蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

落ち葉の小舟

2019年12月14日 | 季節の便り・旅篇

 木枯らしが舞い降りて、湯気を螺旋状の渦に巻いて湯の上を転がす。離れの鄙びた部屋に備えられた湯船は総檜、大人二人が脚を延ばして浸れるほどに広い。
 1年振りの平山温泉だった。小さな山の斜面に、木立に包まれた露天風呂付き離れが点在し、琉球畳が敷き詰められた部屋は、チェックインが終われば、もう気兼ね要らずの静寂に包まれる。師走も半ば、木々は紅葉し木枯らしが落ち葉を散らしていた。

 アメリカから帰省した次女は、カミさんと二人で「牡丹燈籠!」と戯れながら、「カラーンコローン」と下駄を鳴らして、少し小高い所にある大露天風呂に浸かりに行った。1時間半のドライブに疲れた私は、部屋に付いた露天風呂で、のんびり独りを楽しむことにした。
 板塀に囲まれた露天風呂の脇には、柊南天と楓が伸びている。湯気に温まれるせいか、ここの楓はまだ紅葉もせず、黄色い葉をいっぱい付けたまま夕日に弄らせていた。
 板塀の外の橡が、風に載せて落ち菜を湯船に届けてくる。湯気に戯れながら、小さな小舟となって湯の表を漂っていた。掛け流しの湯が、小さなせせらぎを聴かせながら流れ去っていく。その湯音に癒されて、身じろぎもせずに湯船に横たわっていた。

 いつになくドライブに疲れていた。九州道を筑紫野ICから乗って南下する。1時間足らずの走りで、ナビは南関ICで降りるように指示するが、ここからだと山越えになるから、いつものように次の菊水ICまで走り抜ける。山鹿方面に下って、やがて左折して田舎道をしばらく走れば、もうそこが平山温泉。常宿のひとつ「湯の蔵」に着く。
 42度の源泉を、そのままかけ流しにしてあるが、寒い冬の露天は冷まされてややぬるめの湯になる。湯船に沈んで暫く馴染んでくると、もう少し熱めの湯が恋しくなる。そんな時には、壁のボタンを押すと、源泉をそのまま沸した熱湯が2分間吐口から注がれる仕組みである。
 滑らかな湯触りに癒されているうちに、うとうとと微睡んでいた。

 大露天風呂を満喫したカミさんと次女を伴い、「カラーンコローン」と下駄を鳴らしてお食事処に向かう。個室がそれぞれ用意され、気兼ねなく食事を楽しむことができる。アジア系団体が決して来ることのない、大人の隠れ宿である。
 (余談だが、洗浄トイレに音楽が仕掛けられており、聴こえてきたのがリストの「愛の夢」だったのには、思わずクスッときた。さすがに、訳ありカップルに相応しい選曲!そのほかは、ショパンの「ノクターン」、バッハの「G線上のアリア」だった。)
 食事は例によって年寄りには多すぎる。そして、凝り過ぎて素材の味を殺している感が強いが、板さんの頑張りだから許すことにしよう。絶品は、予め特有していた赤身の馬刺しだった。珍しく満室に近いお客の為に、料理を出すペースがやけに早い。途中から、少しペースを落とすよう頼んだ。
 白ワインのあと、温泉では必ず摂るようにしている地酒を、今夜は「ちよのその」と決めた。

 帰りに必ず用意してくれる夜食が、この宿の魅力の一つである。竹の皮を編んだ、藁屋根の田舎家風の籠に、お握りと沢庵が入っている。もう満腹で下も向けない状態なのに、寝る前になると必ず小腹が空く。お握りを食べ、再び部屋の露天風呂に入り、眠りに落ちた。
 次女は殆ど一晩中露天風呂を出入りしていた。カリフォルニアに永住を決め、アメリカ国籍に転じていても、日本の温泉には根深い執着があるらしい。

 夜明けの朝風呂は、大露天風呂と決めた。一人、坂道を上がると、朝風が切るように鋭い。(この日、山鹿市は氷点下2・5度だった。平山温泉辺りも、同じくらいの冷え込みだったのだろう。)
 広い岩風呂を独り占めして、師走の締めとした。

 帰路、大河ドラマ「いだてん」の金栗四三の生家や記念館をハシゴして、16時半、太宰府に無事帰着した。
 さぁ、いよいよ師走が「韋駄天走り」になる。
                  (2019年12月:写真:夜食のお握り)