アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

上州、秩父、奥多摩山旅2019秋 1.皇海山(すかいさん 2144m)その1 2019年9月25日

2019-11-15 22:48:33 | 上州、秩父、奥多摩山旅 2019秋
今回の山旅は、上州皇海山、秩父両神山、奥多摩の雲取山をめぐります。
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1.皇海山(2144m) その1
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老神温泉から栗原川林道を走ります。約1時間10分ほど悪路を走ります。ほとんどが砂利道の
でこぼこ道でかなりハードなドライブです。四駆とか二駆とか言う以前に 車高の高い車のほうが
有利ですね。荒削りの崖っぷちの道なので 長雨で直ぐ崩れて通行止めになるのがわかります。
私は 今回で3度目にようやく 走ることが出来ました。
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林道終点の駐車場から皇海橋を渡ります。橋の両側はきれいな針葉樹の森が広がります。
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橋を渡れば登山口です。左の林道へ進みます。
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しばらく林道を歩きます。
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道端には 野紺菊が咲乱れています。秋らしくていいですねえ。
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継子の尻拭いも咲いていました。この茎の棘棘でママこのウンコのあとのお尻を拭くと痛くてギャーギャー
泣き喚くのが 継母として面白いそうです。本当に下品で教養のない奴が考えそうな名前ですね。
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しばらく林道を歩くと 登山道の入口がありました。
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しばらく渓流沿いの道を進みます。
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何度も渓流を渡ります。
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やがてダケカンバや白樺の足元に 熊笹が生い茂るようになりました。
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いかにもマダニの巣です。今年マダニにやられたばかりなので ここで全身に虫除けスプレー
を噴霧します。
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そいて先行者に追いつきました。老神温泉の同じ宿に泊り 6時前に出て行かれましたが 
私は宿のご主人が入れてくれたコーヒーを飲んでご主人としばらく世間話をして6時半頃に出発しましたが 
栗原川林道で直ぐに追いつき追い越させていただきました。
林道駐車場で 私が身支度に時間を取られているうちに あとから到着されたこのグループが
先に出発されました。 再び追い越しさせていただきました。
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やがてガレ場の急登が始まりました。もし先行者がいたら落石が危険でしばらく間をあけないと
危険すぎて登れませんよね。
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1.皇海山(2144m) その2へ続く
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上州日光の古代出雲ゆかりの地を尋ねて その2 赤城神社榛名神社

2019-11-12 00:21:23 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
その2
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赤城神社
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国定忠治の像が建っている大洞地区から大沼を北へ歩くと 赤い橋が見えてくる。
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橋を渡ると 赤城神社の広い境内だ。
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立派な拝殿だ。
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裏へ回ると 本殿が見える。千木を良く見ると 出雲の横削ぎではなく、九州物部家の
たて削ぎ方式だ。もちろん妻入り形式ではない。つまり大社造りとは違うのだ。
この神社も出雲族が建てたものではないことが分かる。
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神社の由緒書きまたは縁起がどこにも無いので たまたま通りかかった巫女さんに尋ねると
神社のパンフレットを持ってきてくださった。それを見てびっくり仰天した。豊来入彦なのである。

九州物部家の第二次東征で イクメ王(垂仁)と共に 宇佐豊玉姫の皇子たちの
豊来入彦(記紀では豊鍬入彦とかウガヤフキアエズ)と豊来入姫(記紀では豊鍬入姫)は戦って来た。

しかしイクメ王が大和を旧出雲王家の野見太田彦などの協力で平定するに連れて、異母兄妹の彼等が邪魔になりだして
旧出雲王家の助けを借りながら 彼等を大和から 追い出した。追われた豊来入彦は この地まで逃げてきて
この地の開拓発展に大いに貢献したという。それで祀られているのだ。

しかしこの神社の由緒書きには 「崇神大王が東国に豊来入彦将軍を派遣して平定した」「この豊来入彦を祀っている」
などと、記紀の御伽噺をそのまま載せているので 困ったもんだ。

イクメ王が大和の大王になったあと 大和から追われた豊来入彦の事を イクメ大王が東国に使わした将軍と言うのだ。
正に記紀の作り話にしたがっている。

記紀の内容は 史実ではなく、時の権力者が(持統女帝、藤原不比等など)が自分たちが渡来人の征服王朝と言うことを隠し
今の立場を正当化するためにでっち上げた 歴史小説なのに 千年以上立った今でも史実だと思い込んでいる人が多く、困ったものだ。
一般人ならともかく、歴史学者(たとえば梅原先生)なども 記紀の呪縛から未だ解き放たれていらっしゃらない。


宇佐豊玉姫(魏書に書かれた二番目のヒミコ)は出雲王家の血を引くお方なので 当然豊来入彦も豊来入姫
(大和入りした当初は檜原神社で祭りごとを行い 若ヒルメムチと呼ばれた)も当然出雲王家の血を引くお方だ。

ちなみに我が家には 神棚に豊来入姫のお札が安置してあるので、早速この神社でもお守りを購入した。
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榛名富士山神社
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榛名山は その姿が富士山に似ているところから 昔から榛名富士と呼ばれて来たそうだ。
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山頂には「富士山神社」があり、昔からこのあたりの人々が 祭礼時には数珠繋ぎになり登ったそうだ。
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鉄筋コンクリート造の社は 標高1400mの厳しい気候で劣化が激しい。
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神社の縁起が山頂に設置してあるが 劣化、風化が激しくて読みづらい。
主祭神 は「この花咲くや姫」と書いてある。

