蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

無念無想

2021年06月22日 | つれづれに

 霜枯れから守るために、冬の間広縁に避難させていた月下美人を、春から初夏の間はしっかりと日差しを浴びさせる。そして苛烈な油照りの真夏は、日焼けを防止するために、梅の木の下の半日蔭に置く。
 待っていたように、今年もアマガエルが葉の上に鎮座した。このところ、毎年のように現れて、月下美人の葉の上で雨を待っている。指で触れても煩わしそうに半眼をわずかに開くだけで、再び瞑想に入る。

 嫌な日々が重なっていく。一喜一憂ならまだしも、一怒一憤にも疲れてきた。泰然自若・我関せずのアマガエルの姿勢が、心底羨ましいと思う。
 早すぎた梅雨の動きが読めない。平年なら明けるはずの沖縄に、梅雨前線が傲慢に居座り、北部九州は真夏の先取りが続いている。昨日の最高気温は33.4度!アマガエルもしんどかろう。
 かつて、沖縄・慶良間諸島の座間味島にダイビングに行くのは、このタイミングだった。本土は梅雨真っ盛りで、旅行気分も盛り上がらず、7月に入れば大学生が夏休みで動き始める。梅雨明けとともに入道雲が沸き立つ6月20日から月末までの10日間が、エメラルドグリーンの海を独占できるベストシーズンだった。もう一度最後に、と思っていたが、コロナが妨げた。訪れること自体が、島の人たちに迷惑をかけることになる。もう、あの海で海亀と戯れることもないだろう。悔しく、寂しく、アマガエルの心境には及ぶべくもない。

 やっぱり!という結論だった。観客を入れてオリンピックをやるという。すべて、見え見えの結果である。50%以内で最大1万人という。×会場数×試合日数という計算が、奴らには出来ない。しかも、他府県からからの観客もOKという。矛盾だらけの政治(利権)決定に、もう勝手にしやがれという気分である。
 しかも、大口スポンサーが専売権を持つビールの販売を認めるらしいという噂まである。こんな会社のビールはもう飲まない。馬鹿な大臣が何をほざく!!

 西日本新聞特別論説委員井上裕之氏の「風向計」というコラムに、すべて言い尽くされていた。『「3密」と「3無」の病理』という文章から、一部引用する。
 ――無原則、無思想、無責任――かつての指導者の病根が「3無主義」にあるという。コロナと向き合う長期戦略の要諦は「3密」(密閉、密集、密接)の回避と、永田町に巣くう「3無」の排除。こう整理するとすっきりする。――

 ここで指摘されている「かつての指導者」とは、太平洋戦争を推し進めた軍事指導者のことである。
 ――日本の軍事指導者に、長期戦略はなかった。兵たんや補給を軽んじ、作戦一辺倒。最後まで小状況にこだわって大状況を見ず、国民の命を軽視して戦争に敗れた。この病理を忘れてはならない。――
 ――東京五輪の「開催ありき」で突き進む菅義偉政権の姿を太平洋戦争に重ねた考察だ。人類とコロナウイルスはいわば戦争状態にある。それに打ち勝って五輪を開催するにはウイルスを封じ込める確たる戦略が必要なのに、それがない、というわけだ。――

 背筋が寒くなるような一文だった。とんでもないしっぺ返しがあるような気がする。「五者協議」の正式決定というが「愚者協議」の間違いだろう。愚者を何人集めても、愚かな結論しか出ない。そして、最後に命を奪われるのは彼らではない。いつの世でも、振り回される無辜の国民なのだ。
 とても、アマガエルのように無念無想でいるわけにはいかない。

 明日は、沖縄「慰霊の日」――
                      (2021年6月:写真:雨蛙の瞑想)

大火砕流の記憶

2021年06月03日 | つれづれに

 30年前のその日、私は長崎県南をエリアとする長崎支店長の任にあった。

 諫早市との中間にある卸団地の支店から、部下の課長の運転で南に下り、橘湾沿いの崖路を愛野に抜け、ジャガイモ畑を左に見ながら島原半島に下った。定期的に繰り返している、取引先(家電店)の巡回だった。
 南有馬の店主夫人と暫く語らい、やがて島原市に近づいた頃、左手遥か遠くの雲仙普賢岳中腹から、一筋の細い煙が立ち上っていた。運転する課長に、「まさか、噴火じゃないよね?」と冗談交じりに話しながら、島原市内に走り込んだ。

 普賢岳噴火のニュースが流れたのは、その1週間後だった。たまたま予言したような結果になった噴火だった。1990年(平成2年)11月17日、二つの噴火口から熱水が吹きあがる程度の小さな噴火で、やがて収まると思われていたが、翌年2月12日に再噴火、4月3日、9日と規模が拡大、5月15日に最初の火砕流が発生した。
 5月20日、粘性の高い溶岩が噴きあがり、火口周辺に不気味な溶岩ドームが膨れ上がった。やがてドームが4つに割れて崩壊、さらに噴き上げる溶岩に押されて、火山ガスと共に一気に時速100キロの猛スピードで山腹を駆け下る大火砕流となった。
 6月3日、戦後初の大規模な火山災害として、43名の死者・行方不明者を出す惨禍を生んだ。火砕流に加え、水無川流域に巨岩を転がす土石流が多発、一層の被害をもたらした。

