蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

真夜中の誕生

2010年07月20日 | 季節の便り・虫篇

 久し振りに福岡の街に出て、龍村仁監督の「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」第7番を観た。炎天の夏空の下を汗みずくになって帰り着いた太宰府は、この日、この夏最高の34.7度の猛暑となった。蝉の声が喧しくなった。

 夜半、シャワーを浴びてさっぱりしたところで、懐中電灯とカメラを提げて庭に出た。ようやく夜風に涼やかさが感じられる時刻である。期待通り、庭のハッサクとコデマリとミズヒキソウそれぞれの葉先で、クマゼミガ羽化していた。少し刻限が遅かったのか、脱皮の瞬間は既に過ぎ、羽化したばかりの柔らかな身体を抜け殻にしがみ付かせながら、羽が乾くのをじっと待っているところだった。透明な羽にはまだ褐色の色づきはなく、瑞々しいウスミドリイロの翅脈が美しかった。
 早速、マクロをかませたカメラのシャッターを、続けざまに落とした。ストロボの光を浴びた羽の先端がブルーに輝く。……1週間の命の誕生の瞬間である。このところ、ヒグラシとアブラゼミの羽化が続いていたが、今夜から一斉にクマゼミに代わった。3匹ともクマゼミであり、撮影の途中に網戸にぶつかってきた1匹もクマゼミの雄だった。自然界には、こんな不思議なリズムがある。トクンと胸がときめく一瞬である。

 先日、終齢まで育ったキアゲハの幼虫。食べ尽くした4株のパセリが、残すところひと枝となり、焦った。黄昏近いラッシュアワーの道を、ナーセリーやホームセンターの苗売り場を探して走り回った。残りひと枝を食べ尽くすまで、あと1時間もない。1軒目のナーセリーは萎れた株が4つ。殆ど葉もなく「2株はサービスでいいです」と気の毒そうな顔をされた。まさか「チョウチョの餌です」とも言えず、100円払って2軒目へ。……皆無である。
 日暮れが迫る。仕方なく、スーパーのパセリを徹底的に洗い漱いで食べさせようかと諦めかけた。しかし、かつて同じ状況の中で与えたスーパーのパセリで、一夜にして数頭の幼虫を真っ黒になって死滅させてしまった悔いがあるから、何とかそれだけは避けたい。あとは一昨年のように、ご近所の人参畑に夜陰に紛れて忍び込ませるしかないのか……もう一軒だけと一縷の望みをかけて寄ったホームセンターに、籠一杯に並べられた新鮮なパセリの苗があった!ものも言わずに6株を買い求め、家に走り戻った。間に合った!すぐに、株を植え替え、終齢の幼虫をそっと移した。
 その幼虫が無事に幼虫期を終え、昨日の夕方、蛹になる場所を探してプランターを去った。モコモコと頼りない足どりながら、ビックリするほど遠く、あるいは高い場所に糸を掛けて蛹になる。それを探し出すのが、また次の楽しみなのだ。

 小一時間、折角のシャワーが無駄になるほど大汗をかきながらファインダーを覗き続けて夜が更けた。梅雨明けと共にやって来た酷暑の中で、我が蟋蟀庵の庭は俄かに慌しくなる。小さな生き物の管理人のご隠居が、何もかもほったらかして我れを忘れる季節の到来である。「そのうちに、自分のことも忘れるんでしょ!」と皮肉る声がどこからか聞こえてきそうだ。

 今朝方「ワ~シワシワシワシ…!」と、我が家の庭のクマゼミの一番鳴きが豪快に夏空に響き渡った。
               (2010年7月:写真:クマゼミの誕生)