つまり九州物部家の第二次東征でイ二エ王(崇神)が筑後平野から南下して薩摩の地に来たとき
美しい阿多津姫を見そめて后とし 生まれたのが イクメ王(垂仁)なのだ。

阿多津姫は 出雲王家の血を引いていないが、イ二エ王やイクメ皇子(後の垂仁大王)は出雲王家の血を引く
お方だ。

記紀では 短命に終わった阿多津姫を「この花咲くや姫」と書き 、ついでに短命に終わった物部王朝を隠すため
九州を一度も出た事の無い イ二エ王を大和の大王としたり(崇神)、架空の皇子ヤマトタケルを作ったり、
オキナガ姫の部下の豊前中津彦を「仲哀大王」として格上げしたり さまざまな苦労をしている。

ちなみにイ二エ王も 後妻の宇佐豊玉姫(魏書に書かれた二番目のヒミコ)も短命に終わっている。
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新しい由緒書きもあった。やはり主祭神 は「この花咲くや姫」と書いてある。
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山頂付近に面白い標識があったので行ってみることにした。
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石碑が四本立っている。
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説明が紀があるが これらは完全に記紀がでっち上げた作り話が世に出回った後に作られたものだというのがよく分かる。
初代大和大王の「天の村雲」が記紀により書き換えられて「神武」とされたり、「咲くやこの花姫」の醜女の姉
として造られた姫などがかかれている。

しかし二度目に和国に渡来した徐福が 筑後で名乗った和名「饒速日(にぎはやひ)」もかいてある。
物部王家やその後の天皇家の出発点となった 秦国人徐福を祀っているのである。

ちなみに一回目に徐福が上陸した石見の五十猛海岸では その後 和名を「火明かり(ほあかり)」と名乗っている。
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ということで 出雲王家のゆかりの地、今回の上毛野国、下野の国の訪問を終える事にした。
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ちなみにその後榛名神社へ行ってみた。しかしもうすっかりこの地の神社に興味をなくしているので
さっと素通りしただけだ。
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神社というより お寺の裁ち物だ。それもそのはず明治政府の無教養な田舎侍が 分けの分からん
神仏分離令をだすまで この寺は山岳修験や神仏習合のお寺だったのだから。
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これも後で造ったらしい者で無理やり神様が作り上げられている。
徐福の和名の火明かり(ほあかり)に似た名前の神さんだ。
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と言うことで赤城神社は面白かったが 榛名神社はつまらん無駄でした。
古代出雲トップページへはここから戻れます。
http://yochanh.sakura.ne.jp/kodaiizumo/index.html
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上州日光の古代出雲ゆかりの地を尋ねて その1 日光白根山 二荒山神社、日光二荒山神社

2019-11-08 09:29:03 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
日光上州の出雲王家ゆかりの地を尋ねて 2015年9月13~15日
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日光上州の各地に残る 古代出雲王家ゆかりの地を訪ね歩いた。
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日光白根山 二荒山神社
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日光白根山への登山口の一つ、丸沼高原ロープウエーの山頂駅を降りてしばらく歩くと
日光白根山二荒山神社がある。
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標高1900メートルの高地で鳥居を潜る。
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大己貴乃命(おおなむちのみこと)を祀っていると書いてある。

大己貴とは 古代出雲王家の主王の役職名「大名持ち」の事である。紀元前2世紀末に秦国から渡来した
徐福やその手下穂日(今の出雲大社宮司の祖先)たちに幽閉殺害された 主王大名持ちの八千矛王と
副王(役職名は少彦)の八重波津身(記紀では事代主と書き直された)は徐福の子孫の物部王朝はじめ大和王朝に
その大国主と事代主の祟りを恐れられて全国に「大国主」(八千矛王)、「事代主」(八重波津身副王)として祀られた。

上州(上毛野国)はイクメ大王に大和を追い出された豊来入彦(記紀では豊鍬入彦)が
最終的に 落ち着いた場所として知られている。豊来入彦は 宇佐王家豊玉姫とイ二エ王(記紀では崇神)
の長男なので、ご両親共に出雲王家の血を引くお方である。

神社の由来書には 日光二荒山神社より勧請したとしてある。
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標高2580メートルの白根山山頂にも二荒山神社奥宮があった。青空が突然黒い雲に覆われて噴出した突風の中で
お参りした。
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日光二荒山神社
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中禅寺湖に面した神社の駐車場から この石段を登っていく。
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立派な神門を潜る。
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長い廊下を進んで 拝殿に向う。
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これが本殿だ。一風変わっていて、なにかおかしい。
まず神社建築特有の「千木鰹木」が無い。そして出雲の王を祀るにしては 大社造りとは縁遠い造りだ。

つまり古代出雲王家の関係者が建てたものではないことが分かる。
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神社の由緒書きを見て驚いた。八千矛王とその皇后、皇子を祀っているのは分かるが
皇后の名前が間違っているのだ。田心姫(たごりひめ)と書いてある。

古代出雲王家第六代の主王 臣津野(おみつぬ)の皇子吾田片隅(あたかたす)が九州宇佐の地に移住して
宗像家を起こした。彼には三人の姫君が居て 俗に言う「宗像三姉妹」だ。

一姫が田心姫で古代出雲王家第七代主王(大名持ち)の天の冬衣
に嫁がれた。そして八重波津身(事代主、いわゆる恵比寿さん)や、徐福に嫁いだ高照姫をお生みになった。

二姫が多岐津姫(たぎつひめ)で今の出雲市田儀町に住まわれた。そして第八代主王の八千矛王(大国主と記紀で書かれた)
の皇后となられたのである。そして味鋤高彦や美良姫(八重波津身の皇子奇日方に嫁がれる)を
お生みになったのであり、大国主のお妃は決して田心