「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「苦しさを通り超した戦い」

2021年06月15日 | カープ一喜一憂

                                         

                                             交流戦 6月15日 広島 vs 西武 試合終了  
                                                                   広島 5 西武                

2週間も負け続けたカープさん。今夜は勝ったのだ!!
交流戦18試合戦ううちの、なんと3勝目なのだ。8連敗の後の、ヒヤヒヤの1勝。キャッチフレーズの『勝ちグセ』がいつの間にか『負けグセ』に変化したが、今夜だけは強かった。

ヒヤヒヤであろうと何であろうと、勝てば官軍。などと立派げなことは言えないし言わないが、兎に角2週間ぶりの笑顔のハイタッチ。2週間ぶりのお立ち台に、名も知られていない若い選手が二人、笑顔のガッツポーズなのだ。

もはや、采配がどうだ、投手が、打者が、などと何を言っても全てが愚痴になる大型連敗。
ましてや相手は、セリーグでのレギュラー対戦ではない。強い強いパリーグ相手なのだ。どこまで負けるかやってみるしかない。もう残り1試合。生きのいい若手の登竜門として派手に戦ってみりゃいい。

そして、オールスター戦とオリ・パラの休暇を挟んで、そこからどれだけの試合を見せられるのか。それこそが見物である。
連敗の理由はコロナ禍??そうか??? まあいい、全ては過去だ。7月・8月戦線でどれだけのものを見せてくれるか。勝ちに不思議あり。負けに不思議なし。理由があるから負けるのだ。

ま、今夜だけはイヤな夢でトイレに通う回数も少ないだろう。熟睡を期待しよう。

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「隣のタチアオイ」

2021年06月14日 | 季節の移ろい・出来事

    

隣のご主人が丹精込めたタチアオイが今年も見事に花を咲かせた。
この花が一つ二つ咲き始めるころ、朝に夕に二人が顔を合わせるたびに、タチアオイの素晴らしさや由来、花の持つ魅力などの立ち話に花を咲かせたものである。

長い新聞配達の経験で、近隣の情報通として知られていたお隣さん。その延長線上で、この団地内の事情にも詳しくて、いろんなことを教わったりもした。学年こそ私が一級上だが、同い年の気の置けない隣人さんであった。と、こんな言い方をしても亡くなられたわけではないよ。

腰痛が昂じて、歩行困難となり医療センターに入院して2ヶ月あまりになる。主人が留守をされた今年も、寒い頃からの手入れは行き届いていたのでタチアオイはちゃんと花開き、その深紅や爽やかピンクが私の目を楽しませてくれている。
奥さんの話では、最近は口からの食事がままならなくて、チューブによる栄養補給になっているとか。このご時世お見舞いにも行けず、顔を見て話しをするなど出来ないのは本当に寂しいことではある。

身近にいる同い年の人が長い入院生活を余儀なくされることは、次は我が身かと、ついうつむき加減になる。でもこればかりは、人は人我は我と割り切って、今しばらく元気を保っていたいと改めて思わされる。

タチアオイの背丈は1~3mもあり、垂直な茎に花は下から上に咲き上がっていくと言う。梅雨の入り頃から咲き始めて、一番上の花が咲く頃に梅雨が上がるのだと聞いたことがある。
こんなきれいな花が一番上に咲来上がる頃には退院して来られることを願いながら、今を盛りの花を眺めさせてもらっている。
いずれにしても、病魔に襲われたら如何ともし難い。可能な限り襲われないように努力したいと思うのだが、その決めては何か。それが問題である。食う 寝る 遊ぶ 少しの社会貢献。こんなところかな。

 梨棗(なしなつめ) 黍(きみ)に
   粟(あは)嗣(つ)ぎ
    延(は)ふ 田葛(くず)の
     後も逢(あ)はむと
      葵(あふひ)花咲く    万葉集に詠まれた詩

