蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

春、まだ遠く……

2014年01月24日 | 季節の便り・花篇

 雪解けのあとに、抜けるような青空が広がった。一気に気温が上がり、3月下旬……桜が開花する頃の気温になるという。

 暖房の効いた部屋の中と庭先をうろつくだけの冬籠りに倦んで、膝のリハビリも兼ねたウォーキングに出た。10時を過ぎたばかりの風はまだ冷たく、歩道の陽だまりを選んで歩く。
 いつも平地も階段も山道も同じペースで歩くことにしていたが、まだ時折痛みが走る右膝をいたわって、七掛けほどに抑えたリズムで歩みを進めた。無意識に庇うのか、何となくぎこちなさを感じながらの散策だった。
 10分ほどで五条橋を渡り、御笠川沿いの散策路を左に折れた。緩やかに蛇行する水面を走る風が、斜めに差す冬日を受けて縮緬の銀波を弾かせる。その浅い岸辺を、鶺鴒が小走りに駆けながら餌を探していた。それを覆うように大きな影を落として舞い降りたのは一羽の青鷺。岸辺に連なる桜並木の蕾はまだまだ固く、斜面に広がるオドリコソウには蕾さえ見当らない。期待したオオイヌノフグリも、まだどこにも咲いてはいなかった。

 そう、この道は1年前、入院先の病棟を抜け出し、左腕を三角巾で吊った上からコートを羽織って、寒風に吹かれながら何度も歩いた散策路である。左腕以外はいたって健康な身にとって、読書とテレビしかない66日間は、退屈しのぎにひたすら歩くしかなかった。1年を経て、もう殆ど不自由を感じないまでに回復したが、厳しく冷える夜には時折鈍い痛みが走ることもある。
 同じ散策路を、今年は膝を庇いつつ歩いている。時折出会う人と挨拶を交わしながら、水面を跳ね返す日差しの温もりに包まれてのんびりと歩いた。
 太宰府中央図書館の裏を過ぎ、ひとつ目の朱塗りの橋から右に折れる。信号を渡ると、そこは古刹・観世音寺の参道である。大晦日、遠く除夜の鐘を聴いた鐘楼を右に見ながら本殿に参ろうとしたところで、小銭入れを忘れてきたことに気付いた。やむなくお賽銭をあげずに参り、左に抜けて裏道に出た。春野菜の手入れをする人の姿を横目に左に道なりに辿れば、やがて大宰府政庁跡に着く。小春日に誘われた親子が、広い遺跡の広場で凧揚げを楽しんでいた。

 此処に、小さな春の先駆けを知らせる樹がある。錦糸卵のような黄色い花を咲かせる一本のシナマンサク。まだ五分咲き程度だったが、紛れもなく花開いて近付く春をしらせていた。四王寺山を後ろに、真っ青な空に黄色い花が冴える。携帯のカメラに収めたが、絵にするにはまだ少し早い。
 再び信号を渡り、朱雀大路を歩いて御笠川の散策路に戻った。歩くほどに身体が温まり、汗ばんだ頬を撫でる風が心地よかった。

 8,200歩。1時間40分の散策を終えて帰り着いた部屋は、暖かい日差しが溢れんばかりに満ちていた。このまま春になればいいのに……もう寒いのは嫌だな……そんな思いに駆られながら下り立った庭で、一段と青さを増した空をバックに、やがて満開を迎える蝋梅が眩しいほどに輝いていた。シナマンサクも蝋梅も、真っ青な空がよく似合う。
 束の間の小春日の安らぎ……まだまだ春は遠い。
          (2014年1月:写真:青空そして蝋梅)