風になれたら

SUZUKI Bandit1250Sに乗って風になり
中島みゆきや渡辺美里を聴いて風になり
山を歩いて風になる

北海道ツーリング2016 4日目 暴風の宗谷岬

2017-01-02 | 

10/4(火) 曇り

 今日もはっきりとしない天気だ。小雨がぱらつき、湖畔は相変わらず強い風が吹いている。昨晩の激しい雨でテントの床の一角が少し浸水していた。滲み出た水の塊を拭いた。縫い目から浸水したようだ。朝ごはんを食べた後、旅立ちの支度をするライダーと、昨日知り合ったライダーとキャンプ場の話をした。やはり、温泉と街が近く、静かなキャンプ場がツーリングには最適だと言うことに落ち着いた。その後、お昼までごろごしていたが、空が持ちそうだったので出かけることにした。2、3時間で行けるところ、宗谷岬にしよう。

 郵便局で新潟のスピード違反の反則金を支払った。郵便局で対応してくれた女性が美しかったので、出会いとはこういう所にあるのだな、と思った。思っただけだけど。気持ちを新たにエサヌカ線に向かった。私の気持ちの良い道ランキング上位に入る道、これぞ北海道、頭の中が空っぽになる道、素晴らしい。

 エサヌカ線を抜けてオホーツク海沿いを北上して宗谷岬を目指した。宗谷岬が近づくと空が暗くなり、風が強くなった。海からの飛沫でバイクも身体もベトベトだ。ヘルメットのシールドを拭いながら宗谷岬に到着した。宗谷岬はガラガラで、数人の観光客が風に逆らいながら歩いていた。バイクを停めた時、強風に煽られてあわや転倒しそうになった。あそこで踏ん張れたのはほぼ奇跡だった。

 冷たい強風に吹かれた身体を温めるためにラーメン屋に入った。迷わずホタテラーメンを頼んだ。可愛いホタテで拍子抜けしたが味は悪くなかった。

 店主に今日は風が強いですか?と聞いたら、とても強くて台風並みだと言っていた。そうだよな、観光客の人が斜めになって歩いていたもんな、と思い出した。丘の上はどうですか?と聞いたら、丘の上も風は強いよと答えてくれた。風は強くとも波飛沫はないだろうから、丘の上に行ってみよう。丘を越えてしばらく行くと、オホーツク海に抜ける道路は通行止めで、白い道と呼ばれる抜け道も通行止めであった。オホーツク海側がだめなら日本海側に抜ける道か。その道を少し走って地図を確認するとけっこうな遠回りになるので、Uターンして帰ろう。

 帰りもエサヌカ線を走り、空を眺めた。クッチャロ湖畔にに着くと相変わらず強い風だ。温泉に入ったあと、テントの中でトマト入りうどん鍋を食べて温まった。明日晴れたら屈斜路湖に向かおう。

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北海道ツーリング2016 3日目 山女魚を求めて

2016-12-31 | 

10/3(月) 曇り

 昨晩はひどい風が吹いていた、雨も何度かパラついていた。北海道は晩秋を迎え、空気も冷たい。温かいものを食べて身体の中から温めるのが正解だ。チーズとハムを挟んだホットサンドとタモギ茸と卵を入れた中華スープ、どちらも熱々だ。

 今日は釣りに行こうかと思っていたのだが、風も強く、雨も降りそうなので、ぐずぐずしていた。ぐずぐずしていてもいいのだけれど、風が強いのは湖畔だからかもしれない。とりあえず出かけよう。湖を離れると風はすぐに治まった。風が強いのは湖のまわりだけのようだ。

 しばらく走って、以前寄ったことのある小渓に分け入った。ここでは15cmぐらいの山女魚が釣れた。

 その後、追ってくる山女魚はいるものの、どれも小さくルアーに食らいつくものはいなかった。こんな小さな流れに時折大きな魚影がぬるりと現れる。鮭だ。もちろん、獲ってはいけない。一生を終えた鮭が漂っていたり、河原で干からびていたりするのを見るのは珍しくない。

 鮭が多い川にはその死臭が漂っていた。ある河川に入ったとき、山女魚の気配はなく、多くの鮭の死骸が河原に打ち捨てらていた。どれも頭だけない。頭だけ食べるのは熊だ。河原は石が多いが、砂地の所も少しあり、そこで熊の足跡を見つけた。

 足跡にはしっかりと爪の形まで残っていた。熊と鉢合わせは避けたいのですぐに退散したのであった。

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北海道ツーリング2016 2日目 小樽からクッチャロ湖へ

2016-12-30 | 

10/2(日) 晴れ

 小樽に入港すると天気はそこそこ良さそうであった。鱗友朝市に向かった。朝5時からさんま丼をいただく。

 旅はお腹が空く。もう一杯いけそうだった。何度小樽に来ても立ち寄ってしまう小樽運河、朝の静けさにこれからの安全を願った。

 次々と地元の車に抜かれながら北上した。オロロン街道に入ると日本海から吹き付ける風が強くバイクが大きく煽られる。オトンルイの風力発電施設では体が飛ばされそうな程の風が吹いていた。最初は宗谷岬を目指していたのだけれど、小雨も降ってきたのでサロベツ原野経由で浜頓別を目指した。少しだけ内陸に入ると風はすぐに治まった。ここはサロベツ原野、人工物はほとんどない。

 クッチャロ湖へ向かう道々84号を行く。久しぶりにワインディングロードを楽しんだ。そして、愛しのクッチャロ湖へ着いた。湖畔は強風が吹いていた。素早くテントを設営して街のスーパーに買い出しに出かけた。キャンプ場の隣にある温泉施設で身体を温めてキャンプ場に戻ったが風が収まる気配はない。寒いのでテントの中でビールを飲んだり、ご飯を食べたりした。

 止むことのない風の音を聞きながら眠りについた。

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北海道ツーリング2016 1日目 新潟の朝は渋かった

2016-12-29 | 

10/1(土) 雨のち晴れ

 今年はいろいろとあって、夏休みを取るのが10月になってしまった。沖縄、四国に山陰、いや山歩きか、迷うところだけれど、北海道に落ち着いた。とは言え、10月の北海道ツーリングは初めてだ。たぶん寒いと思う。関東で言えば12月ぐらいかもしれない。渓流釣りと山歩きを1回づつできたらいいかな、ぐらいの緩い気持ちで北海道行きの支度を1日かけて行った。

  出発時に雨雲レーダーを確認すると、東京から新潟に入るあたり、250kmぐらい雨の中を走ることになりそうだった。レンインスーツに身を包み、自宅を出発した。関越自動車道は空いていた。新潟に入る頃、雨がやんだ。あるトンネルの中でサイレンが鳴った。ドキリとする。さっき抜いたセダンが覆面パトカーであることに気がついた。前日寝不足で気が抜けていたこと、早朝で取り締まりがないだろうと追い越した車の中を覗かなかったこと、抜いた後セダンの動きを途中で問題ないと思ったことがこの結果を招いたのだとすぐに思った。39km/hオーバー、こちらに非があり、こちらの非を覆す証拠もないのでサインした。拇印を押すのはいつも嫌な気分だ。

注意1秒、反則金3万円!

