蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

小春日の師走

2014年12月10日 | つれづれに

 「天気和暖にして、春に似たり。故に小春日という」(中国歳時記)

 残すところ3週間で今年が暮れる。利権・金権・権勢欲…民意を無視して右傾化に走る一党独裁の不穏な空気の中に、理不尽な解散から総選挙に逃げ込んだ空虚なパフォーマンス宰相のお蔭で、いつになく姦しい年の瀬になった。
 分断して右往左往する情けない野党の中に、選ぶに足る候補者が見当たらないままに、とにかく独裁政党の議員を一人でも減らすことだけを目的に、期日前投票に出掛けた。投票用紙に記入しながら、ただただ空虚感に苛まれる。
 期日前投票の理由の欄に、「14日は、吉良邸に討ち入るから、と書きたいネ!」と家内と戯言を交わしながら苦笑いする。「吉良邸」を「首相官邸」と置き換えれば、どれほど溜飲が下がることだろう。
 切れ目なく続く投票者の中に、小さな子供を連れた若夫婦がいたのを見て、少しホッとする。自分の将来がかかっていることに気付かない若者達は、他人事のように選挙から顔を背けて平然としている。多分、戦後最低の投票率になるのだろう。
 追い打ちをかけるように、テレビで恥ずかしげもなく「もう3年、一冊の本も読んでない」と誇らしげに嘯く若者の姿を見ながら、更に喪失感が強くなる。これが日本の実態と思えば、もう腹立たしささえ遠くなってしまう。そこに付け入ってほくそ笑んでいるのは、したり顔の宰相だろう。

 愚痴り、かこちながら、小春日の一日が過ぎていった。束の間の青空を背景に、庭の八朔が黄金色の輝きを増してきた。春の花の付き具合、散り落ちる花弁の少なさ…ずっと今年は裏作と諦めていた。小さな青い実の頃から、折に触れて葉陰の数を数えてきたが、せいぜい20個か30個だろうと諦めていた。
 秋が深まり、次第に色付き始めるにつれて、少しずつ緑の中で八朔の黄色い実が数を増してきた。毎年のことだが、緑の葉の中では数を見誤る。しっかりした輝きが、もう50個は数えられるようになった。多分、採り入れてみれば70個ぐらいにはなるだろう。こうして、今年も一喜一憂の八朔の季節が閉じようとしている。
 年が明けたら、また出入りの植木屋さんに頼んで収穫してもらうことにしよう。

 手の届かない枝先にひとつ、クマゼミの抜け殻がしがみついていた。連日雨続きの中に、呆気なく過ぎていった夏の小さな名残である。7月9日のヒグラシに始まったセミの羽化は、7月30日のクマゼミで128匹を数えて終った。多い日には11匹が、我が家の庭から飛び立っていった。短い夏だったが、夜毎の競演は、我が家にとって今までになく心沸き立つ日々だった。

 早めに書き終えてしまった280枚ほどの年賀状から、遅れて届く喪中欠礼の宛名を選り分けていく。11月に届いた親友の訃報はズシンとこたえた。親しかった二人の親友は、共に彼岸に渡ってしまった。
 彼との想い出は、全て中学時代に集約される。書に優れ、ソロバンの名手で、弁舌も爽やかだった彼。何をするにももう一人の親友と三人でつるみ、たくさんの思い出を作ってきた三年間。生徒会も部活も登山も、いつも一緒だった。
 近郊の海岸を三人でタカラガイを求めて這いずり回ったこと、久住登山で濃霧に巻かれて道を失い、足元の雨水の流れを追ってようやく法華院の山小屋に辿り着いたこと、二日間山小屋で雨に閉じ込められ、スケッチブックを切ってトランプと花札を作って遊びながら、源氏物語の「雨夜の品定め」を気取って女性論議を交わしたこと、お正月に貝原益軒の13代目の子孫だった彼の家に招かれ、益軒流の素朴なお雑煮をいただいたこと、彼の家に前夜から泊まり込んで、博多祇園山笠の早朝の追い山に青春の血を滾らせたこと…走馬灯のように、あの頃の彼の姿が彷彿する。

 昨日、運転免許更新に必要な「後期高齢者講習」を受けてきた。「今は、何年何月何日何時何分ですか?」という情けない質問から始まる「認知度テスト」を何とか92点で乗り切り、動体視力の衰えを実感して、夜間の運転は控えようと心を決めて、夕暮れの道を走り帰ってきた。

 小春日和の一日が過ぎて、夕闇と共に雨が来た。「行く年」でなく、「重ねた馬齢の重さ」を痛感する年の瀬である。
               (2014年12月:写真:小春日に輝く八朔)