創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価を斬る・41年目の検証-47

2017-02-21 07:37:32 | Weblog

藤原弘達・創価学会を斬る 41年目の検証 言論出版の自由を守る会編
                 (日新報道 2012/2)
    ------(206P)---(以下、本文)-------

◆ カル卜の構成要件にびたりとあてはまる
 この「アラン・ジュスト報告書」は、その後のカルト問題を研究する重要な資料にもなっているが、その中で列挙しているカルト構成要件の十項目は、次の通りである。
 ①精神の不安定化、
 ②法外な金銭要求、
 ③住み慣れた生活環境からの隔絶、
 ④身体的損傷、
 ⑤子供の囲い込み、
 ⑥大なり小なりの反社会的な言説、
 ⑦公共の秩序に対する錯乱、
 ⑧裁判沙汰の多さ、
 ⑨通常の経済回路からの逸脱、
 ⑩公権力に浸透しようとする企て
 この十項目に、わが国の創価学会がいかにぴったりとあてはまっているかについては、拙著『カルトとしての創価学会=池田大作』(第3書館、2000年)で詳細に論及しているので、興味のある方は参照していただきたい。特に--
「暴走財務」に象徴される②(=法外な金銭要求)は広く知られていることであるし、
 ⑤(=子供の囲い込み)についていえば、学会員二世、三世に、小さい頃から池田大作著の絵本やアニメを見せて、いかに池田が尊敬すべき素晴らしい人間であるかを刷り込ますといったことがあてはまる。
 ⑧(=裁判沙汰の多さ)のように訴訟を乱発して、批判意見を封じ込めようとする動きなどは、一般の人でもピンと来るだろう。
 また、⑨の「通常の経済回路からの逸脱」とは、詐欺や脱税、裏金捻出、不法労働の類のことで、例えば、これまでルノワールの絵画購入に関して約15億円の裏金を捻出したり、初代第ー庶務室長・中西治雄が、1億7千500万円入りの金庫を竹ヤブに放置したりなど、いくらでも具体例は出てくる。
 ⑩の「公権力に浸透する企て」も、官公庁や大企業に学会員を侵入させる「総体革命」はもとより、公明党を作って、99年以降、自・公で政権与党入りしている現状を見れば、あまり詳しい説明はいらないだろう。

巨大カル卜の危険
 仏下院の調査委は99年、アラン・ジュスト報告書よりさらに一歩、奥へ突っ込んだ『セクトと金」と題する報告書(ジャック・ギュイヤール報告書)をまとめている。
 ここでは、フランスの創価学会が、「エホバの証人、サイエントロジー教会に次いで、3番目にリッチなセクトである」と指摘。具体的には、フランス創価学会の年間収入は1千400万フラン(1フラン=16円で換算して2億2千400万円、以下同じ)からに千万フラン(3億2千万円)、
 また、土地や建物などの総資産は、帳簿上、はっきりとした記載があるもので、97年12月末現在で2億4千160万フラン(38億6千560万円)である、と明らかにしている。
  報告書では、こうした詳しい事実を列挙したうえで、国民に警戒を呼びかけているのだが、力ルト問題の本質的かつ最も重要なところは、こうしたふんだんな資金量を誇り、それをバックに国家権力をも乗っ取りかねない「巨大カルト」の存在なのである。
  そして、日本に目を戻すと、99年以降、「公明党=創価学会」がコウモリのごとく政権与党入りしたことで、自衛隊海外派兵法(=新ガイドライン関連法)、盗聴.電子メール強奪法(=通信傍受法)、個人情報強奪・住基ネット法(=改正住基法)が一挙に成立し、さらには池田大作保護・言論弾圧法(=個人情報保護法)の制定に象徴される、デモクラシーの命脈を一挙に断ち切る重要法案が、次々と成立していく動きを見れば、こうした巨大カルトが、国家権力の中枢に入り込んでしまったことが、いかに危険であるかが、よくわかるだろう。

公明党創立が「カルト化」の出発点
 カルト問題の根源には、近代デモクラシーの成立と不可分なものがある。
  そもそも、近代デモクラシーの出発点とは、絶対王権と結びついていたカトリックの権威を否定する中で、人権やリベラリズム、民主主義という思想が生まれてきた。見方を変えれば、「俗」そのものである、政治の世界にまるごと関わっていた中世のカトリックとは、まさに「カルト」そのものだったわけである。
  近代以降、民主主義体制を形作っていくには、こうした宗教の政治介入をいかに引き離していくか、という気の遠くなるような作業の橾り返しだったともいえる。つまり、近代デモクラシーの確立とは、「脱カルト化」の歴史といってもよい。
  その意味では、宗教団体として出発したはずの創価学会が、「カルト化」の道をはっきりと踏み出したのは、1964(昭和39)年、池田大作が公明党を創立し衆院進出の方針を打ち出したこと、つまり、「体制権力」を乗っ取ることをはっきりと宣言した時点と捉えていいのではないか、と私は考えている。
 それゆえ、待に「巨大カルト」が政権与党人りしているわが国の場合、国民世論はもちろん、国会審議の場においても、デモクラシーの根源から、もっと厳しい批判がなされてしかるべきたし、また、それなくしては「日本の再民主化」はありえない、と敢えて断言しておく。
       ---------(209P)-------つづく--

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