藤原弘達・創価学会を斬る 41年目の検証 言論出版の自由を守る会編
(日新報道 2012/2)
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◆ 焦点となった池田大作証人喚問
厳しい批判の前に創価学会・公明党は、全面否定から一部肯定へと路線を変更して事態の収拾を図ろうとした。まず1月16日に記者会見に臨んだ矢野が、「党でこの問題を調査した結果、著者に対して正確な知識と客観的な批判を要望した事実は認められるものの、あくまで不当な中傷に対し、名誉を守るための話し合いや、要望の範囲に留まるもの」と説明、藤原弘達らと接触した事実は認めたものの、言論出版妨害ではないとの認識を示した。しかしこの説明に説得力はなく、記者会見において矢野が、内藤の「公明党の素顔」のゲラを出版前に入手していたことを認めたこともあって、言論出版妨害に対する批判はさらに強まることとなり、それまで沈黙を守っていた全国紙も、言論出版妨害事件に関する批判報道を始めるようになった。
まず自社の記者である内藤の書いた「公明党の素顔」に言論出版妨害を受けた「毎日新聞」が、1月18日付「社説」で、「野党第2党に躍進した公明党の責任は重い」「批判は封殺するというような態度はとるべきではない」との批判記事を掲載。
続いて1月25日には「朝日新聞」が、投書欄に「言論・出版の自由をめぐって」との特集を組み、「市民に強い危機意識“出版妨害”の真相求める声」と題して5通の投書を掲載した。同特集には「『赤旗』が連日キャンぺーン記事をのせたため、一般の新聞報道が立ちおくれた」との言い訳めいたコメントと、公明党からの「反論は遠慮する」という異例のコメントが掲載された。
「朝日新聞」は、11月3日にも「公明党は徹底的に体質を改めよ」と題する社説を掲載。翌4日には「読売新聞」が「公明党の抜本的体質改善を」との社説を、そして5日には「毎日新聞」が「公明党の体質改善に望む」との社説を掲載するなど、全国紙が相次いで言論出版妨害事件に関する批判記事を掲載した。
また2月9日には、作家の五木寛之、野坂昭如、結城昌治、梶山季之、佐野洋、戸川昌子が創価学会の外郭出版社である潮出版社の出版物への執筆拒否宣言を行うなどした。
こうした動きと並行して国会(第63回特別国会)でも創価学会・公明党の言論出版妨害が厳しく追及され、池田大作の国会証人喚問が取り沙汰されるようになっていく。2月17日の衆院本会議では社会党の成田知巳委員長が、そして翌18日の同本会議では共産党の米原昶議員が言論出版妨害事件を取り上げた。このうち2月18日の衆議院本会議での米原質問は以下の通り。
「最近広く問題になっているように、評論家の藤原弘達氏及び出版社が、藤原氏の著書『創価学会を斬る」の出版にあたって、公明党及び創価学会から事前に出版の中止や、内容の変更、原稿の検閲などを要求されたり、出版後もこれを一般の書籍販売ルートから締め出すような圧力が加えられるなど、重大な出版妨害を受けたことを訴えております。その中に、昨年十月、田中幹事長から、公明党竹入委員長の依頼だとして出版中止の勧告を受け、さらに出版される著書を全部公明党が買い取るという形でこの書物をやみに葬るという話をされたとの訴えがあります。これについて、田中幹事長は、公明党との関係はぼかしながらも、おせっかいをやいた、として、介入の事実そのものは認めております。もし介入の内容が藤原氏の訴えどおりであるとすれば、田中幹事長の行動が出版妨害、言論買収の行為であることは明白であります。(拍手)
公明党あるいは創価学会を批判した書物に対して出版妨害が加えられたのは、これが初めてではありません。『公明党の素顔』の著者内藤国夫氏、『これが創価学会だ』の著者植村左内氏、『創価学会・公明党の解明』の著者福島泰照氏をはじめ、多数の人々がその被害を訴えております。
