今日は息子の命日。7年前の今日の朝、一人で遠い所に旅立った。あと、10日で8才のお誕生日だったのに・・・。
早産だった事もあって、生まれたときからいくつまで生きられるかわからないと言われ、入院生活の多い一生ではあったけど7歳11ヶ月、生きてくれて私達に思い出と感動を残してくれた。
なくなる1年くらい前から、京大病院に入院していて私が付き添って病院で生活していた。亡くなる日の前日、いつもは消灯の時間になったら、おやすみって寝る子なのに、その日は、なかなか寝ようとせず、家族でスキーにいった時の事や、海に行った時の事、幼稚園に行った時の事や、学校のことを、一晩中話した。
本当に、心臓が止まる瞬間まで・・・
お母さん、楽しかったね!それが、私だけが知ってるあの子の最後の言葉。
朝、8時、夫に電話した。「お父さん、ゆうちゃんがえらいんよ。すぐ、来て!」
夫は、すぐ、家を出て片道3時間ほどかかる病院まで車を走らせた。
「おとうさん、今、ゆうちゃん、息止まって人口呼吸いれてもらった」って、携帯に電話したら、丁度、半分の距離。今から、高速に乗ろうとしてた時だったみたい。それから、病院に着くまでの時間、夫はあふれ出てくる涙が止まらなくって、どの道をどうやって病院まで行ったのか記憶にないと言う。
夫が、病院についてすぐ、息子の病室に入った。そこには、たくさんのDrがいた。一人は、息子に馬乗りになって心臓マッサージをしていて、一人は、肺に酸素を送っている。一人のDrが、昨日の夜からの病状を説明し、もう、無理だと説明する。
手、足がもう、冷たくなっているのを手でさわって確認すると、夫は、Drに「もう、結構です。ありがとうございました」と、告げる。
夫は、私の頭を軽くなで、なにも言わずうなずいた。
自分で、息子の体に入っている管を全部抜いて、両手で抱いて男の人でもこんなに泣くんだって思うくらい大きな声で、気がすむまで泣いていた。
私は、何が今、起きたのかわからずただ、ボーゼンとしてたように思う。
家に連れて帰る準備をしなければいけないのに、夫も私も体が動かず、叔母に全部してもらったように思う。
家に連れて帰って、告別式がすむまでは、泣いている時間などなく、日が過ぎた。
息子の事を、しみじみ思うようになったのは、納骨の頃かもしれない。
小さな体で、長い間病気と戦ったゆうちゃん。短い人生だったけど、多くの思い出を残してくれたし、私達に、生きていく勇気を残してくれた。
いつまでも、ゆうちゃんのママでありたい。その気持ちから、ゆうママという、ハンドルネームを使っている。
夫と次男と姑と私で、墓参りに行った。車椅子になってから、度々、墓参りができないので、命日だけは、車椅子ごと抱えて連れてってもらう。
また、来年来るからね。
いつか、私も、死ぬ時がきてゆうちゃんに会える時がきたら、「おかあさん、がんばったね。」って、言われる生き方をしなければっていつも、思う。
今、私も病気でいつまで生きられるかわからない。でも、ゆうちゃんが通った道だもの。怖いことはない。でも、ゆうちゃんに負けないくらい一生懸命にいきなければ・・・ね。
ゆうちゃん、見ててね。
早産だった事もあって、生まれたときからいくつまで生きられるかわからないと言われ、入院生活の多い一生ではあったけど7歳11ヶ月、生きてくれて私達に思い出と感動を残してくれた。
なくなる1年くらい前から、京大病院に入院していて私が付き添って病院で生活していた。亡くなる日の前日、いつもは消灯の時間になったら、おやすみって寝る子なのに、その日は、なかなか寝ようとせず、家族でスキーにいった時の事や、海に行った時の事、幼稚園に行った時の事や、学校のことを、一晩中話した。
本当に、心臓が止まる瞬間まで・・・
お母さん、楽しかったね!それが、私だけが知ってるあの子の最後の言葉。
朝、8時、夫に電話した。「お父さん、ゆうちゃんがえらいんよ。すぐ、来て!」
夫は、すぐ、家を出て片道3時間ほどかかる病院まで車を走らせた。
「おとうさん、今、ゆうちゃん、息止まって人口呼吸いれてもらった」って、携帯に電話したら、丁度、半分の距離。今から、高速に乗ろうとしてた時だったみたい。それから、病院に着くまでの時間、夫はあふれ出てくる涙が止まらなくって、どの道をどうやって病院まで行ったのか記憶にないと言う。
夫が、病院についてすぐ、息子の病室に入った。そこには、たくさんのDrがいた。一人は、息子に馬乗りになって心臓マッサージをしていて、一人は、肺に酸素を送っている。一人のDrが、昨日の夜からの病状を説明し、もう、無理だと説明する。
手、足がもう、冷たくなっているのを手でさわって確認すると、夫は、Drに「もう、結構です。ありがとうございました」と、告げる。
夫は、私の頭を軽くなで、なにも言わずうなずいた。
自分で、息子の体に入っている管を全部抜いて、両手で抱いて男の人でもこんなに泣くんだって思うくらい大きな声で、気がすむまで泣いていた。
私は、何が今、起きたのかわからずただ、ボーゼンとしてたように思う。
家に連れて帰る準備をしなければいけないのに、夫も私も体が動かず、叔母に全部してもらったように思う。
家に連れて帰って、告別式がすむまでは、泣いている時間などなく、日が過ぎた。
息子の事を、しみじみ思うようになったのは、納骨の頃かもしれない。
小さな体で、長い間病気と戦ったゆうちゃん。短い人生だったけど、多くの思い出を残してくれたし、私達に、生きていく勇気を残してくれた。
いつまでも、ゆうちゃんのママでありたい。その気持ちから、ゆうママという、ハンドルネームを使っている。
夫と次男と姑と私で、墓参りに行った。車椅子になってから、度々、墓参りができないので、命日だけは、車椅子ごと抱えて連れてってもらう。
また、来年来るからね。
いつか、私も、死ぬ時がきてゆうちゃんに会える時がきたら、「おかあさん、がんばったね。」って、言われる生き方をしなければっていつも、思う。
今、私も病気でいつまで生きられるかわからない。でも、ゆうちゃんが通った道だもの。怖いことはない。でも、ゆうちゃんに負けないくらい一生懸命にいきなければ・・・ね。
ゆうちゃん、見ててね。