 気持ちは落ち込んでいたが新潟港に着くと空は限りなく青かった。

 季節は秋に向かっているので、北海道行きのフェリーに乗船するバイクは数台と少なめだ。フェリーで18時間、ゆっくりといこう。お昼ご飯に豚丼とサッポロクラシック、夕飯にハンバーグとサッポロクラシック、風呂で温まって、宇多田ヒカルのFantômeを聴く。ぐったりとしたココロが次第に温かくなっていった。

 

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しらびそ高原でお茶会

2016-09-22 | 

8/7 晴れ

朝ごはんもお櫃を空にしてしまった。これまでの食事すべてでお櫃を空にしてきた。

温泉は食欲を増進してくれる作用があるようだ。

宿泊した渋御殿湯は、1200年の歴史を持つ渋の湯にある宿だ。

商売気はなく、鄙びた山の温泉そのものだ。登山のベースとしては申し分ない。

泊まったのは東館で、年季が感じられる調度品が置かれていた。鏡台の覆いを上げて髪の長い女性が見えると怖いので、覆いは触れずにおいた。

廊下に萬屋錦之介と原田美枝子のサインが飾られていた。昭和59年、萬屋錦之介復帰作の子連れ狼が撮られたらしい。

 

渋御殿湯を後にして、駒ヶ根としらびそ高原に向かう。

バイク仲間の「くねくねつるつる」の集まりがあるのだ。携帯電話の電波が届くコンビニまで下って、バイク仲間のLINEを確認した。

渋御殿湯は近々無線LANが使えるようになるようだ。到着した日に宿の人と思って声をかけた人が、通信会社の人でルーターを設定していたのだ。

 渋の湯から街に下って行く途中にお地蔵様が建っていた。道行く人を見守ってきたに違いない。

国道152号をくねくねしながら駒ヶ根を目指した。高遠まで快走して道の駅南アルプスむら長谷で休憩したとき、私以外のメンバーはすでに駒ヶ根にいることがわかった。

集合時間は11:00だったので余裕だな、と思っていたのだけれど、みんなは恐ろしく早く着いたようだ。よし、急ごう。

分杭峠手前の県道49号で駒ヶ根に向かっていると、バーンと木曽駒ケ岳が現れた。今更ながら駒ヶ根は駒ケ岳の根っ子なのだなと思った。

私が育った場所は富士根と言うところで、富士山の根っ子であった。

 

駒ヶ根に着くと、そこは大観光地で、観光客で賑わっていた。登山者も多く、いいなぁ、と思いながらこまくさ橋を目指してキョロキョロしながら走っていると、シルバーのSV1000Sを発見した。

vasnsさんに違いない、行き過ぎてしまったので横道に入ってUターンしたら、横道の入り口で手を振る人が。近づくとチャンドラーさんであった。ありがとう、いい人だ。

駒ヶ根ファームスの日陰で、vansさん、スーさん、コウタロウさん、そしてwakaba+さんが談笑していた。

スーさんとコウタロウさんは車で参加なので、両手でないと支えられないレンズを搭載したカメラを携えていた。スーさんは飛行機を、コウタロウさんは野鳥を撮るのだ。

wakaba+さんはバイクとは思えないお土産を買っていた。レジ袋にパンがあったのを見逃さなかった。vansさん相変わらずほのぼのとしている。

当初ここで昼食の予定だったが、みんな早く着いたので、しらびそ高原で昼食にすることになった。

 

中央高速で駒ヶ根から飯田まで行き、しらびそ高原を目指した。

チャンドラーさんはしらびそ高原には行かず、そのまま帰って行った。みんなに会うためにだけやってきたのだ。いい人だ。

くねくね道を行きながら、wakaba+さんはしばしば写真を撮っていた。ブログに写真がたくさん載っているのはこうしていたのだな。

しらびそ高原に着くと、コウタロウさんがすでに一服していた。スーさんはなかなか姿を見せない。

スーさんが到着し、ハイランドしらびその軽食コーナーでお昼ご飯を食べた。

私が食べたのは鹿肉のカレー、どこが鹿肉なのかよくわからなかった。

その後、スーさんがコーヒーを淹れてくれた。豆はwakaba+さんが持ってきてくれた極上品だった。

スーさん、ヤカンを忘れてしまって急遽新品を購入したそうだ。仕舞うの困る本格的なやつだ。

青空のもとで飲むコーヒーは美味しい、ビールの次ぐらいに美味しい。

 

しばらくの談笑後、みんな家に帰って行った。スーさんは富山、wakaba+さんは三重、vansさんは静岡、コウタロウさんは神奈川へ。

私は林道のような国道152号を、コウタロウさんのキビキビとした走りに付いていった。

コウタロウさんはバイクも早いが車も早い。良かった、前を走らなくて。

 

今日の走行距離はたぶん、450kmぐらい。伴ちゃんのオドメーターは84,000kmぐらいになった。

今年は全然走っていなくて、まだ1,000kmちょっとぐらいしか走ってないのだ。

 

 

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ツーリングライダー祭り

2016-09-11 | 

6/4 - 6/5 晴れ

今までで一番好きな雑誌を聞かれたら、Out Riderと答えるだろう。

Out Riderはツーリングを主軸として、キャンプや温泉などの楽しさを教えてくれた素晴らしい雑誌だ。

今では何誌か似たような雑誌があるが、その草分け的な存在であった。

 

そのOut Riderが創刊30周年を迎え、Out Riderを支えてきた人たちが集まったHUB倶楽部 (Hub Club)、Hokkaider (ホッカイダー)合同でツーリングライダー祭りが開催された。

