例年になく暖かい大晦日だった。我が家恒例の越年は、大宰府天満宮の傍らにある古刹・光明寺の除夜の鐘を撞くことでけじめをつける。昨年、鐘撞きデビューをした孫も今年は帰って来ない。家内と二人だけの淋しい越年となった。
かじかむ手をポケットで暖め、列に並んだ若者と言葉を交わしながら午前零時を待った。暗闇の彼方から早くも宵参りのざわめきが次第に高まってくる。合掌の後、家内が42番、私が43番の鐘を撞いて、払いきれない108つの煩悩を払う。夜空に煌めく篝火の火の粉を揺らしながら、沁みいるような余韻が響いた。余韻の中に今年の息災を祈って今年が始まった。
一夜明けて、少し甘めのお屠蘇で新年を祝う。娘達も孫達もいない新年、大袈裟な2段重のお節料理はやめて、好きな物だけを並べた。大分・臼杵石仏群の傍らの窯元で見付けた徳利に、盃は秋の「奥の細道を訪ねる旅」で見付けた東北・立石(りゅうしゃく)寺麓の山寺焼きのぐい呑み、酒は剣菱の熱燗。肴は大分からいただいたモイカを博多名産の辛子明太で和えたもの(肉厚のモイカは糸造りと言うより豪快な短冊切りの風。甘みと明太の辛みが絶妙に絡む)、好物の数の子、頂き物の蕪で作った酢蕪、そして極めつけは私には欠かせない家内手作りのしめ鯖(締めて2日目の鯖は中味がまだ生々しく、虹色に輝いてまさに逸品。アレルギーで口に出来ない家内の垂涎をよそ目に、一人で1匹食べ上げる)、傍らには南部鉄を入れて煮込んだ丹波の黒豆が漆黒の照りで盛られている。もうこれだけで言うことはない。
雑煮は母の博多風と父の関東風をない交ぜにした我が家風。鰹と昆布だし、これに水出しした椎茸だしを加えた澄まし汁に、湯で延べた角餅、博多独特のカツオ菜、蒲鉾、臼杵の肉厚どんこ椎茸、だし巻がはいる。さて、ここから家内と私の雑煮椀は袂を分かつ。博多女の家内はその上に湯通しした鯛の切り身を載せて、博多雑煮の片鱗を楽しむ。本当はアラという高級魚を使うのだが、今回はやはり大分から届いた鯛を載せた。私の椀には鰹節ともみ海苔を散らす。味と香りのコントラストはこれも絶妙である。
こうして飽食の三日間の至福が始まる。母から受け継いだ我が家の味を家内が見事に昇華させ、これ以上はない味を完成させた。料理は我が家が一番旨い。それ故に私は、外食やよその家でご馳走になるのを好まなくなってしまった。結果として、美味しい物を食べに連れていってもらう機会が乏しくなった家内は恵まれないことになる。幸せの向こうに、実は「もうお節なんて作りたくない。温泉に行って上げ膳据え膳のお正月がした~い!」という家内の切実な叫びが秘められているのだ。
先年、その叫びに応えてクリスマスからロスの次女のもとに脱出した。暖かいビーチでシャンペンを抜いてカウント・ダウンを楽しんだのだが、娘の友人のCBS放送に勤める友人のポールがガールフレンドのレスリーを連れて、「日本のお節を楽しみたい」とやってくることになった。日本食のスーパーに高速を走り、食材を整えて大わらわでお節料理を作る羽目になってしまい、「ロスに来てまで…こんな筈じゃなかったのに!」とぼやきながら家内は台所に立った。(ロスで総ての食材が揃うこと自体が驚異であった。)
ワイン片手にやって来た彼等を辛口の熱燗でもてなしながら、お屠蘇から始まる料理の数々を娘の通訳で説明していった。初めて口にする日本のお節を、彼等は総てに箸を付けて楽しんでくれた。こうして家内の夢は呆気なく潰えたのだった。
そうだ、松が取れたら、臼杵の河豚を食べに行こう。高速を2時間半走ると、臼杵の海辺の鄙びた宿に着く。朝食付き素泊まり4000円の宿で1万円の河豚コースの夕食を頼むと、溜息が出るほどの量で河豚尽くしの料理が並ぶ。尺皿に並ぶ河豚の薄作りは半端じゃない。厚みを加味すると、都会の3万円コースの4倍はある。しかもここでは、他では食えない肝が出る。肝を溶いたポン酢に小ネギを巻いた刺身を漬けて豪快にむさぼる快感!だから、この宿は気に入った人にしか教えないことにしている。
幸せの向こうには、やはり幸せがふさわしい。飽食を楽しむ煩悩、こればかりは除夜の鐘でも払えない。いや、決して払いたくない煩悩である。
(2006年1月:写真:我が家の食卓)
あたくし「ふたりっきりだし温泉にでも」
夫さん「うちの雑煮やおせちが一番美味しいもんなあ、」
・・・で結局はふっくら艶々黒豆に始まる例によって例の如しの迎春準備。若向き御節は省略。
こうしてエッセイでまで上手くヨイショされてしまうと、連れ合いたるもの、来年も「今年もまたかくてありなん」と台所に立っていることでしょう。
(注)正月準備逃避行のアメリカへは、せめてお雑煮などだけはと、丹波の黒豆:どんこ椎茸:羅臼昆布などは持参したのだが。
何故か三段重を持っていた(プラスチックだが)娘。ちょっと日本人としての見栄を張って娘と二人奮闘。アメリカの人に感嘆の声を上げさせてしまったのでした。