蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

カマキリのさよなら

2012年10月09日 | 季節の便り・虫篇

 広縁に届く日差しの脚が少しずつ伸びて、蛇口の水がいつの間にか冷たく感じられるようになった。
 朝晩の気温差が10度。早朝、ハナミズキの落ち葉が散った道路を掃く頃は、シャツの袖を伸ばしても肌寒く、ジャージーを羽織って箒を握る。やがて日差しが高くなると半袖に着替え、それでも汗ばむ中に洗濯物を干す。もういいだろうと夏物のジーンズを竿に掛ける頃には、背中の日差しが熱い。毎年繰り広げる季節変わりの習慣だが、この衣替えもあと何年重ねることが出来るのだろう。感傷ではなく、ふとそんなことを想う。

 裏山から日が昇る前の早朝、燈篭の上に一匹のカマキリがとまっていた。多分、卵を産み終わった雌なのだろう、細くなった身体に、少し破れかかった翅が痛々しい。冷たい朝風に動きも鈍く、そっと触れるとキッと首をめぐらせて目線が合ったが、いつものように斧を振り上げることもなく、鋭い筈の目線も何となく弱々しい。カメラのファインダー越しに、しばらく見詰め合っていた。あの苛烈な夏の日差しの中、一瞬の早業で鳴いている蝉を掴み捕り、鳴き騒ぐのをものともせずに貪り食っていた逞しさはどこに消えたのだろう。この冷たい朝風を払ってやりたくなるような弱々しさだった。「もう少し待ってろよ、すぐに暖かい日差しが降ってくるから…」心の中でそんな声を掛けながら、朝の食卓についた。

 昨日の体育の日、校区のウォークラリーで2時間歩いた疲れがふくらはぎの辺りに澱んでいる。11年前区長に就任した年に、いきなり「体育の日」の当番区の役割が降ってきた。高齢化が進む中で、旧態依然の運動会はすでに限界が来ており、年々参加者を募る苦労だけが加速していた。隣りの若い区長と二人で、反対する3人の区長と連夜の激論を重ね、年齢や体力に応じたコース分けで歩くウォークラリーを提唱した。訳あって、虐めにも近い反論と戦うことが、私の区長就任の初仕事となった。失敗を許されない追い込まれた状況の中で奔走、町内の皆さんの励ましの中で、私の区は4割の所帯から人口の24%が参加して他の区を圧倒した。
 5区それぞれの公民館から出発し、2時間、1時間などいくつかのコースを選んでグループを作って歩き、最後に800人を超える参加者が小学校にゴールするのを迎えながら、心の中で密かに快哉を叫んでいた。この激論をきっかけに、5人の区長達の結束が固まり、一番まとまりのいい校区となった。一番の喧嘩相手(?)とも仲良くなり、今でも年に数回のOB会で呑めない酒を酌み交わしながら、楽しく語り合っている。
 今年も800人が集った。すっかり定着して11年、あの夏の夜の激論を懐かしみながら痛む肩を庇い、町内広報紙「湯の谷西便り」用のカメラマンを務めて感無量だった。あの年に作り始めたこの新聞も一度の休みもなく、すでに144号を重ねた。お弁当を食べ終わって抽選会で栄養ドリンクを当たり、中座して国立博物館の特別展開会式に駆けつけた。人ごみの中で、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」に会った。

 大掃除を済ませて庭に出ると、燈篭の上のカマキリは、あのままの姿勢で斧を抱え込んだまま静かに命を終えていた。ようやく届いた日差しが、ひっそりと眠るカマキリの上に優しく降り注いでいた。朝方見詰め合ったあのまなざしの儚さは、カマキリからのサヨナラだったのかもしれない。
 「暑い長い夏だったね。お疲れさん、ゆっくりおやすみ。」残した卵から、来年、きっといっぱいのちびっこカマキリが誕生することだろう。こうして、命が紡がれていく。

 少し哀しい秋風だった。
          (2012年10月:写真:カマキリの最後の目線)