蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

しめやかに 雨を招きて……

2015年09月05日 | 季節の便り・虫篇

 夕刻、ひっそりと雨が来た。
 そのしめやかな雨に濡れながら、食べ尽くされたパセリの茎に巻きつくように体を丸めて、小さな命が黄昏に消えて行った。

 2週間ほど前だったろうか、吹き始めた秋風にせかされるように、翅が破れかけたキアゲハが八朔の木陰を掠めるように流れて行った。多分その時に産み落とされた一粒の卵が孵ったのだろう、気が付いたら小振りながら既に黄緑と黒の縞にオレンジ色の斑点を散らした5齢まで育った1頭の幼虫が、僅かに食べ残されたパセリの葉を貪っていた。どう考えても無謀、このパセリでは5齢を全うして蛹になる見込みは殆どなかった。

 二つのプランターを行き来しながら、それでも残った葉で何とか命を繋いでいた。気にかかりながら、それ以上に我が家にもっと大きな気がかりがあって、ついつい失念していた。
 今朝、全ての葉を食べ尽くした幼虫が、隣りに置いたオキナワスズメウリのプランターまで移動して、しきりに首を振りながら餌を探しているのに気付いた。
 この季節、もう苗は売っていない。一縷の望みを託して近所の畑にパセリを探した。ニンジンを探した。しかし見当たらずに、僅かな期待と大きな不安を抱きながら已む無くスーパーからパセリの束を買い求めてきた。何度も水洗いして、残っているかもしれない農薬を洗い落とし、小さな一輪挿しに挿してプランターに置き、その上にそっと幼虫を移した。終齢幼虫にしては随分小振りなのに加えて、少し動きが悪いのを気にしながら、所用で暫く留守にした。
 
 雨の匂いが濃くなった夕刻、家に戻った。しかし、買い求めたパセリを食べた気配もなく、再び茎だけになったプランターに戻った幼虫が、パセリの茎に下半身をしがみつかせたまま二つ折になってうな垂れていた。なすすべもなく見守る中、やがて茎から剥がれるように落ちて動かなくなった。
 降り始めた雨の中に、ひっそりとひとつの命が喪われた。

 人間一人当たり5億匹の昆虫という個体数の比較など、ここでは意味をなさない。今の私にとっては、間違いなく一人対一頭の、均しい重みをもつ命だった。

    都に雨の降るごとく  わが心にも涙ふる…
 ヴェルレーヌの詩が、ふと心をよぎる。

    しめやかに雨を招きて 吹く風は秋の色なり…
 高校時代に書いた「初秋」という拙い詩の一説が蘇る。

 自然の摂理に掉さす無謀は何度も経験していても、現実に目の前に命の危機が見えていたら、やっぱり何とかしてやりたいと思う。そして、絶望する。
 わかりきったことなのに、今日もすっかり気落ちしている自分がいた。

 ミズヒキソウが、米粒ほどの真っ赤な花を並べて風に揺れながら、小さな命が消えるのを見守っていた。 
 ヤブランが紫の花穂を林立させ、ヒメミズギボウシがみっしりと咲き誇り、ホトトギスも開き始めて、秋が確かな色を見せ始めた。

 少し物哀しい秋の訪れである。
                (2015年9月:写真:ミズヒキソウ)

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