特に内藤国夫氏の場合には、昨年3月に竹入委員長に直接呼び出され、大幅な原稿の書き直しを要求されたと証言しております。特定の政党や団体を批判する書物を出版しようとすると、その出版をやめさせるためのさまざまな圧力がかかる、事実上の買収工作まで行なわれる、あるいは出版物の販売が妨害される、このような出版妨害行為は、断じて許さるべきものではありません。(拍手)
もし出版の自由の侵害が放置され、横行するならば、基本的人権と民主主義そのものが破壊されることになります。戦前の出版・言論の自由の抑圧が、侵略戦争と軍部専制のあの悲慘につながったことは、国民の記憶にまだなまなましいところであります。それだけに、今回の出版妨害問題は重大であります。
民主主義の根本にかかわるこの重大問題について、現に多くの被害者によって問題が提起されている以上、この問題を積極的に取り上げて真相を究明することは、国政に責任を負う国会の当然の責務であります。(拍手)この点について総理の所信を明確に伺いたいと思います。
特に、自民党田中幹事長が、言論買収の工作をしたという疑惑に対して総理はいかに考えているか、藤原氏は、これらの事実について国会で証言する用意があると言明していますが、この問題に関して、国会の場で国民の前に真相を明らかにする用意があるかどうか、明確な答弁をいただきたい。(拍手)これは総理の政治姿勢にかかわる重大な問題であります」
これに対する佐藤栄作首相の答弁は以下のとおり。
「私は、施政方針演説で申し述べましたとおり、民主主義は国民のためのものであります。その民主主義は、言論の自由と暴力の否定によってこそ健全な発達を遂げるのであります。社会党の成田委員長にもお答えいたしましたとおり、言論・出版の自由は憲法上保障された権利であり、政府としては、言論や出版が不当に抑圧されることのないよう十分配慮をしなければならないと考えます。これが基本的態度であります。いろいろこの席から個人の名前等もあげられましたが、こういうことこそ慎んでいただいたほうがいいのではないか。(発言する者あり)実は、これは私の簡単な所見でありますが、かように申し上げておきます。私の感じをただいまのようにやじって圧迫されないように、それこそ言論の圧迫だと、かように考えます。(拍手)
◆ 根回しに奔走した公明党
これ以後、国会の各種委員会で言論出版妨害事件が取り上げられるが、前記引用の竹入手記に「佐藤さんは、関係者の証人喚問要求に、のらりくらりと時間かせぎをしてくれた。国会の委員会採決も先送りしてくれるなどいろいろ配慮してくれた」とあるように、佐藤は一貫して創価学会・公明党を擁護し、池田喚問阻止の姿勢で一貫した。
その背景を伺わせる記述が「佐藤栄作日記」の昭和45年1月30日にある。そこには池田から富士銀行の岩佐凱美頭取を通じて佐藤に、「藤原弘達問題には干与しな〔い〕様に」との伝言があり、佐藤は「同感」と岩佐に伝えたと記載されている。
昭和40年秋に創価学会は、平成3年に破門されることとなる日蓮正宗総本山の大石寺に正本堂を建立する名目で寄付を募り、355億円という巨費を集めた。これ以後、銀行は創価学会の膝下に屈したが、その資金力を背景に池田は、都市銀行頭取を通じて総理大臣への工作を行っていたのである。そして佐藤も、今後の国会対策や選挙協力、そして田中幹事長が関与していた事実による政権へのダメージなどを考慮して、創価学会・公明党擁護の姿勢で終始した。
2月23日には社会党の赤松勇代議士が、衆院予算委員会で藤原弘達と内藤国夫そして「これが創価学会だ」の出版元である「しなの出版」社長の証人喚問を要求。25日の衆院予算委員会では民社党の麻生良方代議士が、取り引きの公正という観点から言論出版妨害事件に言及。言論出版妨害事件に関する特別調査委員会に藤原弘達と、出版社の代表として日新報道と潮出版社の代表、そして取次会社を代表して日本出版取次協会代表の参考人招致を求めた。