Out Riderはこちら->

HUB倶楽部はこちら->

Hokkaiderはこちら->

 

開催場所は清里の伊予ロッヂだ。今回はHub Clubのお手伝いをすることができた。

会場で到着する参加者の誘導を行った。ほとんどの参加者はバイクでやってきた。

 

参加者は約100人、大広間に参加者が集まり、歴代編集長のトークでイベントが始まった。

司会は野岸泰之さん、歴代の編集長の3人、村田桂三郎さん、秋元庄三郎さん、菅生雅文さんが創刊当時からの貴重な話をしてくれた。

最初の出版社でアダルト雑誌から得た十分な収益があったために、Out Riderが産声を上げ取材も贅沢にできていたとのことだ。

その後Out Riderは廃刊になったり出版社が変わったりして今に続いている。

続いて、ナチュラルツーリングコンビ、寺崎勉さんと太田潤さんのトークだ。

ナチュラルツーリングとは、おっさん達が林道をバイクで進み、野宿して酒を楽しむと言うOut Riderの名物コーナーだっだ。

思い出を世間話のように話してダラダラと進んで行く。役に立たない濃い話でとても盛り上がった。これでいいのだ。

 こちらはHUB倶楽部の野岸さん、太田さん、松本よしえさん、そしてHokkaiderの小原信好さん。

チャリティオークションでテレホンカードを落札した。

夕食後、酒宴が繰り広げられる中、大じゃんけん大会が行われた。酔っ払って行うじゃんけん大会は盛り上がる。

豪華景品に会場の熱気もムンムンであった。その後も酒宴はみなが眠くなるまで続いた。

参加者の方々、編集長の方々と話すことができて充実した時間であった。

 

スタッフ個人所有のものを含めてずらりと並べられたOut Riderと関連書籍、懐かしい表紙が並ぶ。

野岸さん、松本さんが用意してくれた懐かしいグッズが壇上に飾られていた。

伊予ロッヂはビッフェなのだけれど、そのクオリティは高い。これは朝食で、おかずの種類はもっとある。

ロッヂの前に並べられたバイク、日本各地からライダーが集まっていた。

主催者のみなさん、ありがとうございました。

赤シャツと呼ばれたスタッフTシャツと参加者へのマフラータオル。

じゃんけん大会でもらったSOTOのバーナー、ST-320、カセットボンベを使用できる(他社のカセットボンベはもちろん自己責任で)

ギア的に美しい意匠だ。折りたたむと手にすっぽり入る感じも良い。

難点は重さと火力の弱さだろうか。バイクツーリングで強火を必要としないのであればこれで十分だろう。

そしてもう一品、Hokkaiderのステッカーコンプリートセットだ。

ノートPCとクーラーボッックスにまずは貼ってみた。いい感じだ。

今度の北海道はパニアケースやバイクにも貼って走ろう。

 

走れ!熟年ライダー達。

 

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竹富島と波照間島へ(後編)

2016-09-08 | 

4/30 - 5/8 前半は曇りがち、最後は晴れ

水温の上昇で多くの珊瑚が白化したニュースを聞いてなんだかなぁ、と思う。もう9月だ。


6泊した新田荘を後にして石垣の離島ターミナルに着いた。残念なことに波照間行きの1便が欠航した。

風が強いと欠航してしまうのだ。2便も欠航した。時間があったので、売店でモズクを家に送ったり、お土産を買ったりした。

すると、ある売店で新田荘のお母さんを見つけた。船で10分だから、ちょっと買い物にといった感じだ。

お母さんにアイスクリームをご馳走になった。ブルーシールの紅芋であった。

新田荘で知り合った、今日一緒に波照間に渡る人と全部欠航したら今日泊めてくださいね、と言って別れた。

3便も欠航した。

4便は出た。結局7時間も離島ターミナルで過ごしてしまった。

 

波照間まで約1時間、けっこうな波でアトラクションのようだった。

波照間に着くとどこにも宿の人がいなくて、どうしたもんじゃろのーと思った。

少しして車がやってきた。思ったよりも早く船が着いたようだった。乗った船は増発便で先に出た船を追い越していた。

宿は港から一番遠い集落にある「うりずん家」だ。ここを選んだ理由は貴重な泡盛「泡波」が飲めるからだ。

 

ニシハマ、今まで泳ぐ気はなかったが、この海の色を見たら飛び込まずにはいられなくなった。

シュノーケリングのセットを借りてリーフの淵まで泳いだ。色取り取りの熱帯魚が珊瑚礁に浮かんでいる。

大きな魚が手の届きそうなところをプカプカしているのだ。

淵にはウミガメが泳いでいると聞いていたが、引き潮の流れが速かったので恐れをなしてUターンした。

 

とりあえず一周がモットーである。バイクを借りて風を切った。

とりあえず端っこもモットーである。

日本最南端(有人島)の碑の前で自撮りしようと困っている女性がいたので、迷わず写真を撮ってあげた。

3ヶ月ぶりの波照間だと言う。嵌まったら何度も来てしまう場所なのだろう。

そのお返しの写真がこれ、一人旅だと自分の写真はほとんどないので貴重だ。

星空観測タワー、夜になると真っ暗けなので、星空観測にはうってつけの場所だ。

前日、星空観測で満点の星空を眺めることができた。新月だったので星明かりを体験できた。

ここでも自撮りで困っていた家族の写真を撮ってあげた。

波照間空港、飛行機の認可待ちで空港が開く目処はない。

広がるサトウキビ畑、黒糖は特産品だ。

ヤギの親子、低い姿勢でカメラを向けたら突進してきて肩に乗ってきた。

 

夜になると同宿の人たちとサトウキビ畑の中を真っ直ぐ伸びる道に南十字星を探しに行った。

昼間の温かさが残ったアスファルトの道に寝転んで空を眺めていると、地球と宇宙に挟まれてなんだか不思議な感じだ。

ほとんどの宿泊者が一人旅であった。

「うりずん家」は居心地のよい宿だ。ご飯のボリュームが少ないので外食にしてもいいかもしれない。

 

一緒に旅立つ人がマジか!?と思ったというザック。左が僕ので、右がその人の。

 

2泊した波照間を後にして石垣島に渡った。波照間には独特の時間が流れていた。それはとても心地よいものだった。

ねっとりと暑い空気がまとわり付く石垣の街をぶらりとしてから鮮やかな色の魚が混じる近海物の寿司を食べた。

離島ターミナルに建つ具志堅用高像、また来るからね〜。

 

お父さんのブログって格好つけてるよね。今、娘がそんなことを言った。 

そのとーり!