 その間何度も島原を訪れていた。車を停めて、4キロほど向こうの山腹を下る火砕流を見上げていた橋が、1週間後には土石流に呑まれ、新築したばかりの取引先の自宅も破壊された。
 家電メーカー会で、確か3億円規模だったと思うが、被災地の支援を当時の鐘ケ井島原市長に届けたこともあった。
 後日、カミさんと娘を載せて普賢岳の仁田峠に向かう途中の展望台で、噴き上がった噴煙に追われて車に逃げ込み、山道を駆け下ったこともあった。
 
 昭和天皇の崩御、平成年号の始まりとともに始まった長崎支店長の在任3年と10日、単身赴任の自炊生活を終えてやがて福岡に戻ったが、在任中の数々の思い出の中で、今も忘れ難い重い記憶である。
 手元に、持ち帰った拳大の噴石がある。アメリカのデスバレーの砂丘の砂と並んで、飾り棚の奥でひっそりと30年の時を刻んでいる。

 追悼の記念式典が開かれた今日、梅雨の雨が激しく降りしきっていた。老いた鐘ケ井元市長の姿に、胸が痛んだ。
 
 平成も令和に替わって既に3年目、世界中が「疫病」という自然災害に翻弄され続けている。2ヶ月遅れたワクチン接種に追い込まれている中で、民意を黙殺して、まだオリンピックにしがみついている総理、都知事、オリンピック委員会の何と無様な姿だろう!女性3人を中心に祭り上げているのも、所詮「人柱」にしか見えない。気持ちの中では既に、オリンピックそのものが災害になってしまいそうな哀しみがある。
 命の尊厳さえ見極められない支離滅裂の政府の愚策に、もう怒る気力さえ失われつつある。政府の「しっかりと」とは、「何もしない」という言葉と同義語であろう。

 梅雨本番から末期にかけての豪雨災害が、もうそこまで迫っている。梅の古木の下を舞う梅雨の蛾・ユウマダラエダシャクが、今日も雨を呼び寄せていた。
 ワクチン接種まで、あと7日―--。
                      (2021年6月:写真:雲仙普賢岳の噴石)

押し戻す野性

2021年05月30日 | つれづれに

 観世音寺前に住む友人から、写真を添えてLINEが届いた。「戒壇院の参道でアナグマに出遭いました。」乳首が膨らんでいたというから、子育て中なのだろう。野性の動物が、一番狂暴になる時である。牙を剥いてうなる姿は、さぞ怖かったことだろう。後日ご主人に訊いたら、子育て中の巣が草刈りで奪われ、子供を咥えて移動中の出来事らしい。
 佐賀県吉野ケ里に住むカミさんの友人に写真を転送したら、こんな返事が返ってきた。つい先ごろ迄、島田市の山奥で野性に囲まれて暮らしていた女性である。

 「おはようございます。とうとう古都にも現れましたか!?
 伊久美(静岡県島田市伊久美)時代は私の天敵でした(笑)。近所の家では、留守の台所に上がって何もかも喰い散らかしていた所を帰宅した人と出くわし、大騒ぎになりました!西瓜など上から覆って護っても、土を掘って底から食い尽くされます。野菜の被害もですが「アイツは雑食だから、仔猫だって危ないよ」と注意されて、猪、狸、猿、ハクビシンより烏より神経を使う厄介者でした。
 憎らしい奴ですが[害獣]と言うコトバには抵抗があります。人間が勝手に野山を崩して住処にして、彼らを窮屈にして厄介視するのは傲慢な気もします!保護したり排除したり、あらゆる生物を思っても悩ましい問題ですね(>_<)
 昨日は畑仕事に来てくれた彼女と、野菜の周りに沢山のスギナやマルバツユクサを取り除けながら、食べられる植物ばかりか美しい花の咲く植物なら種を蒔いたり、買ってきて植えたり増えやして喜んだり…人って自己中そのものだよねって笑って話しました。その時に伊久美の困った獣たちの思い出話もしていました!
 偶然その頃、太宰府の町の中ではアナグマ母さんが人間を威嚇していたのですね!!
 写真ありがとうございました(^^)/」

 観世音寺や戒壇院周辺の畑はイノシシの被害が広がって、今ではすべてイノシシ除けの柵で囲われている。写真を送ってくれた友人の畑も、度々イノシシやカラスに収穫直前の作物や果物を食い荒らされている。
 「大変ですね!」と慰めながら、心のずっと奥の方で、野性の逆襲に拍手を送っている自分がいる。(叱られそうだな!)
 かつては、彼らの生息地だった。人間が彼らの土地を奪って人口を増やしてきたのは事実である。最近、各地でクマや、シカ、イノシシ、ハクビシン、サル、アナグマ、タヌキ等々野性の逆襲がニュースになる。

 「人間が勝手に野山を崩して住処にして、彼らを窮屈にして厄介視するのは傲慢な気もします!」

 そんな傲慢な人類に新型コロナウイルスが襲い掛かったのも、一つの野性の逆襲かもしれない。「押し戻された人類」は、彼らにとってはウイルス以上に悪質な存在なのではないだろうか?
 歌舞伎の世界の「押し戻し」……「紅の筋隈、鋲打ちの胴着、菱皮の鬘、三本太刀など、典型的な荒事師の扮装に、竹の子笠をかぶり蓑を着て、太い青竹を手にして登場し、跳梁する妖怪や怨霊を花道から本舞台に押し戻す役とその局面」とネットに解説してある。
 牙を剥き、唸り声をあげるアナグマに、ふとそんな荒事芸の姿がオーバーラップする。彼らにとって、人は妖怪、怨霊に似た存在なのだろうか?

