おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

葛城事件

2019-03-16 10:56:15 | 映画
「葛城事件」 2016年 日本


監督 赤堀雅秋
出演 三浦友和 南果歩 新井浩文
   若葉竜也 田中麗奈 内田慈
   谷川昭一朗 児玉貴志 黒田大輔

ストーリー
どこにでもありそうな郊外の住宅地。
ボソボソと『バラが咲いた』を歌いながら、葛城清(三浦友和)は、古びた自宅の外壁に大量に落書きされた“人殺し”、“死刑”などの誹謗中傷をペンキで消している。
やがて庭に移動すると、庭木にホースで水を撒きながら、ふとこの家を建てた時に植えたみかんの木になる青い実に手を伸ばす……。
親が始めた金物屋を引き継いだ清は、美しい妻・伸子(南果歩)との間に2人の息子も生まれ、東京の郊外に念願のマイホームを建てることもでき、思い描いてきた理想の家庭が完成したかに思われた。
しかし、その想いの強さが、家族を抑圧的に支配するようになっていたことに、清は気付いていなかった。
長男・保(新井浩文)は、子供の頃から従順でよくできた子供だったが、対人関係に悩み、会社からのリストラを誰にも言い出せずにいた。
堪え性がなく、アルバイトも長続きしない次男・稔(若葉竜也)は、ことあるごとに清から責められ、理不尽な想いを募らせ“一発逆転”を夢みている。
そんなある日、清に一方的に言われるがままで耐え忍ぶことしかできなかった伸子は、ついに不満が爆発し稔を連れて家出してしまう。
これをきっかけに、葛城家は一気に崩壊へと向かってゆく。
稔が無差別殺人事件を起こして8人の人間を殺傷、死刑宣告を受けてしまう。
次第に精神のバランスを崩し、廃人のようになってゆく伸子。
さらに、死刑制度反対を訴える女性・星野順子(田中麗奈)が、稔と獄中結婚するが……。


寸評
無差別殺人を描いているが、この映画の注目点は主人公を犯人ではなくその父親としているところだ。
加害者の父親という立場は、見方によっては犯人よりも複雑な状況に置かれていると言える。
オープニングシーンで父親の葛城清は、息子が無差別殺人を行ったことで世間からの嫌がらせを受け、息子を誹謗する落書きを自宅フェンスにされている。
確かに殺人を犯したのは自分ではないが、犯人の父親であることからは逃れることが出来ない。
僕たちは、加害者の家族の苦しみというものにも、いくらかは関心を向けてもいいのではないかと考えさせられる。
だからと言ってこの父親を肯定するわけにはいかない。

この家庭は崩壊しているが、その原因は父親の自分勝手な強権を振り回したことにあると思われる。
父親はそれに伴う暴力も振るうし、自分の思いと違えば怒りをあらわにする男だ。
なかでもすさまじいのは中華料理店で父親が店にクレームをつける場面である。
演じた三浦友和はこれまで好青年を多く演じてきた俳優だが、僕はこれほどまでに不快な演技を見せつける役者になっていたことに驚いた。
実社会ではこんなクレーマーは居るし、僕はこれに類する人物に出合ったことがある。
葛城家のすべての人間はどこか病んでいるような重苦しさを感じさせるが、演じた役者は三浦友和を初め総じて上手いと感じさせる。
長男の新井浩文はナイーブな一面を見せ、父親に媚びを売っているようなか弱いふるまい、家族に見せる微妙な表情などを繊細に演じている。
次男の若葉竜也は刑務所の面会場所での表情を初め、ドロップアウト組の逆恨みを見事に表現して見せている。
南果歩は夫を嫌っていながらも共存して取り繕っている女だが、自分の意思を表せない女を演じると南果歩はいい味を出す女優である。
病んでいるのは葛城家の人間だけではない。
死刑反対論者で死刑囚の次男と獄中結婚をする田中麗奈演じる星野順子も病んだ女だ。
自分自身は死刑に反対することで人を救いたいと言いながら、目の前の人間を救おうとはしない。
自己満足の正義を振りかざす存在として、田中麗奈はこの映画の中のキーとなる人物である。

葛城家は希望にあふれ理想を目指していたごく普通の家庭だったはずである。
子供が無事に成長できるようにとミカンの苗木を植えて幸せに浸っていた時期もあった。
そんな家庭からどうしてモンスターが生まれてしまうのか。
父親がモンスターなら、長男も次男も普通の家庭では発生しないことを仕出かす。
絶望感が漂う家族が幸せに見えるのが、父親の居ない安アパートの一室で一堂に会する場面だ。
このシーンは彼等の不幸が貧困から生じたものではないことの証だろう。
だから尚更モンスター発生の理由が分からなくなってしまう。
落ちこぼれの次男は自分の欲した死を手に入れるが、彼を支配していた父親は結局手に入れることが出来ず、死ねないから生きているという人生を送ることになる。
現実社会において無差別殺人は時々発生するが、その原因はまったくもって不可解である。