世界に一つだけの姥花日記

貴方は貴方らしく私は私らしく、世界にただ一つだけのきれいな花を一生懸命咲かせましょう。
シニア主婦の平凡な日記です。

興奮しました、でも残念

2018年10月31日 | 日常の生活

なんという試合だったでしょう、昨夜の日本シリーズ第3戦!面白い試合でした。

ハラハラドキドキ、手に汗握るとはこういうことでしょう。

と言っても、私は9対3になった時点で、とても観ていられず、TVを消しました。

きっとソフトバンクが2ケタ得点で、わが愛するカープは木っ端みじんにやられてしまうのだろうと。

そんな試合は観たくなんかない。

10時過ぎ、そろそろ終わっているだろうとTVをオンにすると、野球好きの皆様は言うまでもなくよくご存知。

8回表、誠也がソロホームランを打ち、9対4、その後安倍が満塁ホームランで9対8!

<誠也ソロホームランで9対4>

<安倍満塁ホームランで9対8>

その数字を見た時、わが目を疑いました、私はねぼけているのかな?って。これ現実?

まさかの展開にもう興奮はマックスです。広島カープの強さは本物だ!どうだソフトバンク!

これは分からなくなった、9回表広島の粘りでもう1点。第一戦のような延長引き分けでいい。

何とかもう1点!必死で応援しましたよ。

第1バッター丸に期待しました、日本シリーズになって全く当たっていないが頼りになる丸に。

でもやはり彼の不調はどうしようもなく、空を切るまたもや三振。

それでも2アウト1,3塁。一打同点の場面でしたが、野間、ファーストゴロでゲームセット。

ソフトバンクの選手たち、ファンたちは生きた心地がしなかったでしょうね。

℃℃℃ の勢いのカープに。

私がソフトバンクのファンだったら、布団をかぶってふて寝しています(笑)。

10点差も追い上げての1点差も負けは負け。

それでも明日(今日)につながる、きっとカープは「日本一」になると思える手ごたえある負けでした。

でも残念、悔しい、皆よく粘って頑張ったと褒めてあげたいけれど、

やっぱりあそこまで追いついたのだから勝ちたかったな~!


今日からの試合はどういう展開になるでしょう。

ソフトバンクは昨夜のカープの粘りにビビったのでは?きっと勝った気がしていないのでは?

それがどう影響するか。

毎回日本一を目指すにふさわしい熱戦が続いています。さすがと思わざるを得ません。

ソフトバンクのホーム、ヤフオクドームの半分を埋め尽くす熱いカープファン。

ここはどこの球場?と思わせるほど真っ赤に染まった3塁側。

選手もファンも「新井さん」の言葉を借りて、皆家族です。家族一丸となって今日も頑張りましょう。


いや~野球って本当に面白いです!

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圧迫骨折の経過記録 その2

2018年10月30日 | 医療 健康 美容

<9月5~7日>

軽井沢旅行。予定を大幅に変更して、山もゴルフもなし、静養が目的。が、碓氷峠に登る。

全く背中腰痛み無し。爽快なハイキング。ただし荷物はポシェトのみ、手ぶら同然。

9月19日>

M整形外科クリニックへ。X線レントゲンを撮る。

X線レントゲンで最初、骨折を見つけることができなかったのだから、

何回撮っても同じではないかと疑問を持ったが、先生の指図には文句は言えない。

X線レントゲンの結果、最初は変化なしと言われた。

ところが再度診察室に呼ばれ、前回の画像と比較して、10番の潰れが少し進んでいるようだと。

この時点で私は家事をしている限りでは全く痛みは感じていなかった。それなのに~。

コルセットをして安静にしていてくださいとの指示。今が一番大切ですよと。

「ハイハイ、分かりました」と言いながら、少しも素直でない反抗的な私。

私、どうもこのM先生とはウマが合わない。

海外旅行行くんだもの。体鍛えなきゃ~!

