蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

雨やまず……

2015年04月05日 | 季節の便り・虫篇

 庭先に降り立った足元から、小さな虹が飛んだ。
 此処数年、我が家の庭で世代交代を重ねている斑猫(ハンミョウ)が、束の間の雨の切れ目に還ってきた。ミチオシエ(道教え)、誰もが夏の熱い日差しの下、導かれたことのある親しい虫である。
 まだ生まれて間もない初々しいデビューなのだろう、いつもの敏捷な動きはなく、たどたどしく頼りなげな飛び方で、カーポートの屋根にしがみついた。3年前の2月、厳冬の合間に束の間迎えた小春日の朝、我が家の庭に誕生して以来、2匹のハンミョウが住み着いて世代交代を重ねている。夏の間、いつも縺れ遊ぶ2匹が、苛烈な夏の日差しを美しく七色に弾き返してくれる。

 満開を待っていたように激しい雨が桜を叩き、御笠川添い2000本の並木も既に葉桜。降ってはやむ雨の日々が既に6日続いている。昨夜の皆既日食も重い雲の彼方だった。
 気温だけが暦を1ヶ月早取りした初夏のような暖かさに、草花の芽生えが加速している。早春のミスミソウは終わり、六光星のようなハナニラが真っ盛りである。気儘に生い茂らせているムラサキケマンは既に盛りを過ぎた。昨年いただいたムラサキが、古株の中から3本の新芽を伸ばし、オトメギボウシ、ヒメミズギボウシ、ウバタケギボウシも芽生えた。キレンゲショウマが伸びる傍らで、バイカイカリソウが蕾を立てた。種を飛ばした幾種類ものスミレが咲く中で、白地に紫の斑点を散らすシボリスミレも幾つもの鉢に間借りして花を拡げている。鉢を並べていると、お互いに間借りし合うように広がっていくのが楽しい。
 今年の春は急ぎ足である。

 県知事・県議会議員の選挙が始まった。組織を恫喝しながら、違反ギリギリのあくどい事前運動を繰り返す候補者と、その後ろに蠢くどす黒い影に辟易して、早々に期日前投票に出掛けた。旧態にしがみつく進化しない町……この国の縮図である。語る気力ももう喪われつつあるが、孫たちが生きる時代への危惧は薄れることがない。

 先日、3拍4日の慌ただしい旅をした。春を車窓に楽しもうと、敢えて新横浜まで5時間の新幹線に乗った。駅弁を楽しみ、右頬を隠した残雪光る富士山も観た。娘の家に荷物を置いて、その夜は孫二人の吹奏楽定期演奏会に大船に走った。長女は、この日のホルンの演奏を最後に多摩美大に進学し、高校に進んだ次女は引き続きファゴットを吹き続ける。大勢のOB.OGたちと共に吹いた、チャイコフスキーの「大序曲1812年」は圧巻の演奏だった。
 翌日は家内と二人、歌舞伎座の4月公演「菅原伝授手習鑑」を昼夜通しで観た。昼の部は1階席でゆとりだったが、夜の部は3階席。本場の舞台で久し振りの声掛けを楽しんだものの、前の席と膝突き合わせる窮屈な座席に、腰と膝とお尻が悲鳴を上げた。
 明けて三日目、娘が春の南房総への旅でもてなしてくれた。二人の孫も連れ立ち、東京湾海底を走るアクアラインを抜けて、人工島「海ほたる」でランチを楽しんだ。海上ハイウエーを走って房総半島に渡り、木更津を経て鴨川のホテルに投宿。6階の展望大浴場で、夕映えに染まりながら足腰の疲れを癒した。孫たちと囲む夕餉の楽しさは譬えようがなかった。この子たちの明日を見守ることが出来る歳月は、もうそれほど長くない。5つ並べた布団で孫たちの寝息を聴きながら、想いは複雑だった。
 翌日、九十九里浜で潮風に浸った。入社した年、船橋の洗濯機工場で3週間の見習い実習を受けた時、教育課長が真冬の一日、成田山新勝寺、犬吠岬、九十九里浜に連れて行ってくれた。以来、半世紀振りの訪問だった。高村光太郎の「千鳥と遊ぶ智恵子」の詩碑を、暖かい春の潮風が優しく吹き過ぎていた。
 牡蠣打ち小屋で焼き牡蠣や焼きハマグリ、釜上げシラス丼でお昼を済ませ、娘夫婦の厚意に甘えて成田からマイレージを使って帰途に就いた。夕暮れの富士山のお鉢を翼の下に見ながら、慌ただしい「孫たちといた時間」に感慨は深かった。いろいろ未来を思い悩んでも、もう私たちに出来ることはあまりない。

 今夜から又雨が来る。やまぬ雨を重ねながら、急ぎ足で春が深まっていく。たどたどしいハンミョウの飛翔も、日毎に巧みさを増すことだろう。
               (2015年4月:写真:還ってきたハンミョウ)

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