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「自治会の清掃」

2021年06月13日 | 地域活動

         
        3月完成の自治会事務所前の草取り                   自治会公園の草取り

1年に1度、自治会上げての大掃除。78世帯あるうちの75世帯が自治会員。そのほとんどが参加する我が自治会の、年間最大にして唯一の共同行動である。高齢化や単身世帯の増加など、現代社会の大きなうねりをものともしない、活発で有意義な活動が毎年この時期に行われる。

約2週間前に各家庭に土嚢袋が配布される。自宅敷地にに面した道路にある溜枡のヘドロをすくい上げ、土嚢袋に回収して水を切っておく。清掃当日、誰ともなく一輪車に積んで所定の置き場に積み上げる。そして団地内道路や公園、完成して間もない自治会事務所前の草取りなどに約1時間汗を流す。
この団地が出来て27年。毎年1回はやって来た恒例行事なので皆さん手慣れたもので、くどくど説明する必要もない。ただ一つの注意はケガをしないこと。

団地が出来て間もなく組織された自治会、そこで出来上がった会則。ここまでに何回かの改訂もあった。その時々において良かれと思って決めた会則も、時間の経過と共に時代に合わなくなったものもある。そんな会則の改訂をヘタに求めると「藪をつついて蛇を出す」ことになってはまずいのでつい口をつむってしまう。その最たるものが「会長は班長の中から決める」という、1年こっきりの輪番制がまかり通っていることだ。

まあそうは言っても、せめて「1期2年、再任を妨げない」程度の猶予期間を作ってあげるのが、新任会長に対する本当の親切というものではないか。などと本気で考えるのが少数派だとするなら、現行でいくしかない。しかも、年に1回こっきりのイベント自治会大掃除も、なんとか様になっているし、他になにかしようと新企画を立てるわけでもないのなら、現状維持が波風立てなくていいのかもね。
但し、現役時代の「技術開発」という職場では「現状維持は退歩である」と厳しく言われ、尻を叩かれ続けたのを思い出す。

たかが自治会、されど自治会。やがて自分も団地の外に遊びに出られなくなるときが来るのを覚悟している。その時のためにも、団地内で楽しめる方策を何かこしらえておきたい欲望は持っている。

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「いい仲間に」

2021年06月12日 | つれづれ噺

                 

5月の終わりから6月初めにかけて、古くからの仲間が相次いで「個展を開くので見に来て」と案内の電話をくれた。
一人は同級生の女子で、天衣無縫な独特の世界を、遊字と墨絵を組み合わせて「みんなを元気にしたい」と、長く励んできた。漫画チックな少し笑える絵画である。

彼女の色んな作品を自宅の二階に積んであると聞いたので、中学校同窓会の会場の一角に設けた「趣味のコーナー」に数点の展示を勧めたところ、気持ちよく応じてくれた。その時以来、あちらこちらで個展を開くようになっていた。そんなわけで今回は久しぶりに彼女の世界を覗かせてもらった。
生来、絵心のない小生には大した評価も出来ないし、それらしい褒め言葉も出てこないまま「みんな期待しているからこれかもがんばって」と言うのが精一杯であった。

今一人は、地方新聞のタウンリポーターをしていた頃の仲間の一人で、うら若き秀麗な女性である。
フォークアートペイントという書法で、それはそれは繊細な筆遣いの、奥は深いのだがなんとなく解りやすいアートであった。

いろんな花に恵まれる5月6月は「花を咲かせる」という自然の力による芸術は、人知の及ばない部分もある。しかし、長年一つの道を究めようと努力した人たちの手から生み出される芸術もまた、見る人の心を揺さぶるものはあるようだ。不調法な小生でもたまにはこういった、アートとの付き合いもいいねー。それも元仲間や同級生の作品となると、見せてもらう側にもまた一つリキが入る。

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「ひと先ず安心を」

2021年06月11日 | ニュース・世相

                    