<10月6~13日>

「ドイツバイエルンアルプスハイキングと歩いて楽しむロマンティック街道8日間」のツアーに参加。

10月の頭、来院してくださいとのM先生の言葉を無視して10月6日、海外へ飛んだ。

海外ではもう煩わしくてコルセットなどしていられない。

圧迫骨折をしていることも忘れ、毎日25000歩前後元気に歩いた。

思えばなんという無謀!どこかで歩けなくなるのではという不安はあったが、

何事も起こらず、楽しい旅行を満喫できた。

M先生も、T総合病院の整形外科の担当医も海外旅行には渋い顔をなさったが・・・・。

勇気を出して決行してよかった!キャンセルしなくて良かったと思っている。

帰国後も特に痛みがひどくなっているということはない。

<10月19日>

予約していたT病院の診察。

X線レントゲンの結果、前と変わらず、潰れは進行していないとのこと。

変化のないのが一番、経過良好ということになるそうだ。

旅行後の最初のレントゲン、少しドキドキしたが、特に変化なく安心した。

骨密度も測った。3月に計ったときより上がっている。ビタミンDの薬のせい?

どちらにしても以前から骨密度は問題ない。それなのになぜ骨折したの?血液検査の結果も良好。

次回の通院は12月21日。そんなに先でいいの~?ちょっと不安。

<10月25日>

こちらのクリニックはこれを最後にと再度M整形外科を訪れる。

1週間に2回レントゲンを撮ることに抵抗はあったが、厳しい見方をなさるM先生の所見も聞きたかった。

X線レントゲン後、先生の所見はT病院と変わらず、変化なし。

6,7,12番の胸椎はレントゲンではまともな形をしていて、全く骨折の影はない

10番だけ素人の私にも少し上がつぶれているのが分かる。

しかし9月旅行前に撮った画像と全く変わりない、ということは旅行の影響はなかったということ?

先生に伺ってみた。

「完治とは骨がどうなることですか?新しい骨ができて、元のような形になるのですか?」と。

先生はきっぱりと仰った。

「それはない、潰れたまま骨が固まることが完治。痛みがなくてもジワジワと骨がつぶれていくこともあるのです。

そうすると腰が曲がります、腰痛や足のしびれなどが置きます」と。相変わらず脅すM先生!

「ですから1年間は1ヶ月に1回レントゲンを撮って観察していかなければならない。」

「コルセットはしていますか?」と聞かれた。私「いえ、もう煩わしくてしていません」。

先生「コルセットは3ヶ月から6ヶ月は装着、運動は禁止です」

それはできない、今72歳の私、先がないのです。明日はどうなるか分からない年齢。

1年間もやりたいことを我慢することはできませんと、心の中で叫んだ。

今後厳しいM整形外科と鷹揚なT病院とどちらを選ぶべきか、迷っている。


現在の私の状況

相変わらずお布団から起き上がるとき腰に違和感がある。起きてしまえば平気。

同じ姿勢を長時間続けていると、背中から腰にかけて張を感じる。

今年いっぱいおとなしくしていないといけないかな~

コルセット、ちゃんと装着していま~す!あ~窮屈!


コメント欄開けました。

 

 

 










 

 

 

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圧迫骨折の経過記録~その1

2018年10月29日 | 医療 健康 美容

今週はずっと良いお天気のようですね。

ようやく秋晴れといえそうで、こころも晴れ晴れします。

 

