「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「隣のタチアオイ」

2021年06月14日 | 季節の移ろい・出来事

    

隣のご主人が丹精込めたタチアオイが今年も見事に花を咲かせた。
この花が一つ二つ咲き始めるころ、朝に夕に二人が顔を合わせるたびに、タチアオイの素晴らしさや由来、花の持つ魅力などの立ち話に花を咲かせたものである。

長い新聞配達の経験で、近隣の情報通として知られていたお隣さん。その延長線上で、この団地内の事情にも詳しくて、いろんなことを教わったりもした。学年こそ私が一級上だが、同い年の気の置けない隣人さんであった。と、こんな言い方をしても亡くなられたわけではないよ。

腰痛が昂じて、歩行困難となり医療センターに入院して2ヶ月あまりになる。主人が留守をされた今年も、寒い頃からの手入れは行き届いていたのでタチアオイはちゃんと花開き、その深紅や爽やかピンクが私の目を楽しませてくれている。
奥さんの話では、最近は口からの食事がままならなくて、チューブによる栄養補給になっているとか。このご時世お見舞いにも行けず、顔を見て話しをするなど出来ないのは本当に寂しいことではある。

身近にいる同い年の人が長い入院生活を余儀なくされることは、次は我が身かと、ついうつむき加減になる。でもこればかりは、人は人我は我と割り切って、今しばらく元気を保っていたいと改めて思わされる。

タチアオイの背丈は1~3mもあり、垂直な茎に花は下から上に咲き上がっていくと言う。梅雨の入り頃から咲き始めて、一番上の花が咲く頃に梅雨が上がるのだと聞いたことがある。
こんなきれいな花が一番上に咲来上がる頃には退院して来られることを願いながら、今を盛りの花を眺めさせてもらっている。
いずれにしても、病魔に襲われたら如何ともし難い。可能な限り襲われないように努力したいと思うのだが、その決めては何か。それが問題である。食う 寝る 遊ぶ 少しの社会貢献。こんなところかな。

 梨棗(なしなつめ) 黍(きみ)に
   粟(あは)嗣(つ)ぎ
    延(は)ふ 田葛(くず)の
     後も逢(あ)はむと
      葵(あふひ)花咲く    万葉集に詠まれた詩

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