6月11日。何はともあれ、感染症から我が身を守る。家族に感染させない。周囲と協力して感染症を抑え込む。そんな「目的」と「自己責任の全う」などをひっくるめて、新型コロナ感染対策ワクチン接種の第2回目を終えた。
第1回目が5月21日。あれからちょうど3週間をおいて今日、つい先ほど接種を終え、15分の待機時間を大幅に追加、約40分経過後に、行政発行の接種カードに、医師による接種済み券を添付してもらって帰った。

コロナ完全対策と、ひとまず安心を、一緒に注射器に込めて左肩筋肉に接種してもらった。
これで新型コロナウイルスに侵される心配は半減した、と信じて、これまで積み重ねて来たコロナ対策の諸々・ノウハウを今しばらく続けて、自分自身を守りたいと思う。

ワクチン接種は他力本願であっても、自分自身を守るという信念は自力本願であろうから、まだしばらくの緊張は持続しなければならい。油断などできはしない。熱燗・焼酎の湯割り・ウイスキーの水割りなどなど、グラスを挟んでの声高談笑や、思いっきりのカラオケ熱唱は、今しばらく禁じ手としよう。たとえ蒸し暑さが迫り来て「暑気払いが欲しいな~」と思っても、グッとガマンの子であった。と、自分で自分を褒めることにしよう。

新型コロナの怖さは何度も例を見せられたが、ワクチン接種の効果はこれだ、という見本はまだお目にかかっていない。だから100%信頼というわけには行かない。やはりなんぼか感染が抑えられるであろう。といった程度の信頼感で付き合いながら、自らを律する。これしかないでしょうな~ご同輩。

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「琵琶の実るころ」

2021年06月09日 | 季節の移ろい・出来事

                                 
                                           琵琶の実が熟れ始めると、新たな晴耕雨読が待っている。

葉っぱの色と自らの羽の色が同じようなメジロが集団で飛んできて、大きな琵琶の木に群がって、琵琶の花の蜜を吸っていた。
あれはいつごろだったのだろう。家族なのか友人同士なのか、それはそれは一個団体というほどの大きな集団がやって来て、見事に付いていた花を全部ダメにするんじゃないかと心配するほど、花を荒らし回っていた。

なんのなんの、琵琶の木もそれほど軟ではなかった。花の蜜はしっかりメジロに提供しても、その分受粉がうまくいったのか、琵琶の実は大豊作である。
袋掛けという実を護る作業など何もしなくても、鈴なりの実は日に日に黄色味を増して膨らんでいる。隣近所が寄っても食べきれない量である。
その分今度はメジロに代わって、ヒヨやスズメがいい塩梅に入れ替わりながら食い荒らしていく。

この琵琶の実が黄色に色付くと、年中行事の作業が待っている。それが梅ちぎりである。
過去の梅ちぎり作業で、痛い目・痒い目にあって何度皮膚科にお世話になったことか。面の皮と同じように、薄くて繊細な肌を、毛虫や毒蛾の幼虫が容赦なく襲う。オー痒い。

それでも、我が国の食糧自給率が40%に満たない貧困を嘆きつつ、また我が家の保存食品の原料とするべく青い梅をちぎるのである。もう一つ言うなら、カミサンの里にある山や畑の中で、私如き素人でもなんとか手が出せるのが、唯一この小さな梅林を守ることなのである。長年にわたって付き合って来た郷愁や愛おしさがある。ということかな。琵琶の実りすなわち梅ちぎりへと続くこの季節である。

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「咲いて嬉しい花いちもんめ」

2021年06月08日 | 季節の移ろい・出来事

        

庭先の紫陽花「墨田の花火」が見事に花開いた。これほどの咲きっぷりは珍しい。東京都調布市から我が家にやって来て、かれこれ17・8年はたつというのに、目をみはるほどの艶やかさは初めてである。柄にもなく「咲いて嬉しい花いちもんめ・・・」などと口ずさんでみたくなるほどである。