8月10日に転倒し2カ月と20日が経過しました。

この辺りで今までの経過を備忘録として日を追ってまとめ綴っておこうという気になりました。

  <8月10日(日曜日)>

お寺さんでのお施餓鬼行事に姉と一緒に参加の予定だった。その前にランチ。

そのレストランの入り口で段差に足をとられ背中から転倒。後頭部と背中を強打。

あまりの衝撃に一瞬気が遠くなった。しかしすぐ正常に戻り、助け起こされた。

救急車をという声が聞こえたが、それはお断りして、その後の用事を済ませた。

背中の痛みと左太もも頚部の痛みに耐えながら帰宅。

最寄りのM整形外科クリニックへ飛び込んだ。大腿部と脊柱のX線レントゲン写真を撮る。

             異常なし。打撲とのこと、ホッとする。痛み止めと湿布をいただいて帰宅。

  <8月12日(火曜日)> 

お盆のお棚経で姉宅へ、背痛で運転に自信がなく夫同伴。

  <8月17日(金曜日>

通院。経過報告。痛みはかなり和らいだ。静脈注射。

  <8月20日(月曜日)> 

予定外の通院。寝起き、体位を変えるときに痛みがある、激痛というほどではないが。

M先生は休暇中、代行の医師に診てもらう。もう一度レントゲンを撮りましょうということに。

椎体の骨折は少し時間が経ってから現れる場合があるらしい。負傷直後はレントゲンに写らないことが多い

    8月10日に撮った画像と変わらないが、数年前に撮った画像と比較するとあやしい部分があるとのこと。

 8月24日(金曜日)> 

痛みは治まっていたが、M先生の判断で精密検査MRIを撮ることになる。総合病院に予約をいれてもらう。

 <8月27日28日(月 火曜日)> 

E総合病院放射線科で胸椎腰椎のMRIの検査。画像をMクリニックに持参。

診断は胸椎6番、7番、10番、12番4本の胸椎圧迫骨折。ウソー!痛くないのよ、そんなバカな!

エディロール0,75mg服用始める。ビタミンだ剤。

M先生の診断(町医者なので)が信じられず、もっと大きな総合病院で診断してもらおうと決心。

が、ここは先生のいうことを聞いて特注のダーメンコルセットを注文することにする。

<8月29日>

T病院の整形外科の門をたたく。M先生には内緒なので紹介状なし。待たされる。

やはりX線レントゲン撮影で骨折無しと言われた。MRIの必要はないでしょうとも。

が、私は食い下がった。すでにMRIで骨折との診断が出ているので、そのことは伏せて、

是非安心のためにMRIを撮ってほしいとお願いした。

<8月31日>

T病院でMRI撮影。Mクリニックと同様4ヵ所の圧迫骨折と診断された。

この先生もヤブ?もしこの病院が先だったら、おそらくMRIはとっていないだろう。

今頃骨折しているとは知らず、ゴルフ、山と遊びまわり、さらなる潰れに大変なことになっていたかも。

ちょっぴりM整形クリニックのM先生を見直した。

2か所の病院で同じ診断を下されては、信じないわけにはいかず、万事休す!

M整形外科クリニックと同じ薬が処方される。血液検査もした。

次回のT病院の予約は10月19日(ずいぶん先だな~?)

<9月4日>

M整形外科へ。コルセット完成。この日からコルセット装着。

コルセットの窮屈さは慣れるまで地獄。息苦しく、食欲も落ちる。気にしないことにするしかない。

翌日から2泊3日で軽井沢の予定。静養してこよう。


長くなりますのでこの続きは次回にします。

私の備忘録にて、コメント欄は閉じさせていただきます。

     

        

 

 


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バイエルンアルプスハイキング~その6 ツークシュピッツェ観光とアイプ湖一周ハイキング

2018年10月27日 | 海外旅行

ハイキングの最終日です。

3日間は山のリゾート地「ガルミッシュパルテンキルヒェンに連泊でした。

この町もフレスコ画を描かれた家々が多く、美しい山のリゾート地です。

最後の夜、ディナーを頂いたビーヤレストラン。

とてもラッキーなことに、私たちは最後の日も晴天に恵まれました。

正直、この日だけは絶対晴れてほしかった私たち夫婦です。

40年前の9月9日、私たちはツークシュピッツェの山頂に立っていました。

もちろんロープウェイで!

