蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

77歳の別れ

2016年01月19日 | つれづれに

 徒らに馬齢を重ね、とうとう喜寿を迎えた。本来は数え年で祝うものだが、今の日本は満年齢が定着し、若い人たちにとっては「数え年」は最早死語でしかないのだろう。
 還暦を現役で慌ただしく過ぎ、古稀を地域活動の中に迎え、今日喜寿に届いた。
 還暦や古稀のルーツは中国にあるが、この喜寿だけは日本にルーツを持つという。「喜」の字を草書体で書くと「㐂」、七と十七を重ねて「七十七」と呼んで長寿の祝とする。

     人生七十古來稀  人生七〇年 古来稀なり 
 
 杜甫が曲江の畔で詠んだ詩の一節に由来する古稀、その70歳の長寿を祝ったのがつい先頃のように思われるのに、加速する歳月は人を待たず、気が付けば既に喜寿。英語にも Time and tide wait for no man. という言葉があるように、時の流れに掉さすことがままならないのは万国同じである。
 古稀の還暦の祝いの色は赤、対して喜寿の祝の色が紫だという事を、アメリカの次女から届いた「喜寿の紫は、松潤のデジ・ストラップもらってね\(^o^)/ お守り代わりになるといいな〜!」という祝のメールで知った。
 因みに「デジ・ストラップ」とは、嵐のドーム・コンサート「DIGITARIAN」の会場に舞った銀テープを拾ってきた娘が、ストラップに加工して作った、松本潤カラーの一品限りの貴重な作品である。
 フェースブックや携帯メールにも、孫達や何人もの知人友人から過分のありがたいお祝いのメッセージが届いた。
 「忘れないでいてくれたんだ!」と実感で出来ることが、この歳になると何よりもの励ましになる。

 ところが……ところが、である。この日の朝、私は遅ればせの冬将軍の吐息に吹かれながら歯科医師のもとに呼ばれ、奥歯を1本抜歯する羽目になった。4本目の抜歯であり、残すところ24本である。
 十年以上前に大枚40万をはたいて、下顎の骨にチタンのビスを植え込み、インプラントという技法で人工歯を装着しているから、使える歯は都合25本、「8020(80歳の時に、自分の歯を20本残そう)」という運動には、なんとか応えられそうだが、ほかにも余命いくばくもない歯が少なくとも2本ある。
 抜歯の際に3本の歯根のうち1本が途中で折れ、ドリルやペンチで悪戦苦闘1時間、麻酔が効いているから痛みはないが、ギシギシ、ゴリゴリという音が顎骨から直接頭に響く。こうして、77年間酷使され、疲れ果てた歯に別れを告げた。
 鎮痛剤と抗生剤を服みながら流動食で一日を過ごすという、何とも切ない「77歳の別れ」だった。

 しかし、此処で懲りないのが後期高齢者の強かさ。77歳から歯(ハ=八)を抜いたから、実年齢69歳!若返って、しぶとく生きよう!と……些かこじつけがましい負け惜しみの戯言である。
 13日前にひとつ齢を重ねた家内と併せて、「上品なフレンチにしようか、豪勢な土佐料理にしようか」などと企てていた祝いの席も、当分お預けである。

 夜半、雨が雪に変わった。

 翌朝、積もるほどではなく、烈風に吹き飛ばされジュクジュクになった雪解け道を、滑らないように身を屈めながら消毒の為に歯科医のもとに赴いた。
 門柱の上で吠えるシーサーと、にこやかに笑むニコチャンマークの八朔が雪を被って寒そうに蹲っていた。
 本格的に冬将軍が居座る気配の中に、77歳が急ぎ足で時を刻み始めた。

 家内の究極の新薬84日間の服用も、あと8日で終わる。
                (2016年1月:写真:雪の朝寸景)

 <追記>
 書き終えたところで、家内からクレームがついた。「13日前に一つ齢を重ねた…云々」だと、「年上と誤解されるから、一つ年下と書いて!」と。
 女性にとっては、一歳でも歳は軽はずみに出来ないものらしい。こういうのを、「五十歩百歩」という。(呵呵)