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ウクライナまで出向いた米の高官二人は、ゼレンスキー大統領との会談の席で、何を話したのか。次のニュースを見て、私はがっかりした。
「アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官が、ウクライナの首都キーウを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談しました。
ロシアによる軍事侵攻後、アメリカの主要閣僚がウクライナの首都を訪問したのは初めてで、両長官は、ロシア軍が攻勢を強める中、ウクライナへの軍事支援をさらに強化していく考えを示しました。」
(NHK NEWS WEB 4月25日配信)
つまり、米の高官二人がわざわざウクライナまで出向いて行ったのは、「火消し」の努力ではなく、逆に「火に油を注ぐ」作業だったというのである。
このところのアメリカの外交姿勢を見ていると、この国は完全に「自己中」の病に罹ってしまったように思えて仕方がない。実際、今回の米高官二人の振る舞いがそれを端的に示している。
どういうことか。米高官がウクライナへの軍事支援を表明したのは、それによって「アメリカは冷たい。ウクライナを見殺しにしようとしている」という非難をかわそうと目論んだからだろう。高官二人を初めてウクライナに派遣したことといい、この国は国際社会で「善い国」に見てもらおうと、そればかりに心を配っているように思える。
実際には、軍事支援を増強すれば、戦いはさらに激化し、一層多くの市民や兵士が犠牲になるのは確実なのに、米高官の二人はそんなことは全く気に掛けなかった。彼らにとっては、アメリカの国民が犠牲にならなければ、それで万事オーケーなのである。
ウクライナから遠く離れた日本の、その国民である我々は、ウクライナの市民が数多く犠牲になっている悲惨な現実に心を痛め、この大火が早く鎮まらないかと胸を焦がしている。
私もそんな日本人の一人だが、その私の目から見るとき、弁舌をふるう最近のゼレンスキー大統領の姿が、ますます軍人の姿に近づいているように見え、あの東条英機と二重写しになってくる。軍人あがりの首相として国民の戦意をあおり、日本を破滅へと導いた、あのボンクラの東条英機である。
「戦争とは、他の手段をもってする政治の継続である」と述べたのは、『戦争論』の著者・クラウゼヴィッツである。この定義に従えば、軍人としてのゼレンスキーも依然、政治家として職務に励んでいるといえるが、私としてはゼレンスキーにこう言いたいのだ。
ゼレンスキーよ、あなたは軍人として檄を飛ばす前に、一国の政治的指導者として、少しでも外交的な解決を試みたのか、と。ウクライナ戦争の原因となったいくつかの懸案を、外交的な交渉によって解決しようと、あなたは少しでも試みたのだろうか。
私が米国高官二人に会談の席で言って欲しかったのは、軍人・ゼレンスキーを諌めるそういう「火消し」の言葉だった。武器の供与をねだる軍人・ゼレンスキーの要求に応じ、戦火の拡大を意に介しない武器商人の言葉ではなく、ウクライナの人々の生命(いのち)を尊重して、政治家・ゼレンスキーを停戦交渉へと向かわせる、大局に立った冷静な政治家の言葉だった。なんだかなあ・・・。
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