蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

人生ゲーム

2011年05月06日 | つれづれに

 夜更け、石穴神社の深い森でフクロウが鳴いた。「ホウ、ホウ、ホホッホ、ホッホ」と聴こえる鳴き声も、聴く人によって表現は様々である。図鑑を開くと「ゴロスケ、ホッホ」「ウォウォ、ゴロスケコーホー」と表記されている。緑深いこの森があるから、蟋蟀庵の趣がある。久し振りの訪れだった。「まだ、いたんだ!」…懐かしくて、しばらく闇の中に佇んで耳を澄ませた。
 娘達が、まだ中高生の頃だっただろうか、部活のトレーニングを兼ねて冬の早朝ランニングをやっていた時期があった。熟睡している娘達を起こし、真っ暗な冷気の中を天満宮の境内まで走り、弾む息を宥めながら体操していた時、天神の杜でフクロウが鳴いた。

 連休中日、横浜から長女一家がやって来た。余震が続く街を逃れ、揺れない夜を温泉で寛ぎながら爆睡したい!おばあちゃんの快気祝いと、母の日のお祝いもしたい。…娘婿は文字通り東奔西走の海外出張が続き、時差ぼけで疲れ果て、ひたすら眠りたいことだろう。…盛りだくさんの意味合いを籠めて空港のゲートを出て来たとき、下の孫は「ジージと一緒にやるんだ!」と、大きな「人生ゲーム」の箱を大事そうに抱えていた。中学3年生と小学校6年、1年2ヶ月の時の流れは、子供の成長を驚異的に見せる
 視界5キロの濃い黄砂の中を、その日のうちに原鶴温泉に走った。大渋滞の高速道を尻目に、閑散とした裏道をスイスイと走る。6人は車の定員を超える。娘と上の孫は、鹿児島本線から久大線を乗り継ぎ、都会では珍しい一両編成のローカル電車の旅を楽しんだ。

 熟年期をひた走る娘達、あとで考えると信じられないような厳しい毎日を、当たり前のようにさりげなく生きている時である。
  「疲れたら休んでもいいんだよ。まだまだ長い人生が残っているんだから。自分を大事にして、流れに逆らわずに生きて行きなよ」
 そう心で声を掛けながら遠くで見守る私達は、既に人生の玄冬期にある。青春は遠く想い出の中に薄れ行き、娘達と同じ朱夏の季節は、ひたすら走り続けた。白秋の時節に現役を去り、ようやくススキの原に穏やかで真っ直ぐな自分の道を見出した。振り返れば、足跡は時に深く、時に浅く、時に乱れて道を踏み外しながら、連綿と続いている。悔いはいっぱいあるけれども、もう辿り直すことは出来ないし、路傍の花を愛で、景色を記憶に残しながら、残された短い道のりを辿るばかりである。やがて、玄武(亀)の背に乗って、静かに彼岸に渡る時が来るだろう。これが私達の「人生ゲーム」のゴールである。
 地球上の分子の数は、殆ど変っていないという。私自身の分子も、やがて姿を変え、違う命を生きるのかもしれない。そこに、「来世」や「輪廻転生」の夢を見ながら、充実した今を大切に楽しみたいと思う。

 「人生ゲーム」は下の孫が圧勝。横浜でのリベンジを約束して、娘一家は原鶴温泉の湯煙で疲れを癒し、一夜を我が家で眠って、慌しく長崎へと旅立っていった。俄かにガランとした初夏の蟋蟀庵は、孫達が残していってくれたエネルギーで励まされながら、またジジババふたりの日々に戻った。

 夜更けの森に、闇を包み込みながらフクロウが鳴く。
             (2011年5月:写真:川面に見入る孫娘達)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