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竹富島と波照間島へ(前編)

2016-08-28 | 

4/30 - 5/8 前半は曇りがち、最後は晴れ

2016年、年が明けて半月ほど経ったある日、ゴールデンウィークは沖縄に行こうと決めた。旅への衝動は突然やってくる。

行き先は日本で人の住む最南端の島、波照間だ。石垣行きのチケットを取ってから、良さそうな宿に電話をかけていったが、ゴールデンウィークと言うことで、どこも満室で、やっと2泊だけ予約することができた。

あとの6泊をどうしよう。以前訪れていい思い出となった西表島にしようかとも思ったが、石垣の間を伸びる白い道に惹かれて竹富島を選んだ。

竹富島の民宿に電話をかけると、やはりゴールデンウィーク、どこもいっぱいのようで、何軒目かに電話した宿でやっと予約が取れた。

 

まだ暗い中、早朝バスで羽田空港に向かう。朝の6:10に出発する羽田発石垣行きのANA89便に乗るのだ。

飛行機が離陸するとすぐに寝てしまい、3時間後に目をさますともう石垣空港であった。空港の建物を一歩出ると南国の熱い空気に体が包まれた。陽射しも目に痛い。

空港からバスに揺られて40分、離島ターミナルに着いた。ここから船で竹富島に渡るのだ。

青い海、青い空に白い雲、昂揚感が半端ない天気だ。船に乗ること10分、あっという間に竹富島に着いた。

いきなり街から島に来たという感じで、港に小さな土産コーナーのある待合所があるだけだ。時間があるので、宿のお迎えを遠慮して歩いて宿に向かった。

気がつけば、道に迷っていた。宿までは15分ぐらいの道のりのはずであった。

炎天下、大きなノートPCを入れた思いザックを背負って歩く。同じような景色と道、2度目に同じ場所に来てしまった。

だれかに聞こう。と思ったときに丁度民家からでてきたおばあちゃんがいた。聞けば、まったく違う集落を彷徨っていた。

ある、御嶽(うたき)前の道。御嶽は沖縄に見られる信仰の聖地で自然と共にある場所だ。我々のようなよそ者は入ってはいけない。

 

宿のある集落に着いてすぐに宿、新田荘を見つけることができた。

入り口でシーサーが迎えてくれた。

宿でシークワーサーのジュースをふるまってくれた。1時間以上も歩き回って汗が吹き出ていたので、一気に飲み干した。

宿泊の手続きを済ませて昼ごはんに向かった。隣の宿はブーゲンビリアが真っ盛りだ。

お昼は近くのそば処竹の子でソーキそばを食べると決めていた。店は休日の昼どきでかなり混んでいた。

店の前の木陰で待っていると、家の基礎として使われている珊瑚が転がっているのに気がついた。

待つこと30分、迷わず生ビール、オリオンよ、久しぶり!

ソーキそばをつまみにビールを飲み干した。ソーキは骨つき豚バラ肉のことだ。

宿に戻ると猫がダラダラとしていた。他にも怠惰な猫が辺りで寝そべっていた。

日が暮れる頃なごみの塔に登って家並みを眺めた。なごみの塔は昼間は混んでいるが、宿泊者は朝晩訪れることができるのだ。

 

朝ごはんの前には散歩をした。綺麗な珊瑚の道は毎朝島の人々が箒で整え、花の手入れをすることでできあがるのだ。

 

夕焼けが有名な西桟橋が近かったので、毎日通ったが夕日は見ることができなかった。

西桟橋は昔、米作りのために西表島に水田を造り通っていた当時の港であった。

ある日の夕暮れ、浜で三線を弾く女性がいた。桟橋に座って三線の音色を聴いた。

ある日の夜、宿のお客さんと桟橋に寝転んで夜空を眺めた。

またある夜、海の近くにホタルとヤシガニを見に行った。

 

ある日の夕食。

沖縄が初めてだという連泊していたおじさんとよく飲んだ。

最終日には飲み過ぎて二日酔いになってしまうほどだった。

 

沖縄に来たらこれを忘れてはいけない。ぜんざい、金時豆のかき氷だ。黒糖のぼくとつとした甘さがいい。

 

竹富島の海岸を3度に分けて半周ぐらい歩いた。竹富島は歩いてその規模を知ることができる島なのだ。

海岸でよく見られるアダンの木、食べられないと思うが、美味しそうな実が付く木だ。

中島みゆきの歌に「阿檀の木の下で」がある。南の島の悲劇を淡々とうたう。やばい、涙腺が緩んでしまう。

興味のある方は歌詞を検索してもらえれば幸いだ。

それから海岸にはモンパの木も多い。好きな作家、椎名誠のエッセイ集に「モンパの木の下で」がある。

モンパの木の下で海と空を眺める椎名誠の真似をした。

 

ある日、宿の人と宿泊客でモズク採りに出かけた。お兄さん(50代)の運転する軽トラの荷台に乗って海を目指した。

ヘルパーさんが見送ってくれた。

海岸に着いていざ出陣、採れるだろうか。

水の引いた浅瀬でモズクを採る、採る、採る。

1時間ちょっとでみんな数キロから10キロぐらい採れた。お兄さんは曳舟を使い40キロぐらい採っていた。

宿にもどってモズクの処理を行う。

まず、ゴミを取る。ゴミを取り終わったら塩でよく揉む。粘りが出るまで揉んだら完成だ。

これで1年保存できるようになるのだ。持って帰るつもりはなかったのだが、せっかくだから持って帰りなさいとお母さんに言われて半分持って帰ることにした。

半分でも5キロあった。天然モズクは買えばけっこうな値段がするのだ。

この縁側で本を読んでビールを飲むのが至福の時間であった。歌うユンタクも3回体験できた。

逗留することで得られる経験と話、竹富島で暮らしていくことの厳しさも教えてもらった。

新田荘は帰って来たくなる落ち着ける場所だ。

 

 

