蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

近づく足音……霜月

2015年11月01日 | つれづれに

 ハロウインの夜が明けて、薄墨色の曇り空から時折日差しを漏れこぼして11月が来た。

 カレンダーを1枚めくり、残り少ない今年に、2か月半ほどに迫った喜寿を思う。
 草書体の七十七、世の中を真正面から見詰める青春が楷書だとすれば、紆余曲折の経験を積んで世の中を少し斜に見るようになった行書体の熟年を経て、何事も素直には読めない草書体の世代真っ只中にはいったという事だろう。

 今年も町内の子供たちが思い思いの紛争を凝らし、「Trick or Treat!」と可愛く叫びながら夕闇の玄関先にやって来た。付き添うお父さんは「ダースベーダ―」、お母さんは「魔女のキキ」、迎える私は「宇宙人」。
 昨年は、鼠色の顔に大きく裂けた目と2本の角を生やした宇宙人の仮面を怖がって泣きだした子供もいた。ちょっとためらっていたら、子供会のお母さんが「今年も、思いっ切り怖がらせてください!」とお許しが出て、遠く公民館から近付いてくる子供たちの歓声を待っていた。
 掌の中には、アメリカで買って来た「怖がらせグッヅ」……「イーヒッヒッヒッヒ!」と叫ぶ小さなジャック、オー・ランタンと「ミャ-ミャー!」と鳴きながら鋭い光を放つ黒猫を隠し持っている。
 今年も大騒ぎの玄関口となった。大成功!

 お菓子を配った後、公民館のハロウイン・パーティーに招かれ、24人の子供たちとお弁当をいただいた。玄関先で逃げて行ったキキに扮した女の子と、宇宙人のマスクで人差し指を触れ合わせる挨拶を交わす。サヨナラする頃には、宇宙人の正体を知った子供たちが、思い思いにハイタッチして送り出してくれた。(クリスマス会には、白い髭を生やしたサンタクロースに変身する。)

 子供会が崩壊しつつある町も増えているというのに、この地区は100%の加入率を誇る。働くお母さんが増えて、役員の人たちにはそれなりの苦労もあるようだが、こうして子供たちの想い出づくりが重ねられているのは嬉しい。
 自治会長をやっていた頃「大人の都合で、子供たちの想い出づくりの邪魔をしないでほしい」と訴えてきた。主旨を汲んでくれたお母さんやお父さんの協力で「夏休み平成おもしろ塾」を12年続けた。大正琴、生け花、お点前、お習字、飯盒炊爨、西瓜割……盛りだくさんの遊びを盛り込んだ熟だった。社会人となった塾生たちが、今も顔を見たら声を掛けてくれる。私の宝物である。

 親子そろって扮装を楽しみ、地域の仲間たちと騒ぎ合う姿は微笑ましくていい。しかし、頭の軽そうな若者たちが扮装して街中で騒ぎまわり、ゴミを捨て散らす姿には些か違和感がある。古代ケルト人の秋の収穫祭、悪霊などを追い出す宗教的な行事を起源とされるハロウインが、いつから仮想大会みたいになってしまったのだろう?それはそれでいい。しかし、最低限のルールやけじめはあって然るべきだろう。
 頭の軽さだけが鬱陶しく感じられたニュースの中で、夜更けに散らかったゴミを回収するボランティアの姿を見て、少し気持ちが和んだ。

 霜月…かぐらづき(神楽月)、かみきづき(神帰月)、けんしげつ(建子月)、こげつ(辜月)、しもふりづき(霜降月)、しもみづき(霜見月)、てんしょうげつ(天正月)、ゆきまちづき(雪待月)、ようふく(陽復)、りゅうせんげつ(竜潜月)…さまざまな異名を持つ月である。
 気持ちの奥に、師走の慌ただしさを予感するざわつきがある。2016年の手帳を買い、年賀状を注文し、暖房カーペットを敷いてガスストーブを出し……半袖から長袖に肌着を替えて、数日前から吹き始めた晩秋とも初冬とも取れる風に備えた。

 今年は例年になく、たくさんの藪柑子が実を着けた。地面すれすれに5ミリほどの実を庭中に散りばめ、マクロレンズを嚙ませたカメラを近付けると、精一杯真っ赤な輝きで主張する。小さいが故の眩しさ、こんな発見があるから、カメラ片手に這いつくばる楽しみは尽きない。
 今夜は雨になる。耳を澄ませば、そろそろ冬将軍の先触れの足音が聞こえる季節である。
                     (2015年11月:写真:ヤブコウジ)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