その写真がこれです。なんとどこもかも雪、雪、雪!真っ白でな~にも見えません。

右上の写真は重装備をして外を歩くアルピニストに手を振っているところです。

右下の写真はアイプゼーの散策。雨でした。

でも今回は違いますよ~!リベンジです!

朝目覚めたらホテルからこんな堂々とした美しい岩山ツークシュピッツェが仰ぎ見えました。

最初の予定ではアイプゼーまで専用バスで行き、そこからEipsee-Seilbahn(ロープウェイ)で山頂まで。

ところがロープウェイは故障、この日は運行中止です。

<このロープウェイに乗る予定でした>

そこで急遽ガルミッシュ鉄道駅からZugspitzebahnと別のロープウェイへと乗り継ぎ山頂へ。

この鉄道には山をくりぬいた長いトンネルがあるので、途中の景色はあまり見られません。

<午後歩く予定のアイプゼー。車窓から>

折角の晴天ですのに、Eipsee-Seibahnに乗れなかったのは残念です。

前回はアイプ湖に車を止め、このロープウェイで山頂まで行きましたが、雪で何も見えませんでした。

お客も私たち家族だけ(笑)。もの好きですよね。これだけはリベンジ不可でした。

 

私たちの車両にひとりだけドイツ人のおばあさんが紛れ込みました。

東洋人ばかりで驚いたのか、いろいろ話かけてきます。もちろんドイツ語。

ツアーリーダーは英語しかできません。そこで私の出番。通じましたよ、私のドイツ語!

きっと居心地が悪かったのでしょうね。他の車両に移られましたけど。

鉄道の終点(Schneefernerhaus)ですでに2650m.

ここから眺めた山頂の建物です。

スイスでもオーストリアでもいつも思います。よくぞこんな高いところにこんな立派な展望台を造ったものだと。

そしてヨーロッパンの山には必ず山頂に教会があります。日本の山の祠のようなものでしょうか。

 

ここからGletscherbahnに乗り換え山頂へ(2962m)。


<ロープウェイの中からの画像>


<眼下に見えるはアイプ湖>

360度、視界を遮ることなく、どこを見ても美しい山々が連なります。

そういえばZugspitzeの意味ですが、ちょっぴり知ったかぶりをしていいですか?(苦笑)

Zugは「列車」とか「行列」いう意味、Spitzeは「山頂」という意味です。

ですから連なる峰々とでも言いましょうか。

スイス、オーストリアの雪を頂いた山々が見えますが、どこがどこやらは説明不可です、ごめんなさい(汗)。

 

実は本当の山頂はこの岩山。十字架の立っているところです。

 

しかしここに上がるにはロープと梯を使って岩をよじ登らなくては行けません。

 

ほとんどの観光客が展望テラスで展望を楽しみます。十分です、満腹ですね。


山頂での展望を楽しんだ後、アイプ湖まで再び戻り、湖一周ハイキングです。

アイプ湖は周囲約8,8キロ、深さ約35m、氷河の後退によってできた氷河湖です。

こちらも40年前は雨でしたので、リベンジです。

厳しく切り立った岩山と蒼く澄んだ湖面、黄葉紅葉のコントラストに目を奪われながら、

約2時間の心地よいハイキングです。なだらかな道で、家族連れ、老若男女で賑わっていました

<この橋には見覚えがありました。上のアルバムに乗っている橋です>

名残を惜しみながら、これが秋色染まるドイツの最後のハイキングです。

さようなら、ドイツ!ありがとう、ドイツ!私にとって第二の故郷ともいえるドイツ!

思い出と交錯しながら楽しい楽しい旅でした。

「きっとまた来ます」と言いたいところですが、来れるかな~?