 まことにに矛盾した行為だが、写真をくれた友人の畑で、カミさんと今年3度目の収穫を楽しませてもらった。育ててもらっているラッキョウの堀上げである。掘るというよりも、ただ引き抜くだけで、ラッキョウが鈴なりで姿を現す。
 持参した珈琲を楽しみながらご夫妻と爽やかな初夏の風に吹かれて歓談、1.4キロほどのラッキョウ(洗って姿を整えると、ちゃんと1キロに収まる)、小玉の新玉葱、ジャンボニンニク、枇杷、捥がせてもらったキューリとイチゴと抜かせていただいた大根……盛りだくさんのお土産だった。

 野性の君たち、この畑だけはそっとしておいてくれないかな(笑)……現金なご隠居夫妻の収穫祭だった。
                   (2021年5月:写真:戒壇院のアナグマ)

寄り添う

2021年05月07日 | つれづれに

   85歳以上3,700人、4月下旬クーポン発送、5月6日予約開始、
   5月18日接種開始。
   75歳~84歳7,300人、4月中旬~下旬クーポン発送
   65歳~74歳 未定

 これが我が町のコロナワクチン接種計画である。散発的にワクチンをチョロッとばらまき、「医療関係者の接種を始めました!」「高齢者の接種も、予定通り始めました!」という点のような「言い訳事実」を作っただけである。「虚言・隠蔽・改竄」の権力体質とどこか似ている。
 医療関係者の2回目接種さえ半数にも達していないのに、そんな医師が高齢者への接種をやらざるを得ない。接種体制は自治体に丸投げ、各地の混乱や足並みの不揃いは目に余る状況が続いている。一斉にクーポンを発送し、予約が集中して電話回線もネット回線もパンクして予約を中止したり、ネットを使えない高齢者に「家族に頼んでネットで予約してもらいなさい」と突き放す自治体がある。身寄りのいない高齢者、独居老人を取り残して、不安だけを拡大させている。重症化必至の高齢者にとって、最後の頼みの綱がワクチンだった。それさえも、こんな有様である。
 「わたしたち、いつになったら予約できるんでしょう?」

 福岡も、頼んでもいないのに12日から月末まで緊急事態宣言が出されるという。蔓延防止等特別措置申請で済ませようとした福岡県知事もお粗末だが、申請したのは5月1日である。決断し切れないままに放置した政府が、昨日になって突然、12日から緊急事態宣言の対象にすると一方的に宣言。失われた11日間の重みが、今後どう作用してくるのだろう?打つ手打つ手が悉く後手後手となり、変異型ウイルスが第4波を不気味に押し上げつつある。インドを始めとする新たなウイルスの猛威、やがてワクチンを無効にする変異さえ起こりかねない。インド変異ウイルスは、これまでのコロナの変異というよりも、まったく新たなウイルスの発生であるという説もある。それなのに、入国制限さえまだである。
 「やっぱり、人類滅亡の兆しかも」という、かねてからの持論が、心の奥にどっしりと腰を据え始めた。

 すべての対策が、「政治の思惑」の中で進められている。我々後期(末期?)高齢者はいい。暁の鐘を既に6つ迄聴いた。
       ♪…残る一つが今生の、鐘の響きの聴き納め…♪  (曾根崎心中)
 十分に生きたから、仮に感染して重症化しても、人工呼吸器やエクモによる治療は、カミさんも私も断ることにしている。乏しい機材は、先のある若い重症者に使ってほしい。

 そんな中で、なんでオリンピック?!?!?!
 来週に迫った我が街の聖火リレーも、緊急事態宣言を受けて中止になった。当たり前だろう、こんな惨めったらしいリレーなど見たくもない。蔓延防止等重点措置を申請している北海道で、オリンピック・マラソンのテスト大会をやる神経は何だろう?

 オリンピックに出ることだけが生き甲斐のように言うアスリートたちに問いたい。世界中から選手たちが集まり、医療崩壊している中で医師や看護師を国家権力で集め、その余波で助かる国民の命がどれほど失われるか予想もつかない。さらに、参加者の中で感染が始まり、国際的クラスターが日本で集中的に発生するかもしれない。アスリートたちよ、そんな国民のリスクを冒してでも、君たちは「オリンピック命」なのか?人間として、躊躇うところはないのか?
 為政者が、影響を怖れ、わが身可愛さに「やめる!」と言わないなら、君たちこそ声を上げるべきではないのか?それでも「やりたい!」というスポーツバカなら、私は君を決して応援などしない!

