今日は77回目の原爆の日!8月6日午前8時15分、広島に原爆が落とされました。
一瞬にして数十万人の命が奪われ、今なお被爆の影響で病に苦しんでいらっしゃる方々がいます。
身近では私の両親(1996年他界)も夫の父(1987年他界)も実姉、夫も被爆者です。
夫は入市被爆者です。入市被爆者とは、原爆が投下された直後に爆心地近くに入り、
残留していた放射性の影響をうけたであろう者のことです。
夫の父は行方不明の妹(夫にとっては叔母)を探すために夫を背負い入市し、被爆しました。
彼は現在被爆者手帳を取得しており、何かと医療費の面で国の補助を受けています。
が、被爆者手帳を交付していただいたのは私と結婚してからでした。
入市被爆者として認定を受けるには煩わしい条件があり、亡くなった父がいろいろと手を尽くし、
その条件をクリアー、戦後20数年たって被爆者として認定を受けました。
家族を持ち、立派に独り立ちをしていた夫に、義父の言ったその時の言葉が今でも忘れられません。
「親としてできる最後の仕事だ」と。入市していたことを知る証人を探し当てるのに苦労したと。
私の両親も夫の両親も、被爆の影響かどうかは定かではありませんが、早世でした。
が、幸い夫も実姉も今のところ元気に過ごしています。感謝です。
私はと言えば翌年の8月に生まれ、辛うじて胎内被曝をも免れることができました。
もう2~3か月早く母のお腹に宿っていたら、胎児ゆえに大きな影響を受けていたかもしれません。
いえ、産まれていなかったかも?
昨年秋、義兄の7回忌を迎えるにあたり、よい機会と孫娘たちを広島に同行しました。
そして今年3月には中学を卒業した孫息子も夫と共に広島を訪れました。
平和の大切さを知ってもらうためにも、孫たちを広島に連れていくことが私の長年の願いでした。
それが実現でき本当に良かったです。
以前記した父母のその日の体験記事があります。お時間のある時にお読みいただければと思います。
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一行一行がとても重く伝わりました。
義父さまの一言に、被爆者の辛さも悲しみも怒りもそして強さも集約されていると思いました。
テレビで、77年たった今でも当時を思い出して涙する姿に、苦しみも辛さも全然薄れていない現実に胸が詰まります。
結婚して暫く長崎に住みましたが、被爆者の方に直接に話を聞いたことは一度もありませんでした。祈りの長崎といわれていましたが、やっぱり伝えていかないと、どんどん薄れていきますね。
またやってきました、8月6日。鎮魂と平和への祈りの一日です。
本当の強さとは?違いを認め相手を受け入れること、思いやりの心を持ち、相手を理解しようとすること!
そうすれば戦争は起こらないはずです!
全くその通りです。日常でも諍いは起こらないはずです。
子供たちの挨拶がとても心に沁みました。
私の両親、姉、そして戦後生まれた私、幸運な人間だと思っています。
生きのびられたこの命を大切に一日一日頑張って生きてまいりましょう。