蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

落ち葉の隠れ宿

2018年12月07日 | 季節の便り・旅篇

 乱調の季節の歩みを取り戻すように、一気に酷寒が来た。3日前の24.9度という異常な暖かさ!82年ぶりに12月の記録を塗り替えた日が嘘のように、7度の寒風が落ち葉を吹き散らせている。今夜は3度まで下がり、山では雪が舞うという。

 限度いっぱいに膨れ上がった23キロのスーツケース二つを預け、10キロほどの機内持ち込みキャリーケースを引いて、次女は無事にロサンゼルスに帰って行った。見送った淋しさよりも、疲労困憊して溜息を吐きながらベッドに倒れ込んだ一夜が明けて、ようやく2週間振りに老いた二人の日常が戻ってきた。2週間の慌ただしい帰国の締めは、雨に包まれた露天風呂の一夜だった。

 39度ほどの、私にはややぬるめの掛け流しの部屋付き露天風呂に沈む。いつまでも浸かっていたい心地よさに、股関節をねぎらって至福の時が流れた。
 枝先から滴り落ちる雨の雫が、ポトンポトンと小さな泡坊主を浮かべる。散り敷いた落ち葉を叩く雨音に、吐口から注ぐ湯の音も紛れて消える。時折、風に払われた落ち葉が湯の表に舞い落ちる。取り払うのも惜しくて、そのまま湯に漂うままにしていた。

 42度の源泉が、そのまま檜の湯船に注がれ、自然の風に冷やされて39度ほどになる。ぬるい時はボタンを押せば、2分間だけ熱湯が注がれるという。20度を超える季節外れの大気に丁度いい湯加減となって、疲れた私を柔らかに包み込んでくれた。カミさんと次女は、岩盤浴に出掛け、私一人が部屋の露天風呂をほしいままにした。

 筑紫野ICから九州道に乗り、小雨の中をスピードを控えめにしながら南下、菊水ICで降りて山鹿温泉方面に走り、途中から左折して田舎道を行くと、やがて平山温泉郷に着く。かねてから常宿の一つにしている宿に着いたのは、およそ1時間半後だった。
 片道85キロ、ふと思う。術後のドライブとしては、一番長い距離ではないか。オートマ車だから左足は使わないものの、座りっぱなしの1時間半は、それなりに股間に負担を与える。
 山の中の細く曲がった坂道の途中に幾つもの離れが建つこの宿、雨の中を下駄履きで坂道を上り下りして大浴場に行くのはちょっと不安もあり、それに面倒だった。だから選んだ、露天風呂付き離れのこの宿、肌を包む湯の温もりに陶然としながら、雨を聴いていた。

 湯上りの火照った身体を布団に包んで微睡むうちに、夕飯の時間が過ぎていた。岩盤浴からようやく戻ってきたカミさんと娘を連れて、お食事処に向かう。所々に灯された光に、葉の上に散り落ちた枯れ紅葉が輝くのも風情だった。
 そこそこに満足できる夕飯ではあったが、やや創作が過ぎ、素材本来の持ち味が消されている料理があり、少し残念だった。料理人の工夫したい気持ちはわかるが、素材の鮮度に恵まれた九州の宿は、やはり素材そのままで味わいたいと思う。遠く異郷の地で暮らし、日頃新鮮な和食には恵まれない娘だからこそ、本来の和食を食べさせたかったと思う。これも親心。
 しかし、この宿の優しさは、食後持ち帰る夜食にある。竹の皮で作られた、一見田舎の藁屋根の家に見立てた弁当箱に、お握りと沢庵が包まれている。夜更けの露天風呂から上がって、小腹が空いたところで頬張るお握りは、替えがたい味わいがあるのだ。

 一夜明けて、大浴場に向かったカミさんと娘をよそに、朝風呂も部屋付き露天風呂で済ませ、帰途に就いた。途中広川SAで買い物と昼食を済ませ、帰り着いた午後から、娘は帰国の為のパッキング作業に忙殺された。いつもの慌ただしい時間である。

 雨が少しずつ冷たくなっていった。娘との別れの時が近付いていた。
                 (2018年12月;写真:雨に濡れる枯れ紅葉)