紫陽花は七変化すると言われるとおり、 小さな水色から澄んだ青色に。 やがて深い青に落ち着いて、もっと沈んだ紫にたどりつけば、もう終焉。 これが普通の大輪を誇る大ぶりな紫陽花。この墨田の花火も、額に咲く白い花弁が真っ白から薄い紫を帯び、やがて淡いピンク色に変わる。額の中の小花も薄緑から青みを帯びた薄紫に。と言う具合にやはり七変化して楽しませてくれる。こうなるとつい紫陽花の花言葉ってなに?と興味が湧く。

「移り気」「高慢」「辛抱強い愛情」「あなたは美しいが冷淡だ」「無情」「変節」などと、梅雨時の鬱陶しさの中で楽しませてくれる花のイメージとは相容れない感じだねー。と思ったら、これは西洋での印象みたいである。七変化だの墨田の花火だの、梅雨の雨が似合う花、などと表現されることが多いので日本の花だとばかり思っていたら、西洋にも紫陽花はあるのだそうな。あちらはあちら、花言葉にも少し情緒が欠けるねー。

そこで今一度、和名紫陽花の花言葉を探してみた。あったよ~。「団結」「仲良し」「家族」「和気あいあい」「平和」「七変化」などなど。随分多い気もするが、いずれもイメージ通りの、優しさのある言葉が連なっている。これでこそ紫陽花の花言葉である。
同じ紫陽花をみても、日本人と西洋人との間には感受性にかなりの開きがあるのかな。

もっとも、日本の四季の中であまり好まれない梅雨という季節に咲いて、カビを生やす雨ではあるがその雨と微妙にマッチングするところに良さを見つける。この奥ゆかしい日本人の感性。あの世まで持って行きたい一つの財産ではある。柄にもないと笑わんといてな。

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「キューリ、初生り!」

2021年06月07日 | 晴耕雨読

                  
                         今年の初生り、第1号キューリ

4月下旬に5本の苗を買って植えたキュ―リさん。あれからおよそ50日。何かと気にかけ手をかけて、やっと一番生りが姿を見せた。根っこの近くで土の上に転がってござる。
同じ日に買ってきて、同じように作った畑に、同じような間隔を開けて植えた。なのに、とうとう1本は新芽を出さないまま土に返った。何一つ分け隔てするでもなく、かける愛情の深さに変わりはないのに、どうしてもこういったアクシデントは起きる。相手が生き物だけに対応が難しい。

あとの4本は期待に応えてしっかり根付いた。そして大きさもお手頃の新鮮キューリの初収穫である。
孫たちによく教えておきたい。キューリとは、ゴールデンウイーク前後に植えて、6月の梅雨時期に実り始める「夏野菜だよ」ということを。

今どきのスーパーには、年がら年中キューリは店頭に並んでいる。いつが季節の味なのか、いつが旬なのか、子どもには分からなくなってしまう。いや、大人だって下手をすると、キューリもトマトも季節などカンケーねえや、などと思っているご仁もあるかもしれない。勘違いしちゃいけませぬぞ、キューリもトマトも夏野菜なのだ。別にリキ入れて言うほどのことでもないが。

写真ではお分かり頂けないかもしれないが、今年のキューリは色つやがとてもいいようだ。青黒く盛り上がるように葉も茎も力強く成長している。
幼い時の害虫対策が効いているのである。と思いたいのよ。色々工夫したのよ今年は。特許申請をするほどのことでもないが、ここだけの話。幼い苗を植えたらすぐに、金網を丸めてカゴを作って被せてやった。あの黄色いハエのような虫が、新芽を食べに来るのを防いでやった。もちろん、金網なので太陽光も雨の恩恵も十分享受出来る作りになっている。