翌日早朝、アムステルダム経由で無事帰国しました。


長々とバイエルンアルプスハイキングの旅におつきあいくださり、ありがとうございます。

書きたいことの半分も書けず、載せたい写真の半分も載せられずでしたが、楽しんでいただけたでしょうか。

とりあえずこの辺りで旅行記のペンをいったん置くことに致します。

 

旅行ブログを綴るのに精いっぱいで、皆様のブログにも足跡を残すことができず失礼をしておりました。

これからボチボチお訪ねしたいと思っております。どうぞ宜しくお願いいたします。


            

 

さてさて今日から日本シリーズが始まります。

今から、もう私のボルテージは上がりっぱなし。

ソフトバンクファンでない方々、どうか私のために(?)広島カープの応援よろしくお願いいたします。

 

 

 




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バイエルンアルプスハイキング~その5 フュッセンからへノイシュバンシュタイン城へ

2018年10月26日 | 海外旅行

バイエルンアルプスハイキングも終盤です。

正直このシリーズも早く終わらせたい気分(少々疲れた~)。

でも旅の記録としてどうしてもまとめておかなければなりません、自分のために。

帰国してこうしてブログを綴ることにより、思い出はより一層濃くなっていきますから。


10月10日、この日はロマンティック街道の終着の街フュッセンから、美しい落葉樹の森を抜けて、

ノイシュヴァンシュタイン城の起点となるホーエンシュヴァンガウまで歩きます。

ガイドはドイツ人と結婚、30年この地に住む日本人女性ゆかりさん。

ハイキングしながら、主婦の立場でいろいろなドイツ事情を伺え、とても楽しかったです。

<朝霧にかすむレヒ川に面した聖マング市教区教会とフュッセン市博物館>

フュッセン博物館は9世紀から1802年まで修道院として町の繁栄を支えてきました。

現在はフュッセンにまつわる博物館、また市庁舎として使われています。

<14~5世紀に建てられたアウグスブルク大司教の離宮ホーエス城>

フュッセン博物館、そしてこのホーエス城の建物はとてもユニークなところがあり、

一見すると本物に見えますが、外壁のレンガ、窓飾り、時計・・・全て「だまし絵」なのです。

実にうまく描かれていて、説明がなければ気が付かない程です。


山に入ります。ここはアルペンローゼーベーク(Alpenroseweg)といい、

名前からするとアルプス三大名花アルペンローゼがたくさん咲いている道に思えますが、

ガイドのゆかりさんおお話では、咲いているのを見たことがないと。

 

<レヒ川>

この道は今回の旅行で最も山道らしい山道であったかもしれません。

今から訪れるノイシュヴァンシュタイン城の後方に見える二つの湖、シュヴァン湖、アルプ湖を見下ろしながら、

アルプ湖のほとりのホーエンシュヴァンガウまでのハイキングです。

でもハイキングの写真がほとんどありません。夫も撮っていなかったようです。

<左上に白亜の城 ノイシュバンシュタイン城がみえます。眼下はアルプ湖 右下は博物館>

途中アルプ湖を見下ろし、ノイシュヴァンシュタイン城を見上げるビューポイントです。

ノイシュヴァンシュタイン城が目に飛び込んできた時には「ドイツに来たんだ~」という感動がありました。

<ホーエンシュバンガウ城 黄色味のどっしりとしたお城>

40年前訪れた時はもっと古色蒼然とした風情があり、Schloss(城)というよりBrug(城塞)といった感じでしたが、

今回は黄色味濃くぬりかえられたのか、美しいお城のイメージで、以前の方が歴史が感じられいいな~と思ったものです。

 ルードヴィッヒ2世の父マクシミリアン2世が建てたお城で、ルードヴィッヒもここで幸せな子供時代を過ごしました。


さて昼食を挟んでいよいよドイツ旅行のハイライトともいえるノイシュバンシュタイン城へ向かいます。

その前に一休み

 

中央が日本人現地ガイドのゆかりさん。

<レストランから見上げるノイシュバンシュタイン城>

お城への行き方には3つの方法があります。徒歩、馬車、専用バス!

