おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

蒲田行進曲

2019-03-19 07:31:48 | 映画
「蒲田行進曲」 1982年 日本

監督 深作欣二
出演 松坂慶子 風間杜夫 平田満
   高見知佳 原田大二郎 蟹江敬三
   岡本麗 汐路章 榎木兵衛
   石丸謙二郎 萩原流行 酒井敏也
   清水昭博 佐藤晟也 清川虹子
   千葉真一 真田広之 志穂美悦子

ストーリー
時代劇のメッカ、京都撮影所では「新撰組」の撮影がたけなわである。
さっそうと土方歳三に扮して登場したのは、その名も高い“銀ちゃん”こと倉岡銀四郎である。
銀ちゃんに憧れているのが大部屋俳優のヤス。
ある日、ヤスのアパートに銀ちゃんが、女優の小夏を連れて来た。
彼女は銀ちゃんの子供を身ごもっていて、スターの銀ちゃんはスキャンダルになると困るので小夏と一緒になり、ヤスの子供として育ててくれと言うと、ヤスは承諾した。
やがて小夏が妊娠中毒症で入院するが、その間ヤスは、撮影所で金になる危険な役をすすんで引き受けた。
小夏が退院して、ヤスのアパートに戻ってみると、新品の家具と電化製品がズラリと揃っていた。
だが、それとひきかえにヤスのケガが目立つようになった。
それまで銀ちゃん、銀ちゃんと自主性のないヤスを腹立たしく思っていた小夏の心が、しだいに動き始めた。
小夏はヤスと結婚する決意をし、ヤスの郷里への挨拶もすませ、式を挙げて新居にマンションも買った。
そんなある日、銀ちゃんが二人の前に現われた。
小夏と別れたのも朋子という若い女に夢中になったためだが、彼女とも別れ、しかも仕事に行きづまっていて、かなり落ち込んでいるのだ。
そんな銀ちゃんをヤスは「“階段落ち”をやりますから」と励ました。
“階段落ち”とは、「新撰組」のクライマックスで、斬られた役者が数十メートルもの階段をころげ落ち、主役に花をもたす危険な撮影なのだ。
“階段落ち”撮影決行の日が近づいてくると、ヤスの心に徐々に不安が広がるとともに、その表情には鬼気さえ感じるようになってきた。


寸評
松竹の蒲田撮影所が題名になっているのに、舞台は東映京都撮影所と言う驚きの作品。
「銀ちゃん」は東映の「錦ちゃん」こと中村錦之助をイメージしているようだし、ヤスは大部屋俳優である汐路章がモデルとされているが、汐路章は任侠映画などでの悪役に欠かせぬ存在となっている。
かつて賑わいを見せた撮影所の雰囲気をノスタルジックに描いた作品というより、その雰囲気を垣間見せながら人気スターと大部屋俳優のやり取りを面白おかしく見せる人情喜劇の趣が強い。
銀四郎を演じた風間杜夫と、ヤスを演じた平田満の出世作ともなった。

オープニングと同時に流れてくるテーマソングの「蒲田行進曲」が、いきなりウキウキした気分に誘い込む。
テーマ曲が流れるのは3度、オープニングとエンディング、そしてヤスが故郷に凱旋してくるシーンで流されるこの曲のメロディがなぜか耳に残るのだ。
そこから繰り広げられるのは舞台演劇かと思わせる、オーバーアクション気味の大芝居とセリフ回しである。
銀四郎もヤスも小夏もリアリティのないオーバー演技なのに、そのテンポの良さでもって観客を映画「蒲田行進曲」の世界へと引きずり込んでいく。
そして時折しんみりとした情感あふれるシーンが挿入されてくるので、その変化に観客はたまらなくなる。
銀四郎との別れを決意した小夏が、乱雑に荒れ果てた銀四郎の部屋を片付けるシーンに続き、シャワールームで泣き崩れた後に去っていくシーンの寂しさ。
小夏のお腹の子がヤスの子ではないと見抜いた母親の清川虹子がヤスを見捨てないでくれと懇願するシーンでの、出来の悪い息子を持った母親の愛情吐露に涙してしまう。
ホロリとするこれらのシーンの入れ方が上手いし音楽も哀愁を帯びたもので好感が持てる。

風間杜夫の銀四郎と、原田大二郎の橘は主演を競っている間柄だが、どちらがカット数が多いか、どちらがセリフが多いか、どちらがアップが多いかなどとライバル心全開で競い合っている。
かつて東映の片岡千恵蔵と市川右太衛門の両大御所が同様の内容で争い、演出家と脚本家が苦労していたなどという話を聞き及んでいるので、まんざら映画上の作り話とも思えず僕には楽しめた。
千葉真一、志穂美悦子、真田広之などがヤスの活躍場面として劇中劇で登場し、激しいアクションを見せながら暴れまくるのも、彼等を知るものとしては楽しめるものとなっている。
小夏は不幸な女なのだが、不幸を不幸と思わずに進んでいこうとする明るさがある。
太陽のような天性の明るさを持った松坂慶子がちょっと抜けたようで居ながら、必死で夫を支えようとするけなげな女を好演していて主演女優としては絶妙のキャスティングだ。
役得なのはヤスを演じた平田満だ。
大部屋俳優の悲哀を体いっぱいで表現し、小指を立てながら「俺のコレがこれなんで」とお腹を大きくするポーズをみせて笑わせ、銀ちゃん一途で、日の目を見ることがない大部屋俳優だと自覚していながらも映画を愛してやまない男なのだと画面上を暴れまくる。
ラストシーンにおける最後の大芝居が違和感なく迫ってくるのだから、深作の演出はただものではないと思わずにはいられなかった。