蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

大地の恵み

2006年01月08日 | つれづれに

 2勝2敗1引き分け。抜き上げた袋から現れた自然薯は、期待した膨らみにはほど遠かった。宝満山から吹き下ろす晩秋の風に汗ばんだ肌を嬲らせながら、腹の底に溜息が落ちていく。
 土とのふれあいに心惹かれるのは父の血だろうか。亡くなったとき庭先に並んでいた沢山の鉢たち。喘息の激しい発作であっけなく1日にして逝った父は、その前日まで息を切らしながらも庭の鉢の手入れに余念がなかった。
 広島の街中で6年間のマンション暮らしに倦んでリタイアした。毎月、留守宅の太宰府まで高速300キロを走って、その度に土の匂いに包まれながら生い茂る庭の雑草と不毛の闘いをするのが、私なりのストレス解消だった。無心に流汗を拭う一日の作業は、何故か心穏やかに、懐かしさの伴う至福の時間だった。リタイアして間もなく、「宝満自然薯の会」の存在を知って早速申し込んだ。以来5年の大地とのふれあいである。
 年会費2万円で30本の自然薯の苗と畑を与えられる。宝満山麓の畑は毎年場所を変えながら、8ヶ月の期待を育ててくれた。3月末、まだ吹く風は少し冷たい頃、最初の植え付け作業がある。畝を作り、真ん中に4メートルほどの木の枠を置き、その左右に30センチおきに苗を植え付けていく。長短2辺を開いた長さ1メートル、幅10センチほどの麻袋に、篩に掛けた山の赤土をコップ1杯分振り入れ、斜め15度に重ね植え込んで、木枠を取り去る。その開いた口に苗を置いて土を被せていく。苗は赤土を山土と思いこみ(と、オーナーは説明するのだが)、その袋の中に次第に根を伸ばし膨らませていく。育ち上がれば、畝の横の土を掘り払って袋を抜き取るだけで簡単に収穫できる。山で木の根と悪戦苦闘しながら天然の自然薯を深く掘り下げていく苦労を知る身にとって、これは信じ難いほどに見事な人間の知恵であった。
 平鍬と小型の耕耘機で30センチほど土を被せる作業の頃には、不慣れな鍬使いと中腰の姿勢に日頃使うことのない筋肉が悲鳴を上げ、30名ほどの仲間達もうんざり顔で空を見上げることになる。盛り上げた畝には苗の位置を示す細い割竹を立て、その上からマルチという銀紙状のシートを張って、1間おきに鉄パイプを立て並べていく。畝の上10㎝ほどの高さに横に細いパイプをくくりつける。ここに芽出しした最初の蔓をシッカリ巻き付かせるのが、豊かに葉を繁らせる秘訣である。ここまでの作業で2日間。その後は時折り雑草を抜きながら凡そ1ヶ月半の待機期間が続く。
 5月の連休が明けた頃、地中から伸びてきた蔓がシートの中でとぐろを巻き始める。数日毎に畑に通って、その蔓を目印の割り竹の穴から指先で折れないように引き出して横桟に誘導する。総ての芽出しが終わった頃、鉄パイプに一斉にネットを張り巡らせれば、あとは気儘に蔓を絡ませ、存分に葉を繁らせていくだけである。夏の間は時折り通って雑草を取り(マルチシートに照り返す日差しの暑さ!だから、草むしりは早朝5時からの作業となる)、パイプに巻き付いた蔓を巻きほぐしてネットに絡ませていく(これは実は台風対策の下準備である)。秋口からは零余子(むかご)の収穫を楽しめばいい。バターで炒って濃い塩水を振りかけた零余子は絶品のビールのつまみである。
 台風が接近したら慌ただしく畑に駆けつけ、一斉にネットを降ろさなければならない。放っておくと、繁った葉が風を受けてパイプが折れ、ネットを破り、蔓を切り、悲惨な結果となる。昨年はこれを怠った為に、2度の台風で壊滅状態となった。この時パイプに蔓が巻き付いているとネットが降りない。嵐が過ぎれば再びネットを戻すのだが、深く繁った葉が雨を含んでズッシリと重い。台風の吹き戻しの突風が時折り奔る中を、3人掛かりで持ち上げてパイプに戻していく。
 10月の終わり、待望の試し掘りの日が来た。その1本を掘り上げるときの期待と緊張、この一瞬を楽しむた為にこれまでの苦労があるのだ。5年目の自然薯は三度期待を裏切った。
 1年目2年目は市に並べたら5千円、1万円の値が付いてもおかしくないほどの2キロ近い野太い芋が何本も採れて、テレビ出演するほどの豊作だった。孫に掘らせたときの得意げなあの目の輝きが忘れられない。ジージ株がストップ高で跳ね上がった栄光の瞬間だった。3年目は天候と病害虫で全滅。4年目は天候と苗に恵まれず、牛蒡並の細い芋ばかりが並んだ。
 そして今回、あの巨大な自然薯を目指したリベンジの闘いは、残念ながら半分の成果に終わった。それでも1500円、2000円は値が付くには違いないのだが、かつての成果を知る私にとってはプライドが許さない。師走にかけて28本を掘り上げて今年が終わった。お歳暮代わりに幾人もの人と交わしていた約束も又空手形となって、来年に望みを繋いでいくことになった。
 土を洗い髭根を焼いて皮のまますり下ろし、濃い味噌汁で倍以上に延ばした麦とろ飯を堪能しながら、気持ちはもう来年の畑に飛んでいた。大地の恵みは五臓六腑に命の息吹を吹き込んでいった。
        (2006年1月:写真:真夏の自然薯畑)