同様27日の衆院予算委員会で質問に立った共産党の不破哲三代議士も、藤原弘達と内藤、植村、福島の他、田中幹事長と竹入委員長の証人喚問を要求。翌28日には「公明党を折伏しよう」の著者で、創価学会・公明党による言論出版妨害の被害者でもある民社党の塚本三郎代議士が衆院予算委員会で質問に立ち、池田大作の証人喚問を要求した。この塚本の証人喚問要求によって、これ以後、国会では池田の証人喚問が最大の政治問題となった。池田の証人喚問を要求した塚本が、28日の予算委員会で質問に立つことが决まったのは22日のことだが、塚本が衆院予算委員会で質問することがきまるや、塚本の自宅や事務所には「ばかやろう、殺してやる」とか、「一週間以内に立ち退かないと火をつけるぞ」などの脅迫電話が相次いだという。この塚本への脅迫問題については、2月26日付「読売新聞」が「議員“脅迫”問題を究明せよ」との社説を掲載した。
国会での池田喚問問題が沸点に達した3月中旬、朝・毎・読の全国紙三紙は、相次いで言論出版妨害事件の真相究明を求める社説を掲載(「朝日新聞」3月14日付「出版妨害問題の究明を要求する」「毎日新聞」3月16日付「“言論・出版の自由”究明を」・「読売新聞」3月19日付「出版妨害問題の真相究明を」)した。
国会でも社会党・民社党・共産党の有志議員らが、3月17日に藤原弘達、内藤国夫、植村左内、隈部大蔵(隅田洋.福島泰照)ら創価学会から言論出版妨害を受けた当事者らを招いて「言論出版妨害真相究明の議員集会」を開催し、言論出版妨害の真相究明と池田の証人喚問を求めた。
しかし、3月20日に開催された衆院議院運営委員会の理事会で、赤松・麻生・不破・塚本の各代議士から出されていた証人の喚問要求、参考人の出頭要求、調査特別委員会の設置要求は、自民党・公明党の反対で合意できずに却下となった。
その後も4月15日に社会党の赤松が、民社党・日本社会党・共産党からの動議として、池田の証人喚問を要求したが、結局、自民・公明両党の反対で池田喚問は実現しなかった。
こうした国会の動きの水面下で、創価学会・公明党が必死で池田喚問阻止に動いた事実を、矢野は「私が愛した池田大作「虚飾の王」との50年」で詳述している。そこには北條を通じて受け取った池田からの軍資金1000万円を原資として、各党の理事や議員を接待漬けにして懐柔し、質問内容などの情報収集を図った事実や、田中幹事長を通じて、証人喚問は与野党の「全会ー致」で決めるという「前例」を「慣例」に格上げすることで、池田喚問を封じた事実などが詳細に書かれている。
結局、昭和45年5月3日開催の創価学会第33回本部総会で、池田会長が、「言論妨害というような陰険な意図は全くなかった」としながらも「これらの言動が全て言論妨害と受け取られ、関係者に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまった」ことについて「まことに申し訳なく、残念」だとし、「今後は、二度と同じ轍を踏んではならぬと、猛省したい」と発言。「私は、私の良心として、いかなる理由やいいぶんがあつたにせよ、関係者をはじめ、国民の皆さんに多大のご迷惑をおかけしたことを率直におわび申し上げるものであります。もしできうれば、いつの日か関係者の方におわびしたい気持ちであります」
と、「猛省」「謝罪」の言葉を口にし、あわせて創価学会と公明党のいわゆる「政教分離」宣言を行つたことで、言論出版妨害事件は終息した。
以下に、言論出版妨害事件当時、創価学会の幹部あるいは創価学会本部職員だった人物らの事件に関する論考・証言を紹介する。
---------(257P)-------つづく--