すっかりなまけ癖がついてしまい、復活するのにはエネルギーを要します。11月6日から9日はクルバンバイラム(犠牲祭)の祝日でした。親戚も少ないし、クルバンを切るわけでもない我が家、初日はお墓参りをしてアンネ(義母)の家で一緒に朝ごはんを食べたらもうおしまい。市が指定したクルバン市場を見たりぶらぶらとお散歩したり、夜にはお友達一家がバイラムの挨拶に来てくれました。二日目からは2泊3日でAYDIN(アイドゥン)経由MUGLA(ムーラ)のAKYAKA(アクヤカ)というところまで行ってきました。
イズミルから南へ向かったAYDINは、大きなメンデレス川が流れる肥沃な農業地帯。この季節は一面の綿畑が見られます。そしてAYDINと言ったらイチジク、日本でみられるトルコ産のイチジクはAYDIN生まれかもしれません。ギリシャ・ローマの時代にはカリア地域の一部であり多くの古代遺跡が点在しています。イズミルから日帰りで行くには少し遠いので、こんな機会に立ち寄ることに。地図で印をつけたALINDA(アリンダ)とALABANDA(アラバンダ)の遺跡を目指しました。
ALINDAはKARPUZLU(カルプズル)と言う地域にあり、山の東斜面にへばりついている遺跡です。村の家の間を上るとALINDAのAGORA(市場)跡に出ます。山の上には劇場跡がわずかに見られるそうですが、私はパス。野生派の夫はもちろん制覇せずにはいられないのですが、どうしてあんな高いところに劇場を作ったんだろう、と言っていました。
紀元前14世紀まで歴史をさかのぼることができるそうですが、記録に残っている史実としては紀元前340年ごろカリアの内部争いによりADAと言う女王がALINDAへ流されてしまいます。その頃アレキサンダー大王がこの地にも遠征し、ALINDAを包囲するのですがどうしても征服することができません。その時女王ADAは城内へアレキサンダー大王を招き入れます。そしてある協定が結ばれ、この地は女王ADAが管理することが認められたのだそうです。
ALINDAから30kmあまりのALABANDA、ここも畑の中に遺跡が点在していました。HAMAM(ハマム)、アポロン神殿、議会跡など・・・実際どこが?と言うものが多く、遺跡の90%は土の中に埋もれているのだそうです。ALABANDAは芸術面で秀でた特徴を持った場所であったそうで、ある時期金貨を造ることが認められた唯一の都市だったそうです。そしてその金貨にはペガサスが描かれていたそうです。ALABANDAの名前はALA(馬)とBANDA(勝利)に由来するそうで、この地の人々はたいそうお金持ちで豊かな生活を送っていたそうです。
余談ですが、閃マンガン鉱という石の英名はALABANDITE(アラバンダイト)、これはこのALBANDAの地で初めて発見されたことに由来するそうです。
ALABANDAを後にして通過するCINE(チネ)の街道沿いにはキョフテ屋さんが並んでいてその一軒へ。トルコは地名のついたキョフテが色々あって各地の名物になっています。ここのキョフテもとっても美味しかった。CINEを過ぎるとこんな光景が広がります。有名なカッパドキアの奇岩はきのこ岩と呼ばれますが、ここの奇岩は「カエル岩」と名づけたくなりませんか?
チネキョフテ
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跳んだり跳ねたり、笑ったりしていますよね。
自然の力で、こうなったのですよね。凄いなぁー。
山の上の劇場は、客席から遠くの風景が舞台の絵になっているのでもありませんか?
ここに座ったら、気分が良いだろうなと思いました。
名前の由来、それぞれおもしろいですね。カエル岩は、中に座ったらちょうど日よけの部分もあって居心地よさそう。綿畑もいつか見てみたいなぁ。本当に、どこまでも尽きないトルコの魅力。教えていただいて、ありがとうございます。
2000年以上前に見る山の上からの景色はどんなだったのでしょうね。
私は、防御の意味もあって一番高いところへ持っていったのかなあとも思いました。
来年いらっしゃる時は、チケットを買う前に日程を相談させて下さいな。ボドルムから2泊か3泊しながらイズミルに向かいましょう!お連れしたいところいっぱいできちゃいましたよー。
穏やかな心の輪が漣のように知らぬ間に何処までも広がりますように~。
ちょうど旦那さんが、トルコにいる、義理の弟さんと電話で話していたので、これ説明してあげて。
とか、見てみて、行ったことあるところ?
とか話しながら、見せてもらってました♪
目を見張る、歴史的遺跡と、おいしそうなキョフテ。
いいですね~。トルコ行きたいですが、妹さんご家族が、NZに来られそうなんですよ~
それもまた楽しいですね♪
妹さん一家NZ訪問、楽しみですね。私も一緒についていきたいわー。
険しい山の上に町が気づかれていたおかげで、アレキサンダー大王にも占領されず、有利な条件で講話を結ぶことが出来たようですが、ここの女王様、ずいぶんと大王に気に入られていたそうで(いま検索してはじめて知ったのですが)。