創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価を斬る・41年目の検証-53

2017-02-27 08:56:40 | Weblog

藤原弘達・創価学会を斬る 41年目の検証 言論出版の自由を守る会編
                 (日新報道 2012/2)
    ------(246P)---(以下、本文)-------

岐路となった竹入記者会見
 言論出版妨害事件への社会的関心が高まる中、実施された第32回衆院総選挙の結果、公明党は解散時の25議席から47議席へと躍進し、野党第2党となった。このため社会一般の創価学会・公明党に対する警戒感と、言論出版妨害事件への関心はいっそう高まり、「言論・出版の自由にかんする懇談会」に賛同する言論人・文化人は、年末年始までに333人にのぼった。
 藤原弘達が田中角栄自民党幹事長の関与を公表してから以後の経緯を、竹入は「朝日新聞」に連載した手記で次のように記している。
「69年末に表面化した言論出版妨害問題のときは、佐藤栄作首相と自民党幹事長をしていた田中さんには、助けられ、感謝している。終生忘れない。国会では罵詈雑言を浴びせられ、ほかにだれも助けてくれる人はいなかった。
  創価学会批判の本が出るというので、私が田中さんに頼んで仲介に動いてもらったのだが、田中さんは追及されると、『竹入に頼まれたのではない。幹事長だから勝手におせっかいをやいているだけだ」と釈明していた。これには感激した。家の周りは、新聞記者に囲まれて出られない。
 電話で連絡を取った。
『ここも新聞記者でいっぱいで出られないぞ』
『すまんなあ』
『いいよ、幹事長やめりゃあいいんだから』
『それじゃあ、こっちも委員長やめなくつちゃあ』
『いやあ、まあまあ、成り行きだ。こんな泥沼、いつでもあるんだから』
  こんなやりとりをしたのを思い出す。
 佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた」(「朝日新聞」H10・8・26)
 竹入が書いているように、創価学会・公明党による言論出版妨害事件は、昭和45年の年初から一大政治問題へと発展していったが、その端緒となったのは他ならぬ公明党委員長である竹入の1月5日の年頭記者会見での発言だった。記者会見の席上、言論出版妨害事件について質された竹入と書記長の矢野は、
「私と矢野書記長を含めて、出版会社に出版のとりやめを依頼した覚えはない」
「自民党の実力者を通じて出版を取り止めるよう依頼した事実はない」
「事実無根としか言いようがない。それを一方的に事実というのなら、立証責任は向うにある」などと、強気一辺倒で出版妨害の事実を全面否定したのだった。
 もっとも、こうした無謀かつ異常ともいえる強気の発言に終始した理由を、後に竹入・矢野は、創価学会なかんずく池田の意向に基づくものだったことを明らかにしている。
「朝日新聞」の竹入手記には次のようにある。
「放っておいたほうが良いと進言したが、学会側が工作に動き出し、やむを得ず田中氏に頼んだ。
 あの記者会見も学会幹部からの強い要請でせざるを得なかった」(「朝日新聞」H10・9・18)
 同様に矢野の「私が愛した池田大作「虚飾の王」との50年」には、当時の創価学会とのやり取りの詳細が次のように記されている。
「(昭和45年1月)3日の(創価学会)総務会は、もちろん組織改革などの他の案件もあったが、議論の大半は言論出版妨害事件についてであった。
『党はなにもしない』というのが我々に向けられた批判だった。選挙期間中は選挙妨害になると遠慮したのか、マスコミ報道も下火だったが、選挙が終わると再びこの問題を大きく取り上げ始めていたのである。公明党の大躍進が周囲の問題意識、危機感を煽った影響も当然あったろう。
 国会が始まる前、不穏な雰囲気を私たちも感じていた。
 だが我々としては、本来これは党で扱うような問題ではないという認識だった。政治問題化したら大変なことになってしまう。だから党としてはこの問題に触れないほうがいい。そこで、竹入氏と私が、--
『これは学会の言論問題であって、そこに党が出て行くのはいかがなものか』と言うと轟々の非難にさらされた。(中略)
 1月5日には竹入氏が、公明党委員長として年頭の記者会見を行うことが予定されている。この場でこの問題について触れるかどうかが検討された。我々としては当初、『これについてはこちらから持ち出さない。質問されても「現在、調査中」で通すべきだ』と主張した。しかし北條氏らは譲らない。
『それではダメだ』
『いつまでも知らん顔している党は役立たずと言われているぞ』
『強い言葉で否定するベきだ』
  こちらもあまり強く言い返すことはできなかった。北條氏らの裏に、池田氏がいることは確実だったからだ。竹入・矢野にハツパをかけて、党としてこの問題を断固として否定させる。党が盾となるべきだ。これが池田氏の意向に他ならない。つまり、『党は役立たず』と言っているのは他の誰でもない、池田氏当人なのである。
 結局、1月5日の記者会見で竹入氏は、--
『「言論問題」は事実無根。一方的に事実と言うなら立証責任は向こうにある』と断言した。会見に同席した私も同調した。
 さあ翌日から、大変な騒動になった。選挙期間中に私たちが、ちょこちょこと火種を消して回っていたときとはわけが違う。れっきとした公党の長、それも自民党、社会党に次ぐ第三党に躍進した公明党の委員長が、正式な記者会見で行った発言である。意味も重さもまったく違う。
『竹入委員長「言論妨害問題」事実無根』
『各界一斉に反発』
 そんな記事が大見出しで新聞に躍った。学会問題はあくまで宗教問題であって、政治問題ではない。だからそれまでは新聞の政治部も扱いかねていたのが、これで公然と政治問題化してしまったのだ」   

 以後、政界、マスコミ界をあけての追及が始まり、1月7日には共産党の宮本顕治書記長、8日には社会党の江田三郎書記長、10日には民社党の佐々木良作書記長が国会で言論出版妨害事件を取り上げることを表明する。
 そうした最中の1月11日、公明党の渡部一郎国対委員長が、「言論の自由の問題について」と題する講演を創価学会の学生部幹部会で行った。かって創価学会の学生部長だった渡部は、古巣の学生部の会合だったこともあつてか調子に乗り、言論出版妨害事件を「笑い話のような事件」「バカバカしい話」と全否定したばかりか、「自民党に貸しはいろいろあるが借りはない」「社会党のウスバカ」「共産党は宮本天皇のもとに、かすかに生息している」などと他党に対する誹謗中傷を繰り広げた。この発言が「赤旗」に暴露されたことから、言論出版妨害事件に対する批判の火の手はさらに燃え上がることとなった(渡部は1月27日に引責辞任)。
 この渡部発言のあった11日には、政治評論家の細川隆元がTBSテレビの「時事放談」において、「公明党はナチスに通ずる、今度はこの席に関係者を呼んで問いただす」と発言。池田大作に番組への出演を依頼したが、池田は「体調不良で多忙」との理由で出演を拒否した。
       ---------(250P)-------つづく--

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