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富士五湖と箱根を巡る

2016-05-04 | 

4/16(土) 晴れ

今日は久しぶりにTeamくねくねつるつるのメンバーとツーリングだ。最後に一緒にツーリングに行ったのは2014年だったと思う。
メンバーであるごんさんとコウタロウさんとともにコンタさんのお店で久しぶりに飲み会をして近況を報告しあったのだけれど、どうやらバイクにしっかりと乗っているのはごんさんだけのようであった。そんなことではいけない、とごんさんが今回のツーリングを企画してくれたのであった。

行き先は富士五湖周辺、西からまわって山中湖まで行ったらその先はそこで決める予定だ。
中央自動車道の藤野PAに8時に待ち合わせだ。6時半に出れば間に合うだろうと家を出て高速に入って走っていると車の台数が多くなってきた。八王子の手前でバックミラーに見覚えのあるヘッドライトの明かりとともに赤いバイクが近づいてきた。頃合いを見計らって振り向くとごんさんであった。すぐに権さんは先に行ってしまったので後を追った。時計を見るとこのまま走っていたのでは遅刻しそうだった。

藤野PAにはコンタさんが待っていた。コウタロウさんは遅れそうだとメールがあった。ごんさんはコウタロウさんの遅刻も織り込みずみかもしれない。
PAには久しぶりの好天のためか多くのバイクが停められていた。集まったバイクが次々と出発するのを眺めた。背筋と腕を伸ばしきって乗っている人が多いなと思ったのだけれど、その姿勢だと体の自由度が少なく動きが制限されて咄嗟の行動も取りにくい。あそびを持った姿勢で乗るように心がけたい。
コウタロウさんが到着して我々も出発だ。そこから甲府南まで走り給油と休憩を取った。いつものように鼻先を並べたバイクのカットだ。

甲府南から市川大門を経て道の駅しもべへ向かう。道の駅しもべで静岡のvansさんと待ち合わせているのだ。
市川大門の街から山道に入ろうとしたとき、ごんさんが突然路肩にバイクを止めた。バイクの不調だろうか。
バイクを停めてどうしたんですか、と聞くと対向車線側にvansさんがいたのだった。物陰からvansさんが出てきた。
必死で手を振るvansさんに気が付いたのは先頭を走るごんさんだけであった。

県道409と414を迷いながらも道の駅しもべに着いた。県道409と414は走りごたえのある道で久しぶりにバイクとの一体感を楽しめた。
ここに来るまでの間、山々にちりばめられた山桜を楽しみながら走ってきたのだけれど、ここでもそめいよしのが満開であった。

冬用の装備でやってきたコンタさんと僕は汗だくになっていた。フリースを脱いでタンクバックにねじ込んだ。
ここで早々とお土産に梅干を買った。地元産だと言うことでお値打ちであった。

道の駅しもべから国道300を本栖湖に向かった。本栖湖前のワインディングロードも空いていて走りやすかった。
本栖湖畔でも桜が満開であった。

本栖湖から精進湖、西湖とめぐって河口湖で昼食を取った。
最初、ごんさんがお勧めの和食の店に入ろうとしたところ、予約で満席であった。
今日は桜祭りも開催されていて、すばやくどこかの店に入った方がよさそうだ。通り沿いの定食を扱う店に運よく待たずに入ることができた。
この暑さなのでやっぱりビールを飲んでしまう。アルコールなしだけれど、雰囲気は十分だ。

くねくねつるつるなので、そばにした。他の人もほうとうとそばを頼んでいた。この後コンタさんと僕はソフトクリームと言う禁じ手に。
まぁ、御前としてご飯を食べた人とどっこいどっこいなので良しとしよう。

山中湖へ抜けるトンネルがあったことをごんさんも知っていたのだけれど、やり過ごしてしまった。
美術館前を左折して県道21から国道137だ。次回通るときは間違えないようにしよう。

富士五湖を巡ったのに湖の写真がないのもなんなので、と言うのと、ごんさんが僕のカメラに期待して、と言っていたので山中湖と富士山の写真を載せよう、と思ったらコンデジ同様、富士山は消えている。カメラはKiss x5でレンズも安物なのでそんなに期待しちゃダメです、ごんさん。

山中湖畔で行き先の作戦会議、まだ時間が早いので箱根を回って箱根で解散することになった。
途中の道の駅で再びソフトクリームを食らうコンタさん、やり手だ。
久しぶりの県道401、みなさん鋭い走りで、前のバイクに付いていくとリアタイヤがスリップした。久しぶりにスポーツタイヤにしてみようかなと思うのであった。
快晴の空の下、箱根スカイライン、芦ノ湖スカイラインは気持ちの良い走りができた。
ちょっと展望ポイントに登ってみた。芦ノ湖に遊覧船が浮かんでいた。大きなカルデラ湖だなと思う。

箱根からvansさんは静岡方面へ、コウタロウさんは湘南方面へ、残りの我々は東京方面へ向かった。
渋滞の東名高速を抜けて海老名SAで2回目の解散となった。久しぶりにツーリングらしいツーリングができたなと思う。
みなさん、どうもありがとう。

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蕎麦温泉教の聖地へ

2015-12-26 | 

10/10(土) - 10/11(日) 曇り、雨、曇り

一年に一度ぐらい開催される蕎麦温泉教の聖地を訪れるツアーに参加した。蕎麦温泉教は東北を拠点としたバイクに乗るおっさんの集まりだ。

集合場所は五百川PAだ。と言われても五百川ってどこ?地図を検索したら猪苗代湖のちょっと東であった。

 

静岡のvansさん、神奈川のコータローさん と東北自動車道の蓮田SAで待ち合わせることになっていた。

首都高を蓮田SAに向かっていると見覚えのある2台のバイクが前方を走っていた。おもむろに近づいたからか気付かれなかったので追い抜いて振り返った。

そして一緒にサービスエリアに向かった。サービスエリアで朝ごはんのパンなど食べながら再会を祝った。

 

道路はけっこう混んでいたので走りにくかったが、約束の時間に五百川PAに着くことができた。福島、山形、宮城、岩手から9人の方が待ってくれていた。久しぶりの人、初めての人、挨拶もそこそこにじゃんけん大会が始まった。

何かくれるのだろうか、と思ったら、負けた人が缶コーヒーをおごるのらしい。いきなり負け続けて最後の2人になってしまった。だめかと思ったがお父さんと呼ばれる方に勝って命拾いした。

