蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

厳冬、鷲掴み

2014年12月19日 | 季節の便り・旅篇

 爆弾低気圧を引っ提げて、冬将軍が日本列島に襲い掛かった。北日本の豪雪は交通機関を混乱させ、雪下ろしに亡くなる高齢者の痛ましいニュースが流れる。南国九州も朝から烈風が吹き募り、時折小雪が舞った。

 久し振りにアメリカから帰国した次女夫婦のもてなしは、ショッピングに駆け回り、とんこつラーメンを啜り、鮨をつまみ……そして究極は勿論温泉での露天風呂である。
 1時間半の近場にありながら、玖珠川添いの天ケ瀬温泉は初お目見えだった。
 「豊後風土記」に曰く「伍馬山郡の南にあり、昔者、この山に土蜘蛛あり、名を五馬媛といひき。よりて五馬山といふ。飛鳥の淨御原の宮に御宇しし天皇の御代、戊寅の年に大きに地震りて、山岡避け崩えけり。この山の一峡崩え落ち、湯の泉処処より出でぬ。湯の気熾に熱く、飯を炊ぐに早く熟れり。ただ一処の湯は、その穴井に似たる口の径丈余、深さ浅さを知ることなし。水の色は紺の如く、つねには流れず。人の声を聞けば驚き慍りて泥埜を騰ぐること一丈余許なり。今、慍湯というはこれなり…」飛鳥・大和時代の678年に、大地震をきっかけに自然湧出し始めた高温・濃厚で効能抜群の温泉が、300年以上経た今でも玖珠川両岸で人々に親しまれ続けている、とある。
 今では稀になった混浴露天風呂が(多分)現存する、全国でも稀な温泉である。

 朝一番の情報では、大分道日田IC以東はチェーン規制が掛かっていた。これは下の国道をゆるゆる走るしかないかと諦めかけていたが、午後の出発直前の情報で、玖珠ICまで通行可能となった。
 風の中を走り出た。筑紫野ICから九州道に乗り、鳥栖から大分道に走り込む。時たま車体を揺する突風以外はさしたる不安もなく、80キロ規制の中を走り続けた。日田ICを過ぎる辺りから雪が舞い、路側帯に雪が目立つようになった。ナビに従い、天ケ瀬・高塚ICを出た。これが第一の失敗!天ケ瀬・高塚ICは、とんでもない山の中だった。いきなりの雪道が待っていた。幸い、路面は雪解け水でタイヤを滑らせることもなかったが、午前中だったら立ち往生しただろう。路側や田畑に積む雪景色を見ながら、曲がりくねった山道を慎重にアップダウンして国道に出るまで緊張を強いられた。
 ようやく国道に出て、少し西寄りの日田方面に走り戻った辺り、天ケ瀬温泉街から東に外れた国道沿いに、その宿・K閣はあった。これならば日田ICで降りて、玖珠川沿いの国道を東進すれば、雪や凍結の心配はなかった。心を持たないナビの限界、冬場の天ケ瀬・高塚ICは、決して利用するものではない。
 昔ながらの湯治場である。多くは期待していなかったが(部屋付き露天風呂の宿は、この年末なのに何処も満室。ようやく見つけたのが、貸切露天風呂付きのこの宿だった)室外岩風呂と露天風呂は寒さに尻込みし、内風呂に勇躍飛び込んだ。これが第二の失敗!
 「うゥ、ぬるいッ!」泉源から湯船に届く間に冷え切って、おそらく36度?出るに出られず、ひたすら膝を抱えて湯船に蹲る有様だった。シャワーを思い切り熱くして身体を温め、ほうほうのていで部屋に逃げ込んだ。(翌朝7時過ぎにはいった屋外の掛け流し露天風呂は41度ほどの快適な温度で、玖珠川の渓流の水音を聴きながら、ようやく温泉気分を満喫すること出来た。)
 夕飯はそれなりに納得。最高品質の豊後牛の霜降り肉に舌なめずりしてかぶりついた。これが第三の失敗!サシが回り過ぎて油がこってりで、食べ終わった後も暫く唇からギトギト感が消えなかった。
 翌朝、薄日が差す中を温泉街に走り、鄙びた静かな佇まいの中で足湯巡りを楽しんで、大山町の「木の花ガルテン」で100種類の田舎料理のバイキングを楽しみ、午後4時160キロの短いドライブを終えて無事に帰り着いた。
「ふぅ~!」

 一夜明けて、氷点下2.8度というこの冬一番の冷え込みに、庭の蹲踞につららが立った。滴り落ちる水が凍りつき、柄杓を鷲掴みするように氷柱が快晴の日差しに光る。ひと冬に2~3度見かける、これが太宰府の冬である。
 師走寒波がひとまず緩み、今日は洗濯ジジイの一日となった。
                (2014年12月:写真:柄杓を掴む氷柱)