おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

怪談

2019-03-02 10:43:33 | 映画
「怪談」 1965年 日本


監督 小林正樹
出演 三国連太郎 岸恵子 新珠三千代
   仲代達矢 丹波哲郎 中村嘉葎雄
   志村喬 中村翫右衛門 杉村春子
   仲谷昇 奈良岡朋子 中村鴈治郎
   渡辺美佐子 望月優子

ストーリー
〔黒髪〕昔京都で生活に苦しんでいた武士が妻を捨てたが、第二の妻は我侭で冷酷な女であった。
男は今更のように別れた妻を慕い、愛情の価値を知った。
ある晩秋の夜、荒溌するわが家に帰った男は、今迄の自分をわび、妻をいたわり、一夜を共にした。
夜が白白と明け男が眼をさますと、傍に寝ていた妻は髪は乱れ、頬はくぼみ、無惨な形相の経かたびらに包まれた屍であった。
〔雪女〕武蔵国の若い巳之吉は、茂作老人と森へ薪をとりに入り、吹雪に出会って、山小屋に閉じこめられた。
その夜、若者は、老人が雪女に白い息を吹きかけられて殺されたのを目撃したが、巳之吉は「誰にも今夜のことを話さないように。話したら必ず殺す」と言われ助けられた。
三十近くなった巳之吉は、森の帰路出会った、美しい娘お雪を妻に迎え、子供も出来て、仕合せな日々を過していた正月も真近にひかえたある夜、子供の晴着に針を運ぶお雪の顔をみて、山小屋の雪女を思い出した巳之吉は、妻に思わずその話しを聞かせた・・・。
〔耳無抱一の話〕平家一門の供養のために建てられた赤間ケ原に、抱一という琵琶の名人がいた。
夜になると、寺を抜け出し、朝ぐったりして帰って来る抱一を、不審に思った同輩が、秘に後をつけると抱一は、平家一門の墓前で恍惚として平家物語を弾じていた。
寺の住職は、抱一の身体中に経文を書き、怨霊が迎えに来ても声を出さないよう告げた・・・。
〔茶碗の中〕中川佐渡守の家臣関内は、年始廻りの途中茶店で、出された茶碗の中に、若い男の不気味な笑い顔を見、それは、茶碗を何度とりかえても、同じように現われた。
佐渡守の邸に帰った関内を、見知らぬ若い侍が訪ねて来たが、その顔は茶碗の底の不気味な顔であった・・・。


寸評
仏教美術なる言葉が存在するならば、まさしく「怪談」は映画美術の極致ともいえる内容だ。
全編を通じてほとんどをセット撮影しており、そのセットの見事さは筆舌に尽くしがたい。
四つの話はまるで4人の監督が撮った如く趣を変えた作風を見せながら描かれていく。
第一部の「黒髪」において先ずそのセットの見事さに圧倒される。
落ちぶれた武士(三国連太郎)の屋敷は荒廃している。
生活に困窮していながら、荒廃しているとは言えなぜこのような広い屋敷を維持できているのかは不明だが、兎に角元は立派な屋敷であったことがうかがえる。
それらはすべてセットであることは明白なのだが、美術の戸田重昌の功績なのか、大道具係りの職人たちのなせる業なのか、素晴らしい出来栄えだ。
それに撮影の宮島義勇、音楽の武満徹が加わり、何とも言えぬ耽美の世界を描き出していくのである。

圧巻は第三話の「耳無抱一の話」で、壇ノ浦で滅亡した平家一門が居並ぶシーンは圧倒されるものがある。
抱一(中村賀津雄)は死霊(丹波哲郎)に導かれて壇ノ浦に沈んだ平家一門の前で琵琶を奏でているのだが、正装で居並んでいた武士たちがやがて鎧に身をまとい矢を浴びた姿となって、抱一の吟じる平家物語に涙していくシーンだ。
壇ノ浦合戦もリアルなものではなく、多分に様式美を追及した歌舞伎調であり、このシーンも美意識を追及したものとなっている。
しかし安徳天皇を中心に、女官たちが現れ鎧武者が現れると、われわれは知らず知らずのうちに耽美の世界に引き込まれてしまっているのだ。
平家一門が登場するので四話の中では一番登場人物が多い。
建礼門院(村松英子)に抱かれる安徳天皇(佐藤ユリ)を初め、平知盛(北村和夫)、平教盛(龍岡晋)、平経盛(鶴丸睦彦)、平宗盛(山本清)など歴史ファンにはなじみのある名前が並んでいたし、平家一門はその他にも居並んでいて、セリフは無くても役者はその雰囲気を出していた。
壇ノ浦合戦では当然ながら源義経(林与一)、弁慶(近藤洋介)もわずかながら登場している。
道化役のように寺男の田中邦衛も登場するから、4話の中では一番楽しめる。
耳無抱一の話は知られた話だが、それだけに住職(志村喬)と副住職(友竹正則)によって般若心経が体中に書かれていくシーンは興味深々とさせた。
兎に角、この一編が出色の出来だ。

第二話の「雪女」も良く知られた話で、雪のセットが美しかった。
それらに比べると第四話は僕の中では少し消化不良を起こさせた。
前三話に比べるとインパクトが弱い。
作品の締めくくりとして、民話としての怪談話にオチをつけたかったのだろうがちょっと拍子抜けした。
もう少し工夫が見られたら、あるいは別の話で締めくくっていたなら日本映画屈指の作品になっていただろう。
壇ノ浦の海辺のシーンなどほんの僅かに実写が使われているが、いっそすべてセットで処理しても面白かったのではないかとも思う。