磐梯熱海から母成グリーンラインを経て磐梯吾妻レークラインに入った。磐梯吾妻レークラインは気持ちのよい道で自由走行となった。久しぶりで感覚が鈍っているのか、スピードに乗れずゆっくりと走った。

レークラインを抜けてガソリンを入れ、食堂に入った。蕎麦温泉教と言えば基本は蕎麦なのだろうが、ここはカツ丼を食べておこう。

すぐに道の駅裏磐梯で休憩、そばソフトクリームを食べるためだ。この道の駅は以前寄ったことがあるな、裏磐梯を走った時だ。

お腹いっぱいで食べなくてもいいや、と思っていたのだがみんなが食べているのを見て食べたくなった。

あいにくそばソフトクリームは機械が不調で今しばらく時間がかかるとのことだったので、山塩ソフトを注文した。山塩はいい塩梅であった。

西吾妻スカイバレーで山形に入った。と、ここでトラブル発生、刀(スズキのバイク)からエンジンオイルが漏れているとのことだった。

様子を見つつ山を下って、念のため街の何でもやっているバイク屋でオイルを足したのであった。大事にいたらなくてよかった、よかった。

そして米沢の市街地を避けて今日の宿泊場所である蔵王温泉へ向かった。

 

暗くなるころ本日の宿に到着した。まずは温泉だ。蔵王温泉大露天風呂へ向かおうとしたが、日没を迎えたのですでに閉まっているという。

ということで共同湯へ入った。今日は無料だという。強酸性の温泉で体がヒリヒリとする。頭をさっぱりさせたかったのでお湯を頭から被ったら目がシバシバと沁みた。

風呂から上がって温泉街の居酒屋に入った。日本酒の美味い店で、女将さんがいい味を出している。

地元の野菜を使った漬物、生姜入りの炊き込みご飯のおにぎりが絶品であった。出がけに板前さんが見送ってくれた。

コンビニでお酒とつまみを買って宿に戻った。宿で再び温泉に浸かった。誰も入っていなかったようで、熱さに目がさめた。

そして宴会はこっくりと眠る人が出るまで続いたのであった。

 

翌日、小雨がぱらつく中を大露天風呂に向かった。お湯に浸かるおじさんたちはみな無口であった。蕎麦温泉教の聖地で日々の煩悩を薄れさせているのだなと思った。

汚れを落とした身体で宿に戻って朝ごはんを食べた。きっちりとおかわりをしてエネルギーを充填した。

今日は宮城方面に向かうのだ。ときどき雨に見舞われながら女川に着いた。きぼうのかね商店街を過ぎて海に近づくと造成中の土地が広がっていた。

新しい女川駅に立ち寄った後、女川丼で有名なおかせいと言う店に向かった。雨の中大にぎわいの店であった。新鮮な魚を思う存分楽しむことができた。

昼食後、コバルトラインをフリー走行したが、昨日に引き続き乗り切れない。こういう時はゆっくり走るのだ。

コバルトラインの先まで走ってフェリーから眺めた金華山の近くまでやってきた。この道は地元のくねくね好き御用達の極上ロードだ。晴れているときに再び訪れてみたい。

 

東北組と仙台のインターチェンジで次々と別れた。そして暗闇の常磐自動車道をひたすら南下し続け、日が変わる頃に家に着いたのであった。

蕎麦温泉教の方々、楽しいツーリングにお付き合いしてくれてありがとうございました。

 

2日間の走行距離は1,92km、伴ちゃんのオドメーターは82,340kmとなった。

 

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北海道ツーリング2015 10日目 新潟~河口湖~自宅

2015-12-02 | 

9/22(月) 晴れ

新潟から河口湖へ向かう。恒例となったMISIAのCandle Nightライヴに参加するのだ。気がつけば河口湖は自宅へ帰るよりも遠い場所であった。

今回の北海道行きは前後に舞台観賞とライヴ参加に挟まれて日程がタイトなのであった。出発の前日に市村正親主演のマクベス、そしてこのライヴ、人生は楽しむためにあるのだ。

灼熱の外環道を抜けて中央道から河口湖へ向かった。PAでカルピスぶどう味のソフトクリームを食べた。北海道で雪の中を歩いたのが嘘のようだ。

会場の河口湖ステラシアターに着くとシアター前の広場が解放されていたので、会場外でビールとつまみを買った。その後Candle Night Barで買ったワインを飲みながら漏れてくるリハーサルの音をしばらく聴いていた。Candle Night Barの収益は子供のために使われるのだ。

飲んでいたテーブルで一緒になったMISIAファンのお姉さま方と話をした。お姉さんから煎餅などもいただいた。

会場間近になり、一旦広場から全員ゲートの外に出て、それから再入場した。

席に着くと、隣のおじさんは席が狭い、足も組めない、クラシックとは音が全く違うな、MISIAの音程がずれている、と言いたい放題で、聞いていて疲れてしまった。留めは、キャンドルを吹き消す時に願いが叶うよう祈りを込めて吹き消してください、と言った際に子供騙しだな、と嘯いた時だ。この人は人生を楽しめないのだな、と思った

キャンドルを吹き消すときの願いは世界平和にした。その後願いは何個でもいいとのことだったので、家内安全、商売繁盛を追加しておいた。

ライヴはいつものように素晴らしかった。あまりに盛り上がり、ダブルアンコールもあった。あなたにスマイル:)は2回も聞けてラッキーだ。

ライヴ後、すっかり暗くなってキャンドルの灯りが温かく感じられる。

写真を撮ろうとカメラのファインダーを覗くとなんか大変なことになっていた。

がーん、バッグを落とした時にレンズフィルタが割れてしまったようだ。

後日、割れたフィルタを取ろうと頑張ったが、なかなか取れず、むりやり捻ったらレンズの可動部がもげてしまった。涙。

その後、このCanon Kiss用に単焦点のパンケーキレンズを購入したのであった。

 

河口湖からの帰り道は大月から八王子まで渋滞であったが、ココロが軽かったので結構なペースで抜けることができた。

そして10日間におよぶ北海道ツーリングを無事に終えることができた。走行距離は2,065km、伴ちゃんのオドメータは81,248kmとなった。

 

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北海道ツーリング2015 9日目 小樽からフェリーで新潟へ

