蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

イモムシ・マスク

2012年10月19日 | 季節の便り・虫篇

 島田に住むUさんが、半年ぶりに蟋蟀庵に泊まりにやってきた。家内の知人の縁に繋がる人であり、歌舞伎大好き(家内と意気投合したらしい)、片岡仁左衛門・命、そしてこよなく野の花を愛する女性である。家内と東中洲の「ニュー大洋」でシネマ歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒」や博多の街を楽しみ、我が家のブルー・レイのビデオで、仁左衛門三昧の二夜を過ごしていった。
 そのUさんが、1冊の本を土産に残していってくれた。盛口満著「ゲッチョ先生のイモムシ探検記」という。加齢と共に読書スピードが落ちているのに、すっかりハマって一気に読み上げてしまった。誰にでも紹介出来る本ではないが、虫キチにとってはたまらない1冊である。

 沖縄のイモムシ……つまり、蛾と蝶の幼虫を主役にしたユニークな観察記録であり、虫嫌いな人なら怖気をふるうような、リアルなスケッチ満載の本である。そして、圧巻はそのイモムシの脱皮した抜け殻に残る、固い頭の殻(顔)のスケッチ集……筆者は、それを「イモムシ・マスク」と名付ける。なんと繊細で造形の妙に満ちた個性的な顔だろう。51年前、昆虫少年の名残りがまだ微かに残っていた20代初めの頃、乏しい大学生の小遣いをはたいて、当時の値段で1800円もする「日本蝶類幼虫大図鑑」(保育社)を手に入れた。すっかり色褪せてしまったが、今も私の宝物の本の1冊である。その世界を、久し振りに目にして興奮した。

 主役の一人(?)として、メンガタスズメの幼虫が登場する。昨年、博物館環境ボランティアの編集チームの仲間で作った「五人会」の中で、「お母さん」と呼ばれている女性の家の畑で見付かり、その名前を調べて教えたのが、このスズメガの幼虫だった。不思議な偶然である。
 登場する虫屋、蛾屋、蝶屋……それぞれ特化された虫キチ達のユニークさと、そして何故か頷きながら考えさせられる哲学的な考察が印象に残る。「彼女と虫と、どっちを取る?」と訊かれて、ためらいなく「虫!」と答える人たちである。私なんか、とても足元にも及ばない重症の虫キチたちの生き生きとした姿に、思わず快哉を叫びたくなる。
 筆者曰く「許す限りの時間と労力を虫に費やしたいと願ってしまう病(のようなもの)」に罹患しているスギモト君。生まれつき虫が好きという特異体質の持ち主で、生後1歳になる前に見たタマムシの記憶を残し、最初に自分で採った虫は、「3歳のときのラミーカミキリだった」と覚えているという、信じられないような虫キチであり、嵩じて沖縄に住み着いた。「沖縄の虫について恐ろしいほど知っている青年」……この人の知識は凄い!
 屋久島の「森の主」と言われるほど大自然の中を歩き回るのに、イモムシだけは大の苦手で、イモムシに遭遇したら「ほひゃぁ~」と叫びながら、大事なカメラを放り出して逃げ出すカメラマンのヤマシタさん。……思わず笑ってしまう。
 若い女性なのに、ケムシを見ると目を輝かせるオカピーことマユミさん。人に嫌われる蛾やケムシががことさらに好きで「ケムシのお姉さん」と呼ばれている。……男なんて出る幕がない。
 虫屋ではないけれど、4匹のクロメンガタスズメの幼虫(イモムシ)を、生きたまま、はるばる沖縄まで送ってくる虫好きな山口のケイコさん。……こんな微笑ましい虫好きさんたちによって、虫屋のすそ野が広がっている。
 林道にビニールパイプを立てて白布を張り、発電機で蛍光灯やブラック・ライトを照らしてひたすら集まってくる蛾を採るオオワダ先生。……昆虫少年だった中学生の頃、福岡市の南公園と呼ばれる林に中に泊まり込んで、白布を張り、カーバイドに水を垂らして発生するガスを燃やすアセチレン・ランプで、同じように「燈火採集」をしたことがあった。藪蚊に苛まれて悶えながら過ごした夜の思い出がダブって、妙に切なくなった。

 筆者の父が大腸癌に罹り、余命半年と宣言された。その言葉が凄い。
「いやぁ、長生きしたから、寿命だよ。ぽっくり死ぬのは、本人は楽だけど、周りがショックでしょう。ガンは、ほら、死ぬまでの準備が出来るじゃない。死に方としては、悪くないんじゃないかな」
 筆者の言う「ガンを拒絶するのでなく、ガンを引き受けて、余命を過ごそうとする父の姿」を見せて、2年もの自分の時間を生きられたという。誰にでも出来ることではない。

 台風などで南の国から飛ばされてくる蝶を「迷蝶」という。蛾の場合はメイガという種類がいて紛らわしいから「偶産蛾」ということも、この本で知った。
 福岡市で、南方系の人面カメムシ(アカギカメムシ)が集団で発見された(我が家でも先年1匹を見つけたことがある。報告するべきだったかもしれない)。福岡市でオーストラリア原産の毒蜘蛛・セアカゴケグモが、この4年間に8201匹、卵嚢3161個を駆除。
 温暖化によるものや、海外からの貨物船のコンテナが運んだものなど、原因は様々だが、筆者が結びに書いた「人間の好みや理解を超越して、自然はそこにある。人間がいかに人間に都合のいいような世界を作ろうとも、自然はその中に滲み出してくる」という言葉が心に残った。
 人が自ら招いたことではあるのだが、じわじわと自然が人を追い詰め始めているように思えてならない。
       (2012年10月:写真:「ゲッチョ先生のイモムシ探検記」表紙)