 畑の収穫祭で、欲張って山ほどいただいてきたグリンピースの莢を割ると、ふっくらと膨れ、きれいに並んだ緑の豆が寄り添いながら現れた。
 こんなに寄り添って語り合える日は、いったいいつになれば還ってくるのだろう?政治に期待出来ないとしたら、私たちは何を頼みにすればいいのだろう?毎日、スガの顔を見ると蕁麻疹が出そうになる。ホントに帯状疱疹後神経痛は、2年半経っても一向改善しないし、むしろひどくなっている。
 心冴えない立夏である。
                 (2021年5月:写真:寄り添うグリンピース)

収穫祭—2021♪

2021年04月21日 | つれづれに

 さわやかな薫風が、身体を撫でる様に吹きすぎる。初夏を思わせる日差しが、頭頂に痛いほど沁みた。畑地を囲む小さな尾根に、モコモコとカリフラワーのように湧き上がる楠若葉が眩しかった。どこからともなく、栗の花の特有の匂いが漂ってくる。え?もう、そんな季節?

 「スナックエンドウが実りました。イチゴも真っ赤に熟れてますよ。収穫にいらっしゃいませんか?」
 待ち焦がれていたお誘いだった。1年振りの豆刈り……いや、これも少し早いかな?今年は、何もかも10日ほど早く季節が走っている。早朝ウォーキングの風の冷たさが嘘のように、晴れ上がった空に気温がぐんぐん上がり、一気に初夏が走り込んできた。
 グラム1400円のお気に入りのモカ・バニーマタルの豆を挽いて珈琲を淹れ、午後2時、車で5分の観世音寺に駐車、すぐ裏手に拡がるY農園に駆けつけた。ご主人はゴルフにお出掛けで、奥様が一人で迎えてくれた。
 300坪の畑は夏野菜の植え付けも終わり、豆畑の蔓にスナックエンドウ、グリーンピース、ソラマメが実り、玉葱は取り入れを待って葉を倒していた。梅の木の木陰には、小さなテーブルと折り畳み椅子が3脚待っていた。
 「まず、珈琲ブレイクにしましょう!」

 サギゴケが美しく散り敷く草むらに、ベニシジミやジャノメチョウがチロチロと舞い遊び、時折アオスジアゲハが鋭い飛翔を見せる。楠を幼虫の餌にする蝶だから、太宰府では珍しくない蝶である。マスクをかなぐり捨て、自然の風に身を任せて、至福の珈琲タイムを過ごした。独特の酸味と香りで、すっかりお気に入りになって十数年のイエメン産のこの豆は、紛争の煽りを受けて時々入荷が止まる。価格も随分高くなった。

 このまま時を止めてしまいたい!コロナなど、遠い昔話に埋もれさせてしまいたい!

 晩白柚が真っ白な蕾を群れになって吊るし、初めて見るレモンの紫色の蕾が新鮮だった。納屋の傍の草むらには、茗荷が何本も伸び始め、枇杷と無花果にも小さな実が育ち始めていた。季節季節の野菜や果実を、毎年楽しませていただく幸せな畑が、初夏の日差しに眩しく息づいていた。

 ふっくらと膨れたスナックエンドウを、鋏でチョンチョンと摘み取っていく。カミさんと、「二人分だから、欲張らないように!」と言いながら、ついつい摘み取る数が増えていく。すぐ隣に、ソラマメが伸び始めていた。空に向かって莢が立っている。
 「だから、空豆というんですよ」と教えられ、目から鱗が落ちた。若いうちは空に向かって延び、大きくなると重みで地に頭を垂れる。数年前、カミさんの治療で滞在した鹿児島県指宿は、1月に空豆祭りをやっていた。莢のまま火に焙った「焼き空豆」の美味しかったこと!莢の裏のトロトロの部分を歯でしごいて食べると、なんとも言えない甘味が口いっぱいに拡がった。豆よりも、このトロトロが忘れられない。

 「玉葱を抜きましょう!」
 休む間もなく収穫の楽しさを提供されて、半ば玉を剥きだした玉葱畑にしゃがみ込んだ。ヒョイと軽く引っ張るだけで、大きな球が姿を現す。途中の丹精に思いを馳せながら、収穫だけをいただく後ろめたさも忘れて、ひと畝数十本の玉葱を抜いていった。午後の日差しに乾かして、夕方ご主人の帰宅を待って取り込むという。十数個をお土産にいただいた。新玉葱を十文字に開いてレンジでチンして、ポン酢などをかけて食べると絶妙である。ご主人に教えていただいた簡単レシピだった。

 「次は、アスパラガス」です!」
 畑に にスックと立ったアスパラガスを、2本切らせていただいた。

 「最後に、イチゴ摘みましょう!」
 真っ赤に熟れたイチゴが、いくつも畝に並んでいた。

 2時間、コロナ籠りの憂さを晴らして、お土産の重さを楽しみながら畑を後にした。グリーンピースが実ったら、次の収穫祭が待っている。我ながら厚かましいと思いながら、やっぱり時を忘れる収穫の楽しさだった。

 後手後手の無能な政府を嘲笑うように、変異したコロナウイルスが日本を覆い包もうとしている。命を脅かせるウイルスに、届くはずのワクチン・クーポンは、まだその気配すら見えない。先行した医療関係者へのワクチンも、まだ半ばにも届いていない。行きつけの病院の院長も、まだ接種出来ないでいる。品格も風格もない総理の顔を見ることが、最早苦痛にさえなってきた昨今である。

 また風に吹かれて、束の間でもいいから何もかも忘れよう。
                 (2021年4月:写真:空に向かって立つ若い空豆)

ヤな時代だね!!

