蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

ふたつの誕生

2013年04月21日 | つれづれに

 旧秋11月3日、文化の日に博物館への階段の傍らで見付けたオオカマキリの卵が、5か月を経て4月19日に孵化した。数えきれないほどのカマキリが一斉に孵った筈なのに、気付いた時にはもう殆どが何処かへ歩き去り、卵塊には3匹が留まるだけだった。1センチ余りのちびっこカマキリが、いっぱしに小さな斧を振り上げて、粟粒のような目で睨み返してくる。小生意気な威嚇が、ほんのささやかな野生の逞しさを感じさせ、「無事で生き延びて大人になれよ」と励ましの声を掛けたくさせる。傍らの鉢で、薄紫のオダマキと白いタツナミソウが花開き始めた朝だった。
 ツクシシャクナゲは花時を終えた。コデマリが真っ盛りとなり、木陰でホウチャクソウとキバナホウチャクソウがランタンを下げた。季節は相変わらず初夏と初春を行ったり来たりしている。冬物もガスストーブもカーペットも、まだ片付けられない太宰府の営みである。
 今年は、白梅がみっしりと実を着けた。三年振りで梅酒を漬けよう。

 その日の夕刻、肩のリハビリで駐車場に車を停めたとき、どこからかチュクチュクと賑やかな囀りが聞こえてきた。さほど気にもせずに病院に向かい、小一時間のリハビリを終えて帰るとき、車のすぐそばで又一段と賑やかな囀りが耳に届いた。気になって声を辿った。駐車場を囲むブロック塀の穴の一つを覗いたところ、黄色い嘴をいっぱいに開いた4羽の雛がいた。
 「何だろう?」生憎、小鳥にはあまり詳しくない。黒っぽい羽の模様に首を傾げる。ツバメがこんなところに巣作りする筈はないし、思い当たることは、いつもこの辺りの側溝に遊んでいるセグロセキレイである。写真を撮ろうと携帯を取り出したところで「あ、携帯が壊れてたんだ!」と思い出した。
 2月23日の退院の日に買い替えてまだ2ヶ月経ってないのに、突然画面が消えて使用不能になった。その足でショップに持っていったら、メーカー修理に出さないといけないという。2ヶ月でダメになるなんて、欠陥品?初期不良で、家電品なら製品交換になるところなのに、6日以内の故障でないと製品交換は出来ないという。少し逆らってみたが、これが、この業界の(あるいはこの業界トップのシェアを誇るこの会社の)ルールだと受け付けられず、仕方なく代品を受け取って1週間の修理に出した。当然無償ではあるが、写真など貴重なデータが初期化されて消えてしまうのが惜しい。「代品壊したら、補償金をいただきます」と守りには厳しいルールを言い渡され、壊れたのが私のせいみたいな扱いに多少ムットする。消え去ったデータに対する補償は勿論ない。「せめて、もう少し申し訳なさそうに応対してくれたらなァ」とぼやきたくなった。

 ふたつの誕生に出会った嬉しさが、何となく相殺されたみたいで、戻り寒波の風が腹立たしかった。明日は午後から雨になるという。ブロックの竪穴だから、もろに雨が降り込む。4羽の雛鳥が親に守られて無事に巣立つことを祈りながら、風の中を帰った。

 誕生…今年も待つものがいくつもある。プランターにパセリを5株植えた。キアゲハの食卓である。もう一つのプランターにはスミレがびっしりと繁り、いっぱいの花を咲かせている。これはツマグロヒョウモンの食卓。夏には八朔の辺りで、今年もたくさんのセミが羽化することだろう。
 
 小さな命を紡ぎながら、ためらいがちな季節が移ろっていく。
                 (2013年4月:写真:ブロック塀の雛鳥)

