蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

不思議な縁に雪舞う

2006年01月06日 | つれづれに

 飽食のお正月が終わって日常が帰ってきた。1月5日小寒の朝、折から降り始めた霙混じり雨の中を、2度目のお詣りに家内と天満宮に出掛けた。大安吉日にこだわって、今日は東京に住むあるお嬢さんの中学入試合格祈願のお札を代理で受ける。
 吹く風は冷たいのに、三が日を過ぎても初詣の雑踏はまだおさまっていない。店々で焼く梅が枝餅の鉄板のかすかな温もりを慕って参道の雑踏を分けた。歩くほどに霙が雪に変わっていく。本殿の脇の受付で祈願の申込みを書き、顔なじみの祢宜と「今年は梅の開花が遅れそうですね」と新年の挨拶を交わしながら順番を待った。
 昇殿して鏡の向こうの天神様に一礼し、賽銭のチャリンという音を後ろに聴きながら神官の祝詞に頭を垂れる。祝詞の中に2度繰り返された名前を確かめ、お祓いを受けて2礼2拍手1礼の作法で祈願を終えた。
 内庭に降り立ち、梅の花を散らした盃で御神酒をいただいて帰る道は、いつの間にか激しく降りしきる雪だった。
 不思議な人の縁である。いただいたお札は、実は私が小学校時代の初恋の人のお孫さんのものである。一緒に学芸会の舞台に立ったり、放課後の校舎を手を繋いで歩くだけの幼い恋は、中学への進路が変わると共にあっけなく終わった。自分でもいまだに解らない理由で絶交の手紙を送って、以来再会までの51年間、それぞれの人生の軌跡の中で、幼く小さな初恋の花火は記憶の底に静かに埋もれていった。
 先年、思いがけず51年振りに同級生を交えて会う機会を得て、小学校の校庭を歩いた。もう藤棚だけしか昔の面影のない校庭だったが、思い出の扉が一気に開いた。
 彼女は暖かく優しい雰囲気漂う医大教授夫人、そして乾いた歯切れ良い文章と冷徹な目線を持つエッセイストとして名を成していた。以来、幾つかの本やエッセイをいただいたり買ったりして彼女の世界に入っていくうちに、家内がすっかりファンになってしまった。家族ぐるみのお付き合いとなり、そして今では私以上に親しい友人として、家内はパソコンを通じ親交を深めている。そんな家内の度量も又見事である。
 お孫さんの入試の話を知って、家内が合格祈願の代理受領を思いついた。折り返し届いた手紙のいつもながら溜息が出るような水茎のあとに、どちらかと言えば悪筆の私達は凍り付いた。お札に天満宮グッズを添えて送り出す荷物の添え書きの手紙を、いったいどちらが書けばいいのだろう!「貴方の初恋の人でしょ!」とからかう家内に、「荷造りと出荷は僕がするから!」といち早く逃げて家内に一任、いつもなら「手紙は中身が勝負よ!」とためらいなく書き進む家内が、緊張しまくって文言や字句にこだわっているからおかしい。
 この日、家内は誕生日を迎えた。これから2週間だけ同い年の日々を重ね、やがて私が又一足先に1里塚を立てる。明けた翌日、太宰府は真っ白な雪景色だった。
        (2006年1月:写真:積雪5センチの庭)

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