2021年03月19日 | つれづれに

 二日続けて、「太宰府外生命体」と非濃厚接触することになった。昨日、博多座「藤山寛美没後三十年喜劇特別公演」、今日、春のお彼岸の三寺参り、そして事の序でに、まともなランチを自分に奢った。

 コロナ禍、コロナ禍と、連日のようにテレビや新聞が現実を突きつける。下げ止まった感染者数に第4次へのリバウンドの暗い影を引き摺りながら、間もなく首都圏の緊急事態宣言が解除されようとしている。
 自粛に倦んだ。自粛に疲れ果てた。1年を超えて、さらに変異種が牙を剥き始めた中で、これを抑え込める人知があるのだろうかと、諦観さえ芽生え始めている。精神の破壊は、肉体の破壊以上に怖い。歯科医に行ったことをきっかけに、思い切って「大宰府籠り」から抜け出してみた。そして、思った。病院も劇場も飲食店も、やるべきことは十分にやっており心配はない。問題は、訪れる方の意識と行動であると。。

 歯科医――入り口に一つ、待合室に二つ、手指消毒スプレーがおかれ、受付で検温、待合室は患者が出入りする度に殺菌拭き上げられている。
 劇場――間隔を置いて並び、入り口で手指の消毒と検温、チケットも自分でもぎり、受付の女性と触れ合うことはない。座席は一つおきに交互に配置されており、隣りや後ろを気にすることはない。舞台かぶりつきの席は空席、役者の飛沫を気にすることもないし、10分毎に全館換気される。
 気になる客がいた。通路を隔てた席に、高齢の男性。マスクから鼻を出したまま、しきりに咳をしている。空席の見やすい席に替わっていいかと、係の女性に無理を言っている。こんなマナー知らずの輩こそ、「禍」であろう。笑いと涙の藤山直美の演技に、この客の存在が傷になって残念だった。

 舞台がはねた後、久しぶりに本格中華懐石のランチを摂った。用意された個室の窓からカモが遊ぶ川面を眺めながら、行き届いたサービスに舌鼓を打った。これで1000円なんて、なんと贅沢な時間だったろう!

 1年間自粛していたお寺参りだった。黄砂で霞む山並みを見ながら、都市高速を走った。我が家の菩提寺と、カミさんの父方と母方、あわせて三つの寺を、いつものように4時間で一気に回る。いずれも福岡市内の街中にある。車で街中を走るのが嫌いな私は、いつも「お寺がもっと田舎にあったらいいのになぁ」とぼやく。このぼやきも、カミさんは「年中行事」と歯牙にもかけない。
 いつもB級グルメのご近所ランチでお茶を濁しているから、二日続けて今日もまともなランチをしようと、昔なじみのロシア料理の店に寄った。創業1960年の老舗であり、私が20歳、カミさんが19歳の頃のデートコースの一つだった。「ボルシチランチ」と「つぼ焼きランチ」にはそれぞれ食べたかったピロシキが付いている!食後の甘いロシアンティーを添えて、懐かしさをかみしめながらのランチだった。

 東京都、新たに303人の感染という。福岡で40人。亡くなるのは殆ど70代80代、紛れもなく私たちの世代である。ちょっと切なく、「ヤな時代だね~!!」とぼやいてしまう。
 緊急事態宣言が意味をなさない事態になった。総理の発言には、相変わらず説得力がない。これほど存在感が希薄な総理も珍しい。
 こうなれば、もう笑い飛ばすしかない。笑いのネタを二つ仕入れた。一つは、前に書いた「パルスオキシメーターである。
 もう一つ、ドラッグストアでおかしな器具を見つけた。先端にゴムが付けられており、エレベーターのボタンなどに直接触れなくていいという。電車やバスのつり革用のフックも付いている。ポケットに忍ばせて、早速博多座に持っていった。指にはめてエレベーターのボタンに触れながら、クスクスと笑いが出た。ホントに「おかしな時代」、そして「ヤな時代」である

 5月上旬、大型連休の頃の暖かさの一日だった。すぐに雨が来る。そして、気温も急降下するという。雷大好き人間にとって、「春雷」の予報だけが心をときめかせていた。
                           (2021年3月:写真:コロナお笑いグッヅ)

強盗(GOTO)キャンペーン

2021年02月21日 | つれづれに

 ニカイとかいう老残の観光族議員が、税金を湯水のごとく注いで、観光業界にエエカッコしようとしている。国民の血税を盗むという意味では、まさしく強盗キャンペーンである。前総理が、奇しくもGOTOを「ごおとお」と読んだ。これは読み違えでなく、ついつい本音が出たということだろう。
 奴らの関心は、コロナでもなく、オリンピック・パラリンピックでもなく、この秋の衆議院選挙の票読みだけなのである。
 「カーボンニュートラル」などと、仮名文字のお題目を唱えられても、馬鹿馬鹿しくてシラケるばかりである。仮名文字にすれば、偉そうに聞こえると思っている政治屋や、行政の長、学者の、なんと多いことか!言葉遊びで国民を煙に巻いて、多分言ってる本人は、何もわかっていないのだろう。

 嗚呼、久しぶりに悪口雑言吐いて、すっきりした~ツ!コロナに倦んで、閉塞する毎日に、時にはうっぷん晴らしをしないとコロナ鬱に陥ってしまう。
 蟋蟀庵の埋蔵金を数十万両盗み取った強盗を、ついにお縄にした。捕らえたといっても、カメラで捉えたのだが(呵々!!)

