昨日は高尾の友達夫婦からの秋の恒例のお招きに甘えてきました。いつもいつも 。
一番の目的は実った柿のもぎ取りです。一体何本あるのだろうと思うほど柿の木が沢山あります。
そしてお土産に沢山の柿を持ち帰りました。ザックに詰め込めるだけ詰め込み、まるで終戦時の買出しのよう。
すっかりご馳走になってしまいました。材料から何から何まで全て手作り。これこそ本当の贅沢というものでしょう。
<手作りの栗羊羹 勿論栗は自分の庭で取れたもの>
主婦のお手本のような方。頭が下がります。私は穴があったら入りたいわ。
主食のパエリアは私もお手伝いさせていただきました。ホットプレートで簡単にできるのですね。
ホットプレートにオリーブオイルを敷き、タマネギ、キノコ類、鶏肉(ウインナーでも)をいれ、お米が透明になるまでよく炒めます。
次に下処理したムール貝、海老、パプリカ、その他好みの野菜を散らしてスープとサフランを入れます。
蓋をして30分蒸して出来上がり。お手伝いですから正確なレシピはネットで検索してくださいね。
ご主人様(夫の幼馴染)もとてもマメなお方でよく手伝われます。(我が亭主とは大違い!)
その生活ぶりは、マンション暮らしの私たちにとっては別世界。緑に囲まれてのひと時はとても落ち着き、安らぎました。
さ~今から頂いた柿で干し柿を作ることにします。
(手前は隼人瓜)
何もできない怠け者の亭主にせめて皮むきでもして貰おうと思っていましたが、今日から友達と上高地へGO!
仕方がないので、ひとりで頑張ることにします。その前にこのブログアップを!
(ブログを綴っているとき、お電話があり、まだ作業を始めていないなら、1週間ぐらい置いたほうがよいとのことでした。)
ここまでは余談と言うべきかもしれません。今日の本題はここからです。
皆さんは湯の花トンネル列車アメリカ軍襲撃事件というのをご存知ですか。
昭和20年8月5日正午過ぎ、東京都南多摩郡浅川町(今の八王子市裏高尾)内の国鉄中央線上、
この湯の花トンネルにさしかかった新宿発長野行きの8両編成の列車が突然複数のアメリカ軍戦闘機に襲撃されます。
機関車と1両目はトンネル内に入り停止、その結果トンネル外にあった2両目以降が執拗な機銃掃射に晒され、
多くの民間人が犠牲になりました。
想像するに敗戦間近、本土決戦を恐れ、故郷信州への疎開者が多く乗車していたのではないでしょうか。
列車は鮨詰めの満員状態だったということです。
その湯の花トンネルが今回訪れたM氏の高尾の家のすぐ裏にあります。
そしてその線路沿いには慰霊碑が建立され、亡くなった方々の氏名が刻まれています。
こんな静かでのどかな町にも戦争の悲しい深い傷跡があるのですね。
戦時下とはいえ、こんなの山間で民間の列車を襲撃するなんて・・・・・・。本当に驚きました。
2015年3月9日にTBS「私の街も戦場だった」と題してこの事件を取り上げたドキュメンタリードラマががあったそうです。
私は観ておりませんが、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんね。
トンネルを見つめながら犠牲者の冥福を祈り、今の平和を願わずにはいられませんでした。
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