アフリカのアパルトヘイトと戦っていたことを初めて知った(お恥ずかしい)。
ガンジーはロンドンで学んだ弁護士として南アフリカのダーバンへ渡って来たのだが、そこでいつも乗っている一等への乗車を拒否されアパルトヘイトの現実を知る。
正義感に燃える彼はそこで抵抗運動に身を投じていくのだが、イギリス人牧師アンドリューズ(イアン・チャールソン)が彼に協力するのが歴史の引き合わせを思い起こされる。
当時の南アフリカはイギリスの統治下にあったのだが、支配するイギリス側にも開明的な人はいたということだ。
同様に、取材にあたるニューヨーク・タイムズの記者ウォーカー(マーティン・シーン)の存在もガンジーを救う。
二人の存在で、白人社会にもガンジーを支持する人々は居たのだとわかる。
南アフリカでの活躍を引っ提げてインドに戻ってきたガンジーなのだが、演じたベン・キングズレーが肖像写真で見るガンジーに瓜二つなことに驚かされる。
インドロケではガンジーが生き返って来たと思われて駆け寄る人がいたという話も聞いたのだが、さもありなんだ。
イギリス人俳優のベン・キングズレーはこの作品で、アカデミー主演男優賞を初め、数多くの映画賞を受賞したのだが、彼がガンジーの外見と仕草を完全なまでに模倣していることが大きな魅力となっていることは確かだ。
スクリーンに現れたガンジーは、役者が演じているガンジーではなく、正にガンジーその人だった。
ガンジーは非暴力、不服従で大英帝国に挑んでいく。
「塩の行進」と称されるイギリスの塩税に抗議した運動も描かれるが、僕が興味を持ったのは宗教問題である。
インドはイギリスからの独立を果たすが、イスラム教徒とヒンズー教徒の対立が勃発する。
民族に宗教が絡むと統治が難しいことがうかがえる。
インドとパキスタンに別れた経緯、パキスタンがインドの東西に分離している国家になった経緯も知る事となる。
両派の対立はガンジーの断食によって何とか終焉を迎えるが、現在のインドとパキスタンは犬猿の仲である。
ガンジーは現在の状況をどう見ているのだろう。
パキスタンに行こうとしたガンジーはヒンズー教の原理主義者によって暗殺されてしまう。
瀕死のガンジーが自らの額に手を当てた仕草はイスラム教で「あなたを許す」という意味だったと聞く。