 暴風雪に震え上がりながら、2月博多座大歌舞伎で幸四郎を観た後、一転して4月下旬並みの陽気となった。下着を厚くしたり薄くしたり、忙しい三寒四温の日々である。客の訪れない客間に放置していた蜜柑が萎びてしまい、カミさんが二つに割って庭の灯篭の上に置いた。
 「スズメかメジロが来たらいいね!」という期待に応えて現れたのはヒヨドリだった。いつもは「ピ~ヨ、ピ~ヨ!」と姦しさ代名詞のようにやかましいのに、音もなく松の下枝を潜ってやってきた。
 庭中のマンリョウや、ヤブコウジ、南天の真っ赤な実を、一粒残さず食い漁っていった雑食の強盗である。「憎っくき奴!」と、300ミリの望遠で捉えてみると、さあ困った。こやつが結構可愛いのである。

 ……全長27.5cm。 全体が灰色に見える色彩の鳥です。花の蜜や果実が大好物です。これは熱帯が主生息地であった祖先ヒヨドリの名残り。今では虫や草の葉、芽も食べますが、花が咲くと蜜を吸いにやってきます。東京では1970年頃までは10月に渡来し、4月に渡り去る冬鳥でした。それが、留鳥として一年中棲むようになりました。より南に棲んでいた留鳥が、北上してきたものと考えられています。また、今も秋には北海道から多数のヒヨドリが本州、四国、九州へ渡ってきます……

……その昔、一ノ谷の戦いで、源義経が平家の軍勢を追い落とした深い山あいを「鵯越え」というのも、そこが春と秋ヒヨドリの渡りの場所になっていたことからです……

 ネットに見る、ヒヨドリの身元確認である。

    ひよどりの こぼし去りぬる 実の赤き   蕪村

 蕪村の句と裏腹に、我が家の強盗は赤い実を一つもこぼすことなく飲み込んで去った。
 赤く輝く実は、色彩乏しい冬庭の貴重な風物詩だったのだが、「ヒ~ヨ、ヒ~ヨ!」のヒヨドリも又、風物詩の一つには違いない。
 そう自分に言い聞かせながら、灯篭の上にキョトンと佇むヒヨドリの姿に見入っていた。
                     I(2021年2月:写真:強盗ヒヨドリ)

慈悲のまなざし

2021年02月08日 | つれづれに

 ようやく仄かに朱を帯び始めた明けの空に、仏の眼差しのような細い上弦の月が浮かんでいた。昨日の4月を思わせる陽気も、日が落ちれば冬が還ってくる。夜明け間近な空気は鋭く冷え込んで、吹く風に涙が溢れてくる。
 ♪泣きながら 歩く 一人ぼっちの朝 ♪ ??
 石穴稲荷に参って家に帰り着くころには、もう明るくなった道にペンライトも要らない。かすかな朝焼けを背景に、一時停止の赤い点滅が新鮮で、その向こうにひっそりと眉月が浮かんでいた。

 朝のストレッチの後のウォーキングを、冬の間30分遅らせることにした。ほとんど人の通らない真っ暗な朝、心細さはないが、帰り着いても暗いのはちょっと寂しい。それに、朝のテレビ体操で健康美に輝く太ももを見るのは、その日の元気の源泉のひとつでもある。それもあって、歩き始めるのを6時35分に遅らせることにした。
 中学生のころ、友人の一人が、今で云う「太ももフェチ」だった。珍しく上下2段になった廊下側の板窓の下だけを開けて、廊下を通る女生徒の下半身を見ながら、「女は脚だよ!」とうそぶくおませな中学生だった。(彼は、やがてに東京に転校し、高校生の頃自ら命を絶った。その心境に思いを馳せながら、文芸部にいた3年生の時に、「春雷」という小説を書いた。拙い掌編だが、思いを込めて一気に書いた。深夜の隅田川に、睡眠薬を飲み下したポケットウイスキーの空き瓶を放り込む背景に、遠く春雷が鳴っていた。私なりの、一つの青春の足跡だった。)
 ラガーマンや、歌舞伎役者の鍛え上げられた太ももにウットリする奥様もいるようだから、八十路のジサマの太ももフェチも、見るだけなら罪になるまい。(呵々!)

