次の記事を見て、「おっ、これだ!良いネタが見つかったぞ。しめしめ、あしたはこれで行こう!」そう思い、ホッとする自分がいた。こんな見出しだった。
「老朽原発の再稼働、福井知事が同意 新しい基準で全国初」
本文はこう続いていた。
「運転開始から40年を超える関西電力の老朽原発3基について、立地する福井県の杉本達治知事は28日、再稼働に同意すると表明した。東京電力福島第一原発事故の後、原発の運転が原則40年と定められた後に全国で初めて、老朽原発が再稼働する。」
(朝日新聞DIGITAL4月28日配信)
この記事を読み、「良いネタが見つかったぞ♪」と安堵している自分を振り返ってみて、自分がこのところワンパターンのマンネリズムに陥っていることに気づいた。フクシマ処理水の問題とか、原発の危険性の問題とか、これまで私は原発関連のネタを何度も取りあげている。私の関心の幅は極めて狭い範囲に限られている。私の関心が向かうのは、原発問題の他に、日韓問題や、中国の専制主義、膨張主義のヤバさ、日米安保のありよう、などだろうか。
そういう(私にとっての)十八番(おはこ)のネタに限れば、私の見方や主張はそう変わらない。固定している、凝り固まっている、とも言えるが、安定している、一貫している、と言えなくもない。先の原発再稼働問題では、記事を読む前に、私の頭の中ではもう書くべきブログ記事の内容が(次のように)ほぼ出来上がっていた。
1.原発は廃止すべきだ。いったん停止した原発を再稼働するとは、ーーしかも、老朽化した原発を再稼働するとは、何たることか。実に不埒千万。
2.原発を廃止すべき理由はいくつもある。第一に、原発は経済合理性に著しく反している。一度事故を起こせば莫大なカネがかかるし、事故を起こさないようにするための安全対策やメンテナンスの費用も馬鹿にならない。
3.経済合理性だけが問題ではない。事故を起こしたとき、それが周辺住民に与える被害の大きさ、悲惨さは甚大であり、常時その可能性を内包する原発施設の存在は、非人道的と言うしかない。
4.原発のメリットとして、電力供給の安定性が喧伝され、そのメリットが風力や太陽光発電といった自然エネルギーの不安定さと対比的に語られるが、電力の供給は安定的であれば良いというものではない。電力に限っては受給のバランスこそが重要であり、電力の需要が季節によって変動する以上、供給の安定性にはそれほどの意味はない。
むしろ、風力発電や太陽光発電の効率性を高め、産み出される電力を効率的に蓄える蓄電技術の開発にこそ力を注ぐべきだろう。
5.原発の致命的な欠陥は、核のゴミ、使用済み核燃料の最終的な処分方法が見つかっていないことである。原発で生じる高レベル放射性廃棄物は、いわば「原発のウンコ」とでもいうべきものだが、その処分方法が見つからないことから、原発は「トイレのないマンション」と揶揄されている。だれも「トイレのないマンション」に住みたいとは思わないだろう。
ーーと、まあ、これらはいずれも私が本ブログでこれまで述べてきたことの焼き直しでしかない。読者の受けはともかく、書き手である私には、書く歓びや新鮮さはほぼ皆無で、キーボードを打つ私の指は、坦々と事務作業をこなす労働者のアンニュイを感じるばかりである。まあ、所詮は暇つぶしが目的で始めた手遊(すさ)びだからなあ・・・。
「老朽原発の再稼働、福井知事が同意 新しい基準で全国初」
本文はこう続いていた。
「運転開始から40年を超える関西電力の老朽原発3基について、立地する福井県の杉本達治知事は28日、再稼働に同意すると表明した。東京電力福島第一原発事故の後、原発の運転が原則40年と定められた後に全国で初めて、老朽原発が再稼働する。」
(朝日新聞DIGITAL4月28日配信)
この記事を読み、「良いネタが見つかったぞ♪」と安堵している自分を振り返ってみて、自分がこのところワンパターンのマンネリズムに陥っていることに気づいた。フクシマ処理水の問題とか、原発の危険性の問題とか、これまで私は原発関連のネタを何度も取りあげている。私の関心の幅は極めて狭い範囲に限られている。私の関心が向かうのは、原発問題の他に、日韓問題や、中国の専制主義、膨張主義のヤバさ、日米安保のありよう、などだろうか。
そういう(私にとっての)十八番(おはこ)のネタに限れば、私の見方や主張はそう変わらない。固定している、凝り固まっている、とも言えるが、安定している、一貫している、と言えなくもない。先の原発再稼働問題では、記事を読む前に、私の頭の中ではもう書くべきブログ記事の内容が(次のように)ほぼ出来上がっていた。
1.原発は廃止すべきだ。いったん停止した原発を再稼働するとは、ーーしかも、老朽化した原発を再稼働するとは、何たることか。実に不埒千万。
2.原発を廃止すべき理由はいくつもある。第一に、原発は経済合理性に著しく反している。一度事故を起こせば莫大なカネがかかるし、事故を起こさないようにするための安全対策やメンテナンスの費用も馬鹿にならない。
3.経済合理性だけが問題ではない。事故を起こしたとき、それが周辺住民に与える被害の大きさ、悲惨さは甚大であり、常時その可能性を内包する原発施設の存在は、非人道的と言うしかない。
4.原発のメリットとして、電力供給の安定性が喧伝され、そのメリットが風力や太陽光発電といった自然エネルギーの不安定さと対比的に語られるが、電力の供給は安定的であれば良いというものではない。電力に限っては受給のバランスこそが重要であり、電力の需要が季節によって変動する以上、供給の安定性にはそれほどの意味はない。
むしろ、風力発電や太陽光発電の効率性を高め、産み出される電力を効率的に蓄える蓄電技術の開発にこそ力を注ぐべきだろう。
5.原発の致命的な欠陥は、核のゴミ、使用済み核燃料の最終的な処分方法が見つかっていないことである。原発で生じる高レベル放射性廃棄物は、いわば「原発のウンコ」とでもいうべきものだが、その処分方法が見つからないことから、原発は「トイレのないマンション」と揶揄されている。だれも「トイレのないマンション」に住みたいとは思わないだろう。
ーーと、まあ、これらはいずれも私が本ブログでこれまで述べてきたことの焼き直しでしかない。読者の受けはともかく、書き手である私には、書く歓びや新鮮さはほぼ皆無で、キーボードを打つ私の指は、坦々と事務作業をこなす労働者のアンニュイを感じるばかりである。まあ、所詮は暇つぶしが目的で始めた手遊(すさ)びだからなあ・・・。
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