朝の防災放送が「天候不良の為、高速船欠航」と告げた。明日は発たなければならない。那覇にもう1泊して、体内の窒素ガスを抜くために24時間経過しないと減圧する飛行機に乗れない。明後日福岡に戻り、一日置いて娘はロスに旅立つ。だから、今日のダイビングは貴重だった。
「9時半に、港で待ってます」
波高3メートルでも、島が防波堤となり安全に潜れるスポットがある。8年前と同じ「アダン下」のスポットまでは、「夕空(ゆうあ)号」で5分。慶良間諸島は、到る所にダイビング・スポットがある。大きなうねりを乗り切って島陰にはいり、装具を付けてエントリーした。昨日とは嘘のように浮力調整がうまくいき、耳抜きを繰り返しながら16メートルの海に潜っていった。中性浮力が整えば、あとは呼吸の深浅で微調整して気儘に海中を浮遊出来る。
珊瑚が復活していた!色とりどりの珊瑚礁に濃い魚影が舞い、時を忘れた。呼吸さえ意識しなくなり、陶然と漂う別世界だった。Kさんと娘が見守ってくれる安心感がある。この美しい静寂は、おそらく今までで最高のダイビングと言えるだろう。珊瑚礁の上を自分までが魚になったように、舞い漂い、酔い痴れ、喜びに包まれながら浮遊し続けた。
Kさんのボードに「残圧が少なくなってます。そろそろ上がりましょう」と書かれるまで、いつまでも名残りを惜しんでいた。
「まだまだ、潜れるかもしれない」……そんな思いでときめきながら、港に戻った。
その夜、Kさんが友人の沖縄料理の店に一席設けてくれた。心地よいダイビングの後のビールは極上!Kさんが創作した料理なども含め、座間味最後の夜に相応しいご馳走だった。
寡黙なKさんが、これからの生き方を語り始めた。商売として、この仕事を続けたくない。35歳になり、半年悩んで自分なりの結論を出した。常連の馴染客と初心者を相手に、座間味の自然を守っていきたい、という。結婚を決め、11月に結納を済ませに豊後竹田に行くけど、実は、もう赤ちゃんがお腹に宿っている……よしよし、現代風・沖縄風で微笑ましいではないか。
さすがに、この席をご馳走になるわけにはいかない。実は、家内帯同のプランだったから、現金を二人で分け持っていた。前日夕方のドクターストップだったから、慌てて家内に預けた現金を受け取らないままに旅立ってしまった。カードが効かない座間味島、Kさんに事情を話したら、「後払いの郵便振り込みでいいですよ」と言ってくれた。お土産の現金にも不安を残しながらの旅だったから、本当に助かった。
(帰宅後の振込みで、「海亀と珊瑚の保護基金」として1万円上乗せさせてもらった。優しかった座間味の海への、ささやかな感謝の気持ちだった。家内も、大賛成してくれた)
最後の「ゆんたく」を楽しみ、星空に別れを告げた。
翌朝、Iさんご夫妻とKさんの見送りを受けて「クイーン座間味」で島を後にした。波は穏やかに鎮まっていた。
帰り着いた泊港に、アジア系とおぼしきクルーズ船が2隻も停泊していて、いやな予感がした。
糸満のリゾートホテルに荷物を置いて、国際通りから平和通に抜け、公設市場でシャコガイと赤貝を刺身に引いてもらって、2楷の食堂でお昼を摂った。ほぼ全席、アジア系観光客で埋め尽くされているのに唖然…やっぱり!
「アバサー(ハリセンボン)の味噌汁」で締めくくって、壺屋の「やちむん(焼き物)通り」の馴染みの店・A商店で家内のお茶碗を買い替え、平和通りで土産物を整え、ホテルで壮大な夕日を見送って……こうして、沖縄の旅が終わった。お互いを気遣いながら、主治医に預けた病室の家内とメールを交わして、状況を確かめ合う緊張の旅だった。
帰り着いた37度の太宰府、立秋を過ぎるのを待っていたように、ツクツクボウシが鳴き、夕闇でカネタタキがチンチンと鐘を鳴らした。猛暑に埋もれて見えないところで、小さな秋が芽生えている。
家内と病室で別れを惜しんで、二日後に娘はロスに帰って行った。横浜の長女から届いた「ほんの気持ちです」というマスカットを求肥で包んだお菓子をつまみながら、暫く孤老の夏の日々が続く。
我が家の夏が終わった。家内も間もなく退院できるだろう。穏やかに秋を迎えることを祈りながら、灼熱の日差しを叩きつける空を見上げていた
(2016年8月:写真:糸満の夕映え)