 九州国立博物館の特別展「奈良 中宮寺の国宝」を観た。時節柄3密を避けるために、予めオンラインで日時を予約するシステムが取り入れられた。ホームページを開き、日時を選んで申し込み、クレジットカードで入金すると、QRコードが送られてくる。それをスマホで写し撮り、入り口でかざして入場する。
 便利なのか不便なのか、自称「アナログ人間」、他称「情報弱者」には、いささか抵抗がある。ネットもやらず、スマホも持たないお年寄りは置き去りなのかな?
 緊急事態宣言下だから、それほどの混雑もないようで、当日券もあるという。

 遠来の客が帰り始める3時半で申し込んだ。入館時に体温を測られ、手指の消毒をして、(元論、マスクなしでは入れない)入館した。高齢者割引も障害者割引もない1800円は安くはないが、カミさんには、それを感じさせない期待と憧れがあった。

 観客は僅かだった。さらさらと流し観て進んだ。一番奥の一室を独り占めして、その仏は静寂の底にいた。「国宝・菩薩半跏思惟像」、和紙で壁一面を覆った間接照明のほのかな明かりに包まれて、慈悲の優しいまなざし、そして感じたのは妖しいまでに艶っぽい唇だった。
 仏をどう拝み、どう感じるかは人それぞれであっていい。「こうだ!」と解釈を強いられる仏像鑑賞を、私は好まない。跪き、目線を下げて仏を見上げるのが好きで、どの仏の前でも跪くのを習慣にしている。そんな私が感じた「艶っぽい唇」だった。背筋の柔らか曲線も美しかった。
 学生時代から奈良狂い、仏像狂いの娘に、さっそく「日本の仏像の最高峰!」とLINEしたら「中宮寺で見たからいいも~ん!」と返事が来た。「私は、広隆寺の菩薩さん派ですな」とも。
 「やっぱり、阿修羅!」と返したら、「阿修羅は、菩薩ちゃいますがな(笑)」ときた。
 「日本で最高峰といわれる半跏思惟像の弥勒様が、太秦・広隆寺の弥勒菩薩と斑鳩・中宮寺の弥勒菩薩。中宮寺の飛鳥仏のアルカイックスマイルと、京都のは、もう少し時代を経てややふっくらと優しい面差しの弥勒像。色も特徴も違うから甲乙つけがたいけどね」
 さすがに詳しくて、脱帽するしかない。

 5時の閉館迄、角度を変え目線を変え、何度も繰り返し観て慈悲の眼差しに包まれ、後ろ髪を引かれながら黄昏れ始めた風の中を戻った。
                       (2021年2月:写真:菩薩半跏思惟像・チラシ)

蟋蟀庵、倒産!

2021年01月31日 | つれづれに

 三寒四温というより、体感的には四寒三温、想定外に長く生き過ぎて干乾び始めた老体には、今年の寒さは一段とこたえる。帯状疱疹後神経痛は、2年を過ぎても和らぐことなく、右腕右肩から背中にかけて、たまにお茶碗を落としそうなほどに痛む。経験しないとわからない痛みだが、極力考えないようにしているし、日常生活を極度に脅かすほどのものではない。

 何事もなく睦月が晦日を迎えた。先日、「4月上旬並み」という温かさに誘われて、カミさんを誘い天神山散策に出掛けた。
 団地を抜けて89段の階段を上れば、九州国立博物館。その右脇の歩道を回り込んでいくと、博物館メイン入口への車道に出る。今日は、「野うさぎの広場」への曲がり角は通り過ぎて歩みを進めた。
 200メートルほど歩くと、太宰府天満宮の右側を屏風のように囲む天神山の散策路と接するところがある。並行した道の敷石をひょいと跨ぐだけで、もうそこは天神山を巡る道路である。
 枝垂れ梅の蕾はまだ固いが、期待して見下ろした根方の草むらの中に、オオイヌノフグリが散らばるように咲いていた。早春の先駆けを、毎年ここで確かめることにしている。もうすぐ、スミレもその中に混じり始めることだろう。
 車道を少し歩くと、散策路への急坂が始まる。この散策路はアップダウンが少なく、息を弾ませることなく「山道気分」を味わうことができる。途中には、2か所ほど私の秘密基地もある。
 冬日にしては日差しが強く、汗ばむほどの光が降り注いで、冬枯れの木立を縫う道にくっきりと木漏れ日の陰影を落としていた。

 やがて、天開稲荷の赤い鳥居にたどり着く。入口(裏口)を守るお狐様が、「鬼滅の刃」ファッション!ここを下って20分ほど歩けば、「鬼滅の刃」の聖地のひとつ「竈門神社」がある。その近くにある地鶏料理の店のオヤジも、「鬼滅の刃」の半纏を着ているほど、このところ「あやかり」が多い。
 御神籤を引いた。年末の幸先詣りでは「吉」だったのに、今回は「小吉」に格下げになった。「中ぐらいなりおらが春」が、幸を使い果たして、更に「ささやかな春」になってしまった。

 赤い鳥居の林立する石段を潜って下り、有名な「お石茶屋」の緋毛氈の縁台を縫って、天満宮の梅園に降りた。梅の蕾はまだまだ固い。神頼みの受験生たちの三密の混雑を避けて、博物館のエントランスに抜けた。
 ただ1本、数輪の花を綻ばせた白梅が、この日の唯一の梅花だった。

 庭にたくさん赤い実を着けていたマンリョウ(万両)が、いつの間のか素っ裸にされていた!塀の陰や、庭の隅にこぼれていたヤブコウジ(十両)の実も一個もない。冬枯れの庭に、鮮やかな実をいっぱいにつけるマンリョウは、正月のめでたい縁起物である。小さな実を穂のように立てていたナンテンも、一粒残さず丸裸にされていた。
 多分、ヒヨドリの仕業である。1本でも見つかればもうおしまい。数羽がやってきて、あっという間に食べ尽くしてしまう。山に木の実の実りが乏しいのだろうか?「野うさぎの広場」への散策で、どんぐりが異様に少ないのを実感していた。そのとばっちりが蟋蟀庵にも及んだ。