これにもびっくり!半世紀近く前に私たちが訪れた時は徒歩か馬車しかありませんでした。

幼い二人の子供を連れて、坂道を40分かけて歩いて登ったものです。

ですから今のように混雑もしていませんでしたし、すぐに入場できました。写真もOKでした。

今回は専用バスで。バスの終点は人気の絶景ビューポイントマリエン橋。


<お城の後方、左側がアルプ湖 右側がシュヴァン湖>

ちなみにシュヴァン(Schwan)は白鳥、ノイ(neu)は新しい、シュタインSteinは石の意味。

日本人ツーリストの中にはノイシュバインシュタインという方がいますが、これは大きな間違い。

シュバインはドイツ語で豚になりますからお気をつけてとゆかりさん!(笑)

この橋へも当時はお城から山道を歩いていかなければならず、知る人ぞ知るのビューポイントでした。

当時のブルーガイド「ドイツの旅」にもマリエン橋の詳細な紹介はなく、こう綴られています。

「山間の美しい湖アルプエゼーを背景に眺めるその姿は、この世のものとも思われないほど。

残念ながら裏山への一般登山道はない。裏手の山道をたどり渓谷にかかる高い橋の上から眺めるとよい」

「渓谷に係る高い橋!その橋が今のマリエン橋です。

そして裏手の山道の入り口がここ!現在は通行止めになっています。懐かしかったな~。

当時は名前もなかったような。道すがら人に会うこともなく、その絶景は私たち家族で独占でした。

お城の内部からマリエン橋を撮った画像。よくぞこんなところに橋を架けたものだと感心しました。

下を見るとちょっとコワイですよ。

ノイシュヴァンシュタイン城から今歩いてきた道が見えます。

右の湖シュヴァン湖の奥の森の中を歩き、左のアルプ湖のほとりを歩き、

ホーエンシュバンガウ城のふもとへ出てきました。


お城の内部は日本語の音声ガイドがあり、撮影は禁止です。

バイエルン王ルードヴィッヒ2世は17年の歳月と巨額の費用をかけて、憧れの中世のお城を実現させました。

というのもこのお城は決して中世に建てられたものではなく、19世紀後半の築城です。

城内は王の憧憬した作曲家リヒャルト・ワーグナーのオペラの名場面の壁画で埋まり、

絢爛豪華で目を見張ります。そこは昔と変わっていません。

が、彼は建築と音楽に破滅的な浪費を繰り返し、「狂王」の異名のもと、城の完成を見ずして、

シュタルンベルク湖ほとりのベルク城に幽閉され、その翌日シュタルンベルク湖で謎の死を遂げます。

この方がルードヴィッヒ2世!イケメン王ですね。

こうした悲劇の物語が、いっそうお城の美しさを引き立てているようで、私たちのロマンは掻き立てられます。

築城当時、決して歓迎されず、狂人と言われたルードヴィッヒ2世の建てたこの白亜のお城が、

いまやドイツ観光のシンボルマーク、ドル箱になっているのも、なんとも皮肉としか言いようがありません。


帰路、のどかな草原の真っ只中に立つ世界遺産ヴィースの教会に寄りました。

 

ヨーロッパでもっとも美しいといわれるロココ様式の教会で、内部の華やかさと壮麗さに目を奪われます。

やはり内部撮影は禁止です(40年前はOKでしたが)。

さらに木工の町、オーバーアマガワにも寄りましたが、内容濃い今日のスケジュールにもう皆少々お疲れ。

写真無しです。


さて最後におまけの写真を2枚!40年前!アルバムから。

当時のマリエン橋で。

後方小高い丘の上にノイシュヴァンシュタイン城が見えます。

いまや立派なおじさん、おばさんとなったこの二人のわが子はこのお城に当時何を感じたでしょうか。





 




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