こだわりのシューズ

2013年04月21日 | 季節の便り・花篇

 踏みしめるトレッキング・シューズの足を、降り積もった腐葉土が柔らかく押し返してくる。コンクリートで舗装された道路では決して味わえないこの優しさがあるから、山道が好き…中学校以来の山歩き(敢えて山登りとは言わない)が、この木立と土の匂いを身体に染み込ませていった。

 たくさんの山道を歩いた馴染のトレッキング・シューズである。ゴアテックスの防水加工が施され、よほどの難路でない限り、殆どの山歩きはこの1足で事足りる。
 鎖を手繰って登ったユタ州・ザイオン国立公園の断崖絶壁の山・エンジェルス・ランディング、ブライス・キャニオンの奇岩怪石を巡る羊腸のトレッキング、アリゾナ州アンテロープ・キャニオンの神秘の地底巡り、ヨセミテ国立公園のキャンプとナバホ滝登攀…。
 山道ばかりではない。山野草の花時に巡る久住連山の高原歩き、近郊の天神山巡り、そして北海道、東北、群馬県嬬恋、九州各地の温泉など、国内の旅には、いつもこのシューズが一緒だった。
 ハリウッド大通りやテメキュラ・ワイナリー、サンディエゴのオールド・タウン、灼熱のラスベガス、デス・バレーの荒涼の大地、セコイア国立公園の巨木の森、ヨシュアツリー・パークの岩塊、ロングビーチのショアライン・ビレッジ、オレンジカウンティー・ラグナビーチの街並、メキシコ・ロス・カボスの湾岸散策路やサボテンの砂漠、イタリア・ローマ、ベニス、ナポリ、フィレンツェ、ポンペイの街、アラスカ・クルーズのオプショナル・ツアーで訪ねた沿岸のいくつかの田舎町…海外の旅にも、履きなれたこのシューズがお供してきた。
 2足を履き潰し、3足目の踵もかなりすり減ってきた。すでに発売を終え、入手が難しくなってきたレア物のシューズである。しかも、最近は男性用に24センチのシューズは殆ど探しがたい。3足目の今は、25センチを紐で調整して履いている。今のうちにと、ネットで3足限りの24.5センチの在庫を見付けて注文した。この1足を履き潰すまで元気でいたいと思う。

 九州国立博物館裏山の人に殆ど知られていない散策路を、今日も我が物顔に歩いていた。すっかり囀りの腕(喉?)を上げたウグイスが、誇らしげな鳴き声を聞かせてくれる。檜の木立と孟宗竹の林、その間に雑木林が広がり、木立の向こうの太宰府天満宮のざわめきも此処までは届かない。長い年月で降り積もり、積み重なった腐葉土の優しい押し戻しが何とも足に心地よくて、1時間8000歩の散策には必ず此処を組み入れる。月に一度人に巡り合えばいい方で、殆ど無人の風の小道である。
 その足元に、ハルリンドウが咲いていた。数えきれないほど歩いてきたのに、初めて見た姿だった。ここにもあそこにも、小さな群生を見せながら、木漏れ日の下で可憐に春を演出していた。すぐそばに、小さなスミレも鮮やかな紫で魅せる。
 緩やかなアップダウンの行き止まりの頂きに、小さな広場がある。いつかその姿を見かけたことから、勝手に「野ウサギの広場」と」名付け、散策の休息に寝転んだりもする。木立の梢越しに青空を見上げながら風を聴く、私の秘密基地のひとつである。一面の笹原だったが、冬場のうちに刈り取られ今は見通しもいい。その足元が、足の踏み場に困るほどのハルリンドウの群落だった。
 花を踏まないように気を付けながら、しばらく横になって静寂に浸っていた。背中に笹の切株がチクチクと痛い。閉じた瞼を、風に揺れる木漏れ日がくすぐるように戯れる。

 ハルリンドウに囲まれ、風に浸り、一瞬のまどろみに包まれて時が止まったような気がした。
       (2013年4月:写真:木漏れ日の下のハルリンドウ)