この日を待っていたかのように、この朝庭の白梅が開き始めた。寒波が開花を遅らせ、例年先に咲く紅梅は、まだ硬い蕾のままである。
あの日、たまたま点けていたテレビで、街に襲い掛かる津波の凄絶な生中継を観て、九博ボランティアの五人会の仲間達に「すぐテレビ点けて!」とメールを送った。
今日は終日、「3・11から一年」の特番が流され続けている。思いも新たにこの一年を思う。懸命に生きる被災者達と支援を続ける人たちにとって、あまりにも積み残したことの多い一年だった。過激に憤りをこめて送ったメールに、仲間達から返信が届いた。
『一年前メールを頂いたときは、丁度キルトのお教室の最中でした。一年後の今日あの瞬間は、九博の荷解場でメンテの作業中です。
直接的には何も出来ませんが、精一杯生きることで何かの支援になればと思います。』(T)
『一年前の今日は、日本にいた人みんなが信じられない光景を目の当たりにしました。あれから一年。わかったことは、いろんな意味で、何があるか誰にもわからないということ。そして、積み重ねたつながりや新しい出会いでの新しいつながりが、必ず生まれるということでしょうか。
世間に対して、大きなことは出来ていませんが、私も与えられたものの中で、精いっぱい生きて、身近な社会でお役に立つことで、間接的にも支援につながれば幸いです。』(Y)
『月日の経つのは早いですね。昨年の3月11日は仕事中で、勤め先のテレビで映像を見ました。何が起きているのか実感がわかず、まるで映画を見ているようでした。あまりにも酷い現実でした。
あれから一年、少しずつですが着実に復興を遂げていく被災地に、こちらが励まされている気がします。お互いが出来ることを、助けあって行うことが大事ですね。頑張ろう、日本!』(S)
『あれから一年経ったのですね。早いような、長かったような…ちょうど一年前の事を、昨日のように覚えています。一年前のこの日も、福岡はすごくいいお天気でした。
ちょうど博多駅開業の一日前。地震が起きたその時間、私は会社ビルの屋上にいました。…明日の本番が楽しみだね、なんて、呑気なことを言いながら笑っていたのを覚えています。オフィスに戻ってきてメールを見て、急いでネット検索しました。あの日ニュースで見たあらゆる映像は、衝撃として私の心に未だ突き刺さったままです。
そしてあれから一年後の今、今日は日曜日ですが、一人出勤しています。時間があれば、意識して同じ場所に立ってみようと思います。
生きている幸せ、笑っていられる幸せ、私が私でいることができる、あらゆる「今」に、感謝です。みんなにとってステキな一日でありますように。』(N)
それぞれに、それぞれの『3・11』がある。
被災者の一人がインタビューに答えた言葉が耳に残った。「もう援助しないで下さい。駄目な人間が増えます。…私達はいただくことに慣れてしまいました…。」
改めて思う。助けるって何だろう?遠く離れて、何不自由ない暮らしを続けている自分に出来ることは、いったい何だろう?
(2012年3月:写真:綻び始めた白梅)
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