さすがの敵も、金網のカゴを抜けてまでは入って来にくいようであった。それに、酢を希釈した中に唐辛子を浸した特性消毒液を開発したのだ。どうだ、虫の奴め。それでも敵もさるもの、彼らもこの季節の格好の料理とばかりに寄ってくる。寄っては来るがその回数や量が半分以下であったような。コロナのお陰で、晴耕雨読に少し力を入れた副産物ではある。お陰でうまいキューリが頂けそう。キリギリスにならんように気を付けないと。

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「花菖蒲を求めて」

2021年06月06日 | 季節の移ろい・出来事

 6月初めの週末。本来なら楽しみにしている、岩国工場定年退職者の会定期総会が開かれる時期である。
ところが、にっくきコロナに邪魔されて、昨年・今年と2年続きの中止を余儀なくされた。
定期総会とは、錦帯橋近くの国際観光ホテルの大広間に120~150人の定年退職者(高齢者)男女が集まって、1年間の報告事項と来年度の計画事項を審議してシャンシャンの賛成で閉会。飲食大宴会の懇親会が始まる。一次会が終わると楽しみな吉香公園散策。これが満開の花菖蒲鑑賞となる。

これが定番のお楽しみなのに、2年続きのキャンセル。その腹いせとまでは云わないが、今年はカメラを肩に、ゆっくりジックリ花菖蒲の鑑賞のためにわざわざ出かけた。花菖蒲が最高に美しい時期に当たったので、独り占めはもったいない。是非皆さんにも「岩国の花菖蒲」をご覧頂きたいを願って、人の気持ちも顧みず、アップさせていただく次第です。

                                                   
     吉香公園、一番奥まったところにある、小さな菖蒲園 ↑ ↓                                                                                                         
    上の菖蒲園とは別の場所にある、広大な菖蒲池、今年は殊の外、お見事!!

          
  いずれ劣らぬ美しさを競って、観光客を楽しませている                                                             
 普段ならこの時期、大勢の親子連れで賑わう噴水公園。今年ばかりは閑散。密にあらず。      

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「花に癒されて」

2021年06月05日 | 季節の移ろい・出来事

                                

   ❝  押し開く小窓と初夏の青空と  ❞     坪内 稔典   

コロナ禍に押され続ける日々、倦怠感も増し、なんとなくジレンマも感じる梅雨のさなか。
庭先に咲くアジサイの薄紫がなんとも心地よく感じられるとは、少しバイオリズムが狂っているのかな?と自分で自分を疑ってみたくなる。そこまで落ち込んでもいないし、閉塞感にさいなまれるほどでもないのに、やはり気分はブルーだね~。

そんな気持ちでテレビを見ていたら、コロナ注意のテロップで「倦怠感を感じる人が37%」と流れていた。どこで、誰が、何のために調べた、どんな結果で言っているのか詳細不明なのでなんとも同調のしようもないが、何かしら物足りない日々を感じている人が結構いるということか。

今日の句の作者坪内稔典さんが、蔵書の書庫として借りている倉庫の持ち主が、倉庫の立ち退きを命ぜられたので書庫を明け渡せと言われたとおっしゃる。「断捨離と言う言葉が嫌いで、膨大な蔵書の処分をしないまま今に至った。そろそろ処分しないと手に負えなくなる、とカミサンにこぼされている」と正直な気持ちを書いておられた。

そっか~、世の中には蔵書のためだけに倉庫を借りて書庫にする人もいるということか。
そこへ行くと私などは、家中の本という本を集めても高が知れている。段ボールの数個もあれば断捨離出来る量でしかない。それでもいざ処分となると「これもあれも、それぞれに思い入れがあって手にしたんだよね~」と、手許に置いてしまう。

それでも、たとえばこの自治会の中で数人が蔵書を持ち寄って、古書市でも開こうと言うのなら話しは別である。それこそ持って行ってくれる人があれば熨しを付けて進呈したい。
でもまあ考えてみれば、コロナコロナと落ち込む日々に、何冊かを引っ張り出して再読してみるのも、気持ちを紛らわす役に立つかも。やってみっかな、さてどうかな??

コメント (4)
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