2015-11-29 | 

9/21(日) 晴れ

杜の樹を後にする。小樽の街をゆっくり、いやダラダラと楽しむのに最適な宿だと思う。海外からの旅人、ツーリングでは少なくなった若い旅人と触れ合うことのできる宿なのだ。

出がけにオーナーと立ち話をして写真を撮った。杜の樹のfacebookで9月の訪問者に載っていたが、ちっちゃいので見つけるのは難しかった。興味のある人はヘルメットを持つ青い服の男を探してみよう。

フェリー乗船の前に少し時間があったので、余市までとんぼ返りしてみた。余市といえばニッカウヰスキー、春に訪れたとき以来だが、ここはゆっくりと訪れたい場所だ。

小樽に戻ってすぐに向かったのは小樽駅とルタオ本店、フェリーで食べる食料を調達するのだ。

フェリーに乗船していきなりルタオのチーズケーキを食らう。朝のおやつだ。糖分たっぷり、頭が冴え渡る。

お昼になったら北海手綱と言うお弁当を食べた。売店が閉まっている時間で自動販売機にはキリンとアサヒしかなかった。売店が開くのを待つには時間がありすぎたので一番搾りを買ったが、サッポロへの未練が残った。北海手綱はビールのためのお弁当のようで、あっという間に平らげてしまった。

あとは新潟に着くまで惚けていたのであった。と思う。もう2ヶ月以上前の話なので細かいことは覚えていないのだ。

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北海道ツーリング2015 8日目 上富良野~幌加内~小樽

2015-11-29 | 

9/20(土)曇り時々大雨のち晴れ

今日の天気の移り変わりは激しかった。でも山間部や海沿いを長距離走れば珍しいことではないのだ。

今日は小樽の宿まで向かうのだけれど、上富良野からそのまま行くとあまり面白いルートではないので、くねくねつるつるのメンバーとして正しい行動を取ろうと思う。くねくねつるつるは、ワインディングロードと蕎麦を楽しむツーリングを目的とするおっさんのゆるい集まりだ。

今夜はテント泊ではなく、明後日はフェリーに乗ってしまうので、テントをできるだけ乾かした。テントがカビ臭くなるのを避けるためだ。カビ臭いテントで寝るとなんだか身体にまでカビが生えてくるような感じがするのだ。

荷造りを終えて隣の夫婦に挨拶をして出発した。奥さんにあまり無理しないでくださいね、と余計なことを言ってしまった。

 

北海道は蕎麦の産地だ。でも今まで北海道で蕎麦を食べたことは1回しかないのだ。と言う背景があったわけではないのだけれど、蕎麦を食べたくなったので幌加内に寄ることにしたのだ。

旭川を通るころ、雨が降ってきた。運良く本降りになる前にレインスーツを着ることができた。

幌加内の道の駅に着いて蕎麦屋に向かうと今日は営業していなかった。オーマイガーッ!でも道の駅の奥にある温泉施設のレストランが空いていた。

そこで頼んだのが酒切り二八そば、水ではなく酒で蕎麦を打ったものなのだ。まずはそのまま、そして塩で、蕎麦を食した。アルコールは飛んでいるが仄かに日本酒の風味が感じられる。喉ごしがとてもなめらかだ。蕎麦の香りも麗しくこの場所を訪れて正解であった。

蕎麦を食べた後は北海道屈指のワインディングロード、国道239号を経て日本海を目指した。残念ながら大雨と強い風で走り倒すことはできなかったので、天気に恵まれたときにまた訪れてみたい。

日本海に出ると雨は上がったが強風に煽られて南下し続けた。小樽には予定より一時間ほど遅れて到着した。今日の宿は「おたるないバックパッカーズホステル杜の樹」と言うところだ。

投宿後、小樽で一番古い銭湯、小町湯温泉に向かった。場所がよくわからず何度か人に尋ねてたどり着くことができた。ここは昔ながらの銭湯で、ロッカーは見当たらず、脱いだ服は床の籠に入れるのだ。久しぶりに番台のおばちゃんの前ですっぽんぽんになった。風呂場はタイル張りで、湯船もタイル張り、昔ながらの佇まいだ。湯船は深く、酔っ払っていたらそのまま沈んでしまいそうだ。これは小町湯の外観だ。

その後、夕飯を求めて小樽の繁華街に向かったが、ほとんどの店は閉まっていた。飛び込んだ寿司屋も今閉まったところであった。外に出ると宿で挨拶した韓国の青年がいたので、声をかけるとコンビニを探していた。あいにくスマホを忘れてしまったのだけれど、バイクで使用しているハンディGPSがポケットに入っていたのでコンビニを見つけることができて送って行った。

その後営業している店を探して歩いていると、小樽出世前広場と呼ばれる場所に惣吉と言う居酒屋があった。まだやってますかと尋ねると、もう終わる時間だがいいですよ、とのことなのでここで食事することにした。店に入ってすぐに小樽ホラ吹き昆布館利尻屋みのやの卑弥呼の絵が目に飛び込んできた。小樽ホラ吹き昆布館利尻屋みのやの卑弥呼と言われても、知らない人にはなんのことなのかさっぱりわからないだろう。昆布のお土産のお店の袋に描かれているのが卑弥呼なのだ。今年の春に小樽を訪れて、みのやで買い物をした際に、その卑弥呼が中島みゆきのように見えて仕方なかったのでよく覚えていたのだ。その絵のことをお店の方に聞くとやはり系列店であった。

サッポロクラシックを頼んだ。メニューを見ると、たちかまと言う聞いたことのない料理が載っていた。訊ねてみるとたちかまはタラの白子で作ったカマボコとのことだった。これは頼むしかない、そのままもあるようだが、刺身の盛り合わせも頼んだので、ここはフライをオーダーした。ふっくらとしたその食感とちょっとしたしょっぱさがあって、おまけにカラッと揚がっているので、ビールととても相性がいい。

その後電話がかかってきて10人以上のグループがやってきた。親戚、家族連れのようで、地元の人にも愛されている店なのだなと思った。

いい具合にお腹が満たされ、小樽出世前広場を後にして杜の樹に戻った。コンビニで買ったプリンを食べ終えると、今日はすっかり疲れてしまったのですぐにベッドに潜り込んで横になった。横になっても眠くはないので、居間で話す旅人たちの話をなんとはなしに聞いていた。そのうちみんなも寝てしまい、僕もいつの間にか寝てしまった。

