蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

霧氷探訪

2006年02月04日 | つれづれに

 吐く息が白く寒風に溶けた。軽アイゼンが凍てついた氷雪を噛み、先程まで動きが取れなかった山靴が嘘のように、大地をしっかりと捉えて離さない。山屋の正昭さんが貸してくれた予備のアイゼンは、初めての冬山を歩く身にとって何よりもの助っ人だった。尾根道の傍らにビッシリと立つ霜柱はおよそ10センチ、その林立をサクサクと踏みしめていく。牧の戸峠に車を置き、防寒着に身を固めてストックを手に登山道に取り付いたのは午前10時だった。沓掛山(1505メートル)山頂の温度計は氷点下5度、折からの北風が冬木立に隙間なく霧氷の花を咲かせ、辺り一面夢のような世界だった。
 立春を目前に突然春のような陽気が数日続いた。再びの寒の戻りという予報に、誘われて霧氷探訪を決めた。北又は北西の風、気温氷点下5度以下、霧……三拍子揃った気象条件に期待して、前日朝7時に太宰府を発った。車の中でおにぎりを食べながら、高速道を一気に湯布院まで走り、由布岳(1584メートル)の麓を巻いて別府郊外・鶴見岳(1375メートル)のロープウエー乗り場に着いたのが9時過ぎ。好天の日差しはあっと云う間に霧氷を消してしまう。日の当たらない北西面に早く取り付こうという計画だった。
 全長1.8キロの急斜面を、101人乗りのゴンドラが僅か10分で山上に運んでくれる。そこから10分の登りで山頂。係員の「今日は出ていませんよ」という言葉を裏切って、山頂北西面は真白な霧氷だった。期待したほど濃密ではなかったが、木々の枝先に伸びる「エビのしっぽ」は1センチ近く、早朝のドライブに報いるには十分だった。明日からこの冬1、2を争う寒波が来る。熱いココアを淹れて身体を暖めながら、翌朝への期待を膨らませた。
 行きつけの湯布院のペンションMで昼食を摂り、やまなみハイウェーを長者原まで駆け戻って、湯坪温泉のK館に早めに投宿。夜半、天頂に輝くオリオン座を見上げながら、お気に入りの露天風呂でゆったりと脚を伸ばした。急速に気温を下げる夜気に、白い湯気が一段と濃密に湯船を包む。朝、遠く僅かに望める黒岳(1565メートル)の頂が白ければ、牧の戸の霧氷は大丈夫、とK館の女将が教えてくれた。その夜の眠りは、期待に煽られたのか短く浅かった。
 翌朝、牧の戸峠から見上げた沓掛山は全山真っ白に装っていた。感動の一瞬だった。昨日の鶴見岳の乏しい霧氷の記憶が文字通り雲散霧消する。数年前、3月末の戻り寒波で、思いがけず満開のマンサクの黄色い花を覆う霧氷を見た。しかし、厳冬期のこれほど見事に輝く霧氷は初めてだった。葉を落とした冬木立に伸びる「エビのしっぽ」も美しいけれども、ミッシリと赤みがかった蕾を付けた馬酔木を飾る霧氷の風情は喩えようがない。霧氷の先で小さく身を縮める新芽の可憐さ。その足元には、艶やかに葉を光らせるイワカガミの群落がある。粉雪と時たまの烈風を浴びながら尾根を行き来した2時間、限りない至福の時が流れた。小さな窪みに風をよけてコーヒーをたてる。睫毛に絡まる湯気に目を細めながら仰ぐ峰々を、濃い霧が覆っていく。耳たぶを刺すような風の冷たさが心地よかった。下山途中、僅か2時間の間に一段と育って薄い氷の板となった霧氷を、そっと舌先に搦めてみた。何故か、ほのぼのと嬉しい一瞬だった。
 節分のこの日、勢いを取り戻した冬将軍が猛々しく日本列島に襲いかかった。
        (2006年2月:写真:沓掛山頂の霧氷)
 

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