 ン十万両の財産を失い、こうして蟋蟀庵はコロナ禍のもとに、倒産の憂き目を見る羽目になった。「小吉」どころか「大凶」の中に、さあ如月が始まる。

 緊急事態宣言は、まだまだ解除される見込みはない。人事権をひけらかして恫喝し、ビビった官僚に書かせた文章をたどたどしく読むしか能のない総理、自分の言葉で話す度に炎上し、小気味よいくらい支持率が下がっていく。この転落のカーブを、ぜひコロナ感染者減少のモデルにいただきたいものだ。
                   (2021年1月:写真:天開稲荷の「鬼滅の狐」)
 

歩き初め

2021年01月16日 | つれづれに

 文字通り、凍り付くような数日だった。積雪12センチ、蹲(つくばい)の滴りが、雪に覆われるツララとなった。南国九州と言っても、北部九州は裏日本気候であり、関東の青空に比べると、鈍色の福岡の冬空は暗く重い。
 僅か20メートルほどの坂道の為に、この程度の雪が積もると車が上がってこない。そのまま凍てつくから、タクシーや宅急便は勿論、救急車もチェーンを巻かないと上がって来られないのだ。
 息を潜めるように耐えて数日、酷寒は長くは続かなかった。気温が上がり雪解けが始まると、今度は雪爆弾が一晩中炸裂する。屋根に積もった雪がずり落ち、時折ドスーンと落下する。物干し竿を2本跳ね飛ばし、ラカンマキの垣根をバキバキと折って雪の塊が落ちる。迂闊に軒下に立つと、2階の屋根から落ちる雪塊に大怪我しかねない。雪国で雪下ろし中の転落や埋没事故死が続いているが、南国九州でも油断するとただでは済まない。

 温もりが戻ったところで、運転免許証の更新に出掛けた。いつも行くゴールド免許更新所は街中の地下にあり、後期高齢者講習を受けた自動車学校から、「密になるし換気も悪いから、福岡自動車試験場に行くように」と勧められた。マイカーで30分、閑散とした試験場で申請書を書き、更新手数料2,500円を払い、写真を撮られ、10分ほどで新しい免許証が交付された。
 取得したのは昭和38年11月30日、社会人になった年の冬だった。昭和という年号が、もう通用しない。1963年、57年前のことである。当時は、中型免許(8トンまで)を取得すると、自動的に大型自動二輪の免許が付いてきた。だから、今でもその気になればナナハンの大型バイクに乗ることもできる。(実は、高校生の頃、学校のグランド1周、無免許で走ったことがある。公道じゃないから、まぁ時効ということで……。)
 
 新たな免許証の有効期限は2024年(令和6年)2月18日まで。その時、コロナにやられていなければ、私は85歳を迎えている。だから自分なりには、最後の免許更新のつもりでいる。
 返納しても、生活に不自由ない社会になっていることを祈ろう。

 唐突に春が来た!数日前の「最高気温0度」から一転、17度を超える4月初めの桜満開の気温になった。コロナ籠り・冬籠りに倦んだ身体を奮い立たせて、カミさんと今年の「歩き初め」に出た。
 市の図書館の駐車場に車を置き、御笠川沿いの遊歩道に出る。雲一つない青空である。2か月余り後には、この道は満開の桜のトンネルになる。降水少なく、水量の減った川面に、昼下がりの日差しが眩しいほどに照り返し、吹く風に無数のさざ波が川面を覆う。その中をコガモの夫婦が掻き分けて泳ぎ、時折シラサギが羽音高く羽搏いて飛ぶ。
 冬枯れの土手に色彩は乏しいが、温かい日差しが何よりのご馳走だった。朱雀大路まで歩いて右折、大宰府政庁跡の広場に立った。毎年愛でる早春の花・シナノマンサクの蕾もまだ固く、わずかに黄色い芯を覗かせるだけだった。
 たまに行き過ぎる人の心象の為にマスクはしているが、この殆ど人気のない広場の空気の中に何の不安があろう!
 
 裏道を抜け、イノシシ防護柵に囲われた畑地の間を歩いた。道端に早くも咲いているオオイヌノフグリ、青空のかけらを散り敷いたような、早春の使者である。観世音寺に参って、図書館の駐車場に戻った。1時間半あまりの「のんびり散策、」5,000歩あまりの春風の先取りだった。

 一日限りの先駆けの春の後、再び寒波がやってくる。三寒四温を重ねながら、ゆっくりと春の足音が近づいていた。

 ――二兎を追う者は一兎も得ず。感染防止と経済を回すことはトレードオフ(二律背反)の関係にあり、両立を目指す菅政権の政策は不可能を強いるもの。リーダーシップなき首相は経済界にとっても“お荷物”でしかない――
 
 そんな記事をネットで見ても、もう腹も立たなくなった。麻痺し始めている自分が、少し恐ろしくなる昨今である。
         (             2021年1月:写真:照り返す川面のさざ波)