そして、午前3時ひとり静かに目を覚まし、中島みゆきのオールナイトニッポンをベッドの中で聞いたのであった。

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北海道ツーリング2015 7日目 キャンプ場にて

2015-11-23 | 

9/19 (金) 雨

パラパラとテントを叩く雨の音で目を覚ます。時間は7時ぐらいだ。

屋根の付いた炊事場で、定番となったホットサンドと野菜スープを作って食べた。風が冷たいので、食べ終わった食器を洗ったらテントに戻ってシュラフに潜り込んだ。しばらくしたら寝てしまった。

2時間ほどして目を覚ますと雨が上がっていた。溜まった洗濯物をコインランドリーで洗う間、洗濯バサミを買いに行った。乾燥機で乾かすことのできない化繊やウールの洗濯物を干すためだ。帰ってきてそれらを外に干そうと思っていたのだが、再び雨が降ってきてしまった。仕方がないので、テントの中にそれらの下着を吊るしたら暗い七夕飾りのようになってしまった。ほとんどのアンダーウェアの色は黒なのだ。

その日のお昼は何を作って食べたのかすっかり忘れてしまった。そのあとまた寝てしまい、夕方が近づくころ、隣にテントを張る音が聞こえて目が覚めた。テントから這いずり出てテントを張っているカップルに挨拶をした。「隣に張らさせていただいていいですか」と聞かれたのだけれど、昨晩の隣のテントの煩さを伝えるべきか悩んでしまった。僕が神経質すぎるのかもしれないし、他に行った方がいいですよ、と言うのも変な感じがしたので、「どうぞ、どうぞ」と言った。

結局彼らは次の日テントを移動したのだけれど。

さて、今日も温泉だ。フラヌイ温泉に浸かり、その帰りにコンビニでビールとつまみを買った。

その日の夕飯は何を作って食べたのかすっかり忘れてしまった。

夕飯のあと、となりにやってきたカップルに声をかけると気さくな感じの方たちで、これからお風呂に行くとのことだった。お風呂のあとで一緒に飲もうと約束をした。もう飲むものがないので、またコンビニに向かった。

コンビニから戻り、しばらくして彼らも戻ってきた。二人は夫婦で、もう3週間近く車で北海道を回っているとのことだった。仕事辞めちゃったんですか?と聞くとやっぱりやめてしまったそうだ。そして新たに住む土地を探すため、日本全国をこれから巡るとのことだった。そのあと、世界旅行に行ってから日本に戻ってくるとのことだった。上富良野のキャンプ場とフラヌイ温泉が大好きなこと、雑木林のある山を買いたいことなどを話した。雑木林で炭を焼くのだ。そのあたりまでは僕も同じ思いがあるが、実際に踏み出すまでの思いはまだない。話は尽きないが、だんだん周りが静かになってきたのでそろそろ寝ることにした。

このご夫婦もそうなのだけれど、気さくで子供心を持った男性とそれに和かに寄り添う女性と言うのを、北海道のキャンプ場でよく見かけるような気がする。もうひとつのパターンはお山の大将的な男性と、それをしっかりコントロールする女性のパターンが多いような気がする。いずれにしてもほとんどのツーリングライダーはおっさんの一人旅なのだが。

結局今日はバイクに乗ることはなかった。

 

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北海道ツーリング2015 6日目 上富良野へ

2015-11-08 | 

9/18 (木) 晴れ

どうやら雨脚は遅れているようだ。早めに上富良野のキャンプ場に向かおう。

上富良野町日の出オートキャンプ場は街に近く、温泉施設に歩いて行けるし、景色も良いキャンプ場なのだ。

コインランドリーもあって、トイレも綺麗、段々になったフリーサイトは空いているし、ゴミも捨てられる。

管理の方々は優しく、フリーサイトの料金は500円、バイク旅の拠点としてお勧めできる素晴らしいキャンプ場なのだ。

 

層雲峡から上川に下り、そこから旭川紋別自動車道に乗った。今日は移動メインなので、いつもは使わない自動車専用道路を使ったのだ。

愛別で一般道に出て当麻を経て上富良野を目指した。美瑛の街が近くなると道路が混み出してきたので、国道から外れて適当に走ってキャンプ場を目指した。

たぶん、どちらを走ってもそんなに時間は変わらないのだろうけれど、緩やかな丘を走る道は気持ち良いのだ。

 

キャンプ場に早々と着いてテントを張った。雨は降りそうになかったので富良野に向かった。富良野へは以前2回立ち寄って食べることのできなかった支那虎のラーメンを食べるためだ。

初めての店なので定番の支那そばを注文した。スープを口に入れると焦がし醤油の色の濃さを裏切るあっさりとしたスープで魚の出汁がよく効いていた。

普段外食しないので、こう言う薄味のスープが好みなのだ。美味しいので一気に食べてしまった。

 

いっぱい時間はあるので道々をゆっくりと流してメロンを食べに行こう。

中富良野にある、とみたメロンハウスでカットメロンをいただく。甘くてジューシー、皮までいけちゃいそうだが、そこそこにしておいた。

そのあとはメロンパンを食べた。中には餡が入っている。ここはもちろんメロン餡だろう。

 

おなかがいっぱいになったので、隣のファーム富田に向かった。

なんで入口がすぐにないのだろう。と不思議に思っていたら、とみたメロンハウスとファーム富田はまったく別の会社なのであった。

ファーム富田は家族や友達と来るのに最適な観光施設だが、おっさん一人でも十分楽しめるのだ。

ここで香水を作っているところを見ることができる。おばちゃんが化学実験をしているようだ。

この時期、ラベンダーはほとんど終わっているが、鮮やかな花を見ることができる。

域内を走るファーム富田のスクーターはラベンダー色であった。

 

キャンプ場に戻ってフラヌイ温泉、ふじスーパーと僕にとって定番の場所を回った。

秋刀魚の刺身、地元の豚肉と野菜の炒め物、ビールはサッポロクラシック、北海道にいることを実感する。

 

さて寝ようと思ったら隣のテントの男性が咳をし続け、マットの音をキュッ、キュッとさせ続けて、五月蝿くてかなわなかった。

寝られないのなら音楽を聴こう。中島みゆきのアルバムを3枚聴いてようやく眠りにつけることができた。

と思ったら一晩中隣のテントから音がして何度か目を覚ましてしまった。うーむ。

 

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