浜野巌治


博多湾の浜辺に住む頑固ジジイです。

テレビの威力

2016年11月21日 | 日記

テレビの威力を教えてもらった。昨日のこと・・・

クラスメートのM.Y君から電話、「クラスメートのTさんの携帯を教えて!」
「どうした?」
「彼女が九州場所へ観戦に行くそうだ。だからテレビで彼女を見つけたら、“いま、貴女をテレビで見ている”と
言ってあげる!彼女がビックリするだろうナ」
「待てよ!彼女は枡席のどのあたりかかわかる?」
「いや、知らん…」
「テレビの相撲中継では大勢の観客の顔は映るけど、顔がわかるのは向こう正面のごく限られた場所の人しか映らない…」

1時間後、「彼女がテレビ画面に映っている!」
確かに、いつものにこやかな表情で彼女が座っている。これぞハイビジョン映像、高精細画像の威力!
「俺も見たぞ!間違いない、彼女が座っている。彼女への電話は通じた?」
とM君に電話。
「彼女と話をした!」とM君の“ドンナモンダイ”という表情がみえる感じ。
「びっくりしたんじゃない?」
「アハハ、あはは…」

イヤー、オドロイタなあ。こんな偶然、グウゼンではないんだ。

M君は同じクラスメートのTさんにも電話、Tさんもテレビで確認した由。
M君が、さきほど私に話したこと。
「これで、福岡の女性軍はまた勢いを盛り返し、福岡女子会がニギヤカニなるんじゃあない!」

そのときはM君を呼ぼう!

 


帆走

2016年11月21日 | 日記

人間が風の力を得て、船を走らせる技術を取り入れたのはいつ頃だろうか。

丸木舟でも風の力を得てわずかでも舟を走らせる力を得ていたかもしれない。
ヴァイキングも帆走したという。
コロンブスはアメリカへ、デ・リーフデ号はオランダから日本までやってきた。
イギリス海軍は帆船の力で世界を制覇した。

風の力で水面をすべるヨット、私はヨットにあこがれながら、一度も乗ったことはない。
昨日、アメリカズカップのレースを一緒に観戦した友は大学時代4年間ヨット部で活動したヨットの猛者。
13階から双眼鏡とデジカメの望遠レンズを見ながら、レースの展開について解説を聞くのは楽しかった。

風を読み、相手のヨットの動きをみながら、6隻のヨットがF 1 のように、馬を走らせるようにヨットを操り、走る。
久々に胸が躍るような興奮を味わった。

ヨットには乗ったことはないが、有明海のおじの釣り舟で帆走した思い出・・・
中学2年生のころだった。
私より幼い二人のいとこ、そして近所の子らが7,8人。はじめは小さな漁港の中を櫓をこいで遊んだ。
もうそのころ、私は櫓を漕ぐことができたし、腕力も少しはあった。防波堤を出ると陸からそよ風が吹いていた。
舟には櫓と一本の帆柱、小さな帆があった。グチを釣った後、おじたちが帆を張って帰ってきたことを思い出した。

帆柱を立てた、見よう見真似で帆を張った。舵を入れ、櫓を舟の上にあげた。
風は陸から吹いてくる。5~6mのほどよい風だった。舵もうまく働いた。
子どもたちは大喜び、小さな釣り船ながらすべるように走った!!!!快走・・・

ふと、気がつくと舟を出した港の防波堤が小さくなった。おじの家もいつか小さくなった。
もう戻らなければイカンなあ。
舵を切った。
しかし、小舟は曲がらない、一直線に沖へ沖へ向かう。
中学生の幼い知識で、ヨットは45度なら風上へ走ることができるはず、ジグザグに走れば陸へ向かえるはず。

しかし、島原半島が迫ってくる。釣り船はどんどん走る。風に流されている。
穏やかな有明海では釣り船の底はタライのように平べったい。ヨットのようなキールもないから、追い風では
帆走できるが、向かい風では風に流され滑っていく。
アセッタ・・・大急ぎで帆を畳んだ。舵を上げて櫓を入れて私は漕ぎだした。陸まで4キロはあるだろう。
何とか漕いで帰るさ!
ところが、小さい子どもたちが泣きはじめた。これには困った。「泣くな!」大声で叱った。子どもたちは泣き止んだ。
急に静かになった。櫓の音と、船べりをたたく波の音・・・
何としても岸まで帰らなければならないと覚悟を決め、櫓を漕ぎつづけた。

あのときほど、懸命に漕いだことはなかった。手のマメなど忘れていた。
1時間も漕いだろうか。舟はようやく防波堤を回った。

遠い日の思い出・・・

 

 

昨日もレースを楽しんだ!