蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

冬空に祈る

2014年01月06日 | つれづれに

 夜更けの夜空を見上げながら、遠く古刹・観世音寺の除夜の鐘を聴いた。静かな、本当に静かなお正月だった。
 二人だけの少し寂しい新年だが、久し振りに娘二人とそれぞれの年の瀬を送った年越しのあと、こうして穏やかに新年を迎えた幸せをしみじみと噛みしめている。
 思い切って手抜きして取り寄せたセブンイレブンのお屠蘇付きお節も、監修は能登・和倉温泉の老舗・加賀屋である。京風の優しい味付けと豊かな食材の彩りは完璧だった。二人で二段重を三が日で完食し、「これはいける!」と、多分来年も頼むことになりそうな雰囲気だった。

 おふくろ健在の頃から我が家のお正月に欠かせない「おでん」、牛筋とアキレスこそ省略したが、これだけはやはり手抜き出来なかった。母が彼岸に渡って21年も経つと、「おふくろの味」も、いつの間にか「女房の味」に変わって来ているのだが、今ではこれが極上の「我が家のおでん」の味わいである。暮れになると、そのことを知る町内の方々から、家庭菜園で大きく育った大根が二人では食べきれないほど何本も届く。三が日も終わって気が付いたら、既に2本を食べ切っていた。これに、蒟蒻、竹輪、丸天、ゆで卵が大鍋一杯に炊き込まれる。大晦日の試食から既に1週間、夕飯の主菜として食卓を豊かにしてくれていて、まだまだ飽きそうにない。夏以来失った体重3キロを一気に取り戻す勢いである。

 2日、小春日の日差しに誘われて太宰府天満宮に初詣に出かけた。徒歩片道15分、往復3000歩ほどの近場だが、右膝を痛めて以来2か月振りの遠出(?)だった。うららかな日差しに群れ集う初詣客の雑踏は半端じゃなかった。三日間で200万人という(いったい、誰がどうやって数えるのだろう?)、多分今年も全国8番目と思われる参拝客で溢れ、本殿までの行列は牛歩を越えて蝸牛の歩きである。
 古い「福かさね」(昨年は入院の為とうとう初詣に行けず、一昨年の辰年のままだった)を返納し、新しい「福かさね」を求めて、お参りは旧正月に持ち越すことにした。参道の雑踏を避け、九州国立博物館のエスカレーターを上り、友の会会員証を更新して、トピック展示「ロシアから見たアイヌ文化」を観て家路についた。

 今朝、左肩腱板断裂修復手術の、術後1年目の検診を受けた。「順調です」という主治医の言葉にホッとする、「これからも半年毎に診ていきますから」というありがたいケアの言葉をいただいた。「次回は、七夕の7月7日にしましょう」という粋な計らいである。
 膝と肩のリハビリを兼ねて、3週間ほど温泉湯治に出掛けることにした。PCとも暫く離れる。暖かい南九州の温泉で、浮世を離れて湯治三昧に浸ることにしよう。

 寝床にはいる前に、冬の夜空を見上げることが習慣になった。大気の汚れと都市化の灯りに妨げられて、夏はもう星空が見えない。
 ネットから写真を借りた。中天やや南、写真の右側中央に三つの星が並び、それを囲む4つの星を繋げると、鼓のような形が浮かび上がる。私にとっては、冬空の主役である「オリオン座」である。
 その「オリオン座」の左肩のやや赤みがかった星がベテルギウス、その左斜め下に一段と眩しく輝く「おおいぬ犬座」のシリウス、そこから左斜め上に光る「こいぬ座」のプロキオン、その三つを結ぶと巨大な正三角形が形作られる。見事な「冬の大三角」である。
 (因みに、「冬の大三角」のすぐ脇で一段と眩しく輝く星は木星。紛らわしいようだが、恒星は瞬き、惑星は瞬かない。これが星座を観る時のポイントとなる。)
 ……夜毎その位置を確かめ仰ぎ見てから、ヌクヌクのベッドに潜り込むのが、晴れた夜の私の日課になって久しい。時折、その闇の遠くでフクロウが鳴くこともある。

 決して多くは望まない。「小吉」と出たお御籤を分相応といただきながら、この一年の安寧を祈った。
       (2014年1月:写真:オリオン座と「冬の大三角」(ネットより借用)