今年初めて今日食べた桑の実とスイカ
アンネ(義母)のお母さん、アナアンネは96歳。アルツハイマーで寝たきりではあるけれど、とっても元気。若い頃から美容や食べ物には特に気を使っていたそうで今でも肌は雪のように白くてシミもありません。今はアンネが一緒に住んで面倒を見ています。でもアナアンネはアンネの妹=テイゼ(叔母さん)のビルテン(姪っ子のビルテンと同じ名前)が大好き。24時間「ビルテン(テイゼの名前)はどこ?」「ビルテンは来るのか?」と言い続けています。面倒を見ているのはアンネなのに「サーデット、サーデット(アンネの名前)」と呼びつけておいて「ビルテンはどこ?」と言われるのでちょっと悲しい。「今2階で寝ているから起きたら来るよ」「ちょっとそこまで買物に行ってるからすぐに来るよ」と答えています。
夫に悩みを打ち明けるアナアンネ
先日は「ビルテンもサーデットも行ってしまった、私は1人っきりだ、もうずっとお昼ご飯も食べていない」と夫に悩みを打ち明けているので夫が「じゃあアナアンネのこと誰が面倒見てるの?」と聞くと「台所にいる女だよ」。台所にいたのはアンネ。アンネも浮かばれません。24時間体制でビルテンのことと「髪を洗って」だけを言い続けています。でもたまに調子がいいと、夫のこと及びその嫁の私のこともわかる時があって、そんな時はキス攻め。そしてアンネに「子供たちにお金をやってくれ」と言います。
誰かが横に寝てくれることが大好き。眠ってしまった小さいビルテン、子供を起こすまいと固まっているアナアンネ。
私がアナアンネに初めて会ったのは既にアルツハイマーの症状が出てからなので名前をどうしても覚えてもらえませんでした。でもその当時はまだ調子のいい時が今よりは多かったので二人だけでいると「結婚してもたくさん旅行するんだよ」「ハジ(メッカ巡礼)へ行きなさい」「子供なんか作るんじゃない。どんどん出歩きなさい。」と言ってくれることもありました。最近はそんな会話はなく「ビルテン」オンリー。
私ももう名前を覚えてもらうことは諦めて「あんたは誰?」と聞かれると「隣人だよ」とか「アイシェだよ」とか「サーデットの息子の嫁だよ」とか言っていたのですが、今日は少し調子がよくて珍しく夫のことを「メフメエエエット」と呼んでいました。でも聞くことは「ビルテンはどこ?」。そして「お前はここにいるんだね」(一人になることをものすごく恐れています)。そこで夫が「ここにいるよ」「彼女も(私のこと)ここにいるよ」と言うと、「名前はなんだ?」と聞くので「yukacanだよ」と答えました。すると「yukacanー、yukacanー、メレイムー(私の天使)」と3年間で初めて名前を繰り返してくれたのです。感動して「名前覚えてくれたのー?」とほっぺたにぶちゅぶちゅキスをするとアナアンネもぶっちゅぶちゅにキスしてくれて「名前知ってたんだけど今まで思い出せなかったんだよ」と言うのです。そしてなぜか笑いのつぼにはまったらしく歯のない口を開けてけらけら笑っていました。その後で「お前のアンネはどこにいるんだ?」と聞くので「サーデットと一緒にパザルへ行ったよ」と言うと安心したように「そうか」と言っていました。
その後は再びビルテンコールが始りましたが、今日は私にとってものすごく嬉しい記念すべき一日になりました。
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アンネ(義母)のお母さん、アナアンネは96歳。アルツハイマーで寝たきりではあるけれど、とっても元気。若い頃から美容や食べ物には特に気を使っていたそうで今でも肌は雪のように白くてシミもありません。今はアンネが一緒に住んで面倒を見ています。でもアナアンネはアンネの妹=テイゼ(叔母さん)のビルテン(姪っ子のビルテンと同じ名前)が大好き。24時間「ビルテン(テイゼの名前)はどこ?」「ビルテンは来るのか?」と言い続けています。面倒を見ているのはアンネなのに「サーデット、サーデット(アンネの名前)」と呼びつけておいて「ビルテンはどこ?」と言われるのでちょっと悲しい。「今2階で寝ているから起きたら来るよ」「ちょっとそこまで買物に行ってるからすぐに来るよ」と答えています。
夫に悩みを打ち明けるアナアンネ
先日は「ビルテンもサーデットも行ってしまった、私は1人っきりだ、もうずっとお昼ご飯も食べていない」と夫に悩みを打ち明けているので夫が「じゃあアナアンネのこと誰が面倒見てるの?」と聞くと「台所にいる女だよ」。台所にいたのはアンネ。アンネも浮かばれません。24時間体制でビルテンのことと「髪を洗って」だけを言い続けています。でもたまに調子がいいと、夫のこと及びその嫁の私のこともわかる時があって、そんな時はキス攻め。そしてアンネに「子供たちにお金をやってくれ」と言います。
誰かが横に寝てくれることが大好き。眠ってしまった小さいビルテン、子供を起こすまいと固まっているアナアンネ。
私がアナアンネに初めて会ったのは既にアルツハイマーの症状が出てからなので名前をどうしても覚えてもらえませんでした。でもその当時はまだ調子のいい時が今よりは多かったので二人だけでいると「結婚してもたくさん旅行するんだよ」「ハジ(メッカ巡礼)へ行きなさい」「子供なんか作るんじゃない。どんどん出歩きなさい。」と言ってくれることもありました。最近はそんな会話はなく「ビルテン」オンリー。
私ももう名前を覚えてもらうことは諦めて「あんたは誰?」と聞かれると「隣人だよ」とか「アイシェだよ」とか「サーデットの息子の嫁だよ」とか言っていたのですが、今日は少し調子がよくて珍しく夫のことを「メフメエエエット」と呼んでいました。でも聞くことは「ビルテンはどこ?」。そして「お前はここにいるんだね」(一人になることをものすごく恐れています)。そこで夫が「ここにいるよ」「彼女も(私のこと)ここにいるよ」と言うと、「名前はなんだ?」と聞くので「yukacanだよ」と答えました。すると「yukacanー、yukacanー、メレイムー(私の天使)」と3年間で初めて名前を繰り返してくれたのです。感動して「名前覚えてくれたのー?」とほっぺたにぶちゅぶちゅキスをするとアナアンネもぶっちゅぶちゅにキスしてくれて「名前知ってたんだけど今まで思い出せなかったんだよ」と言うのです。そしてなぜか笑いのつぼにはまったらしく歯のない口を開けてけらけら笑っていました。その後で「お前のアンネはどこにいるんだ?」と聞くので「サーデットと一緒にパザルへ行ったよ」と言うと安心したように「そうか」と言っていました。
その後は再びビルテンコールが始りましたが、今日は私にとってものすごく嬉しい記念すべき一日になりました。
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おばあちゃん、痴呆なのね。おかあさんも毎日お世話するのはさぞかし大変でしょう。(でも、写真のビルテンちゃんと寝ているのがすごく可愛いわ。)
ワタシの唯一のこっている祖母もかれこれ20年近く痴呆で、祖父が亡くなったときもわかっていませんでした。
若いときに苦労したのにかわいそうだなーと、思いつつ、随分音信不通のワタシ。
(うちの両親は様子見に行ってるけどね。)
大変だろうけど、トルコは家族みんなでお世話する感じがいいなーと思う。家族が多いからこそ出来ることでもあるだろうけど。
みんなが家族を大事に思っている感じがすごくするし。
二ホンは最近老人介護施設が増えたけど、入るのも順番待ちだし、入っても色々あるからね。入居させたらさせたまま、家族が一度も見に来ないうちなんか沢山あるみたいだよ。
yukacanさんも、たまにでも名前呼んでもらえるように逢いに行ってあげてね。
もう、桑の実の季節なのねー!(>_<)
ええはなしやね。
ええはなしやし、ばあさんを囲んで、
殺伐としていないのもええはなしやね。
けど当事者はいろいろ悲しんだり、辛かったりするんだろうとおもう。がんばってくだされ。
アナアンネ、一日中ビルテンビルテンと言っている以外は本当に手がかからないと思います。いくら眠り続けていてもトイレだけは言うんです。なんだか切なくなってしまうんですよ。実は全部わかっているんじゃないかと思うことしばしば。独り言もかわいくてねえ。でも私にはなかなか聞き取れないのでもっとトルコ語で色々な事が話せればいいのになあ、といつも思います。男性が大嫌いなので孫達でもけどばすし、病院のドクターにも罵詈雑言の限りで罵倒するので、さじを投げられています。こんなに仲良く寝ているビルテンも天敵。小さい子が来ると引っかいたりつばかけたり、でもビルテンは笑いながら相手をしていていいなあと思いますよ。
そしてbakimliなアナアンネなのに、もしほさんもきっと聞いたことのないようなものすごいkufurの数々を言いまくります。私も初めて聞いた言葉ばっかり。若い頃でさえ口にしたこともなかったそうなのにアナアンネのどこにインプットされていたのかなあ。
私の名前もちゃんと呼べず、「misafir Kız」って呼んでいて、最後までお客さん扱いされていました。
わがアンネアンネ、踊りや歌がじょうずだったんだけど、一番すごかったのがkufurだったのよー!(苦笑)あんまり言えないことをズバズバ言ってくれるから、いつも大爆笑してました。この年代の女性ってこんなんだったのかね♪どうぞアンネアンネ孝行してあげてくださいね。
エジプトは残念ながら国民病である糖尿病の影響もあると思いますが、平均寿命は短いです。うちの家族は80歳を迎えることなく皆亡くなってしまいました。義理の両親には是非長生きして欲しいです。ただ、娘がいなくて嫁ばかりなんですよね。私は頼りないし、ママは気が強いし、「誰の世話にもならないわ」って思ってる感じがします。
世代間で助け合うのが当然の社会ですので、お互いに「世話になってる」とか「世話してる」という感覚がないようです。日本とはかなり違ってますねー。
年をとると、もう一度子供に戻るって、ほんとうみたいですね。お話聞いてるだけでも、可愛いアンネアンネ。ほっぺたにぶちゅぶちゅキスしてあげたなんて、もうすっかり熱いトルコ人ですね~。
私もKOMUS KIZが多いです。この間「KIMSIN」と聞かれたとき「ZEYNEP!」と叫んだけど認知されなかったです。
去年はアナアンネも1人で即興の詩に節つけて歌ってたなあ。浅田家のアナアンネもKUFURですかあ。どうしてだろうねえ。いつインプットされた言葉なのかしらね。
トルコも糖尿病は多いようですよ。私の周りだけでも糖尿病で膝から下を切断したおじさん二人います。甘いもの大好きな人たくさんいるからなあ。夫の砂糖は気づかれないように減らしているんですけどね。家族で助け合うのが当然でいいなあと思う麺、病院などのスタッフが、全て家族に依存しているような気がすることありますよ。
たまに「金の腕輪があるからこれを持って行って医者を呼んでくれ」とか言ってます。そういう時はメフやエニシュテがドクターになってなんちゃって診察をします。もうみんな役者なんですよー。
アナアンネは「シャッ」と音がしないと「キスできなかった、もう一度」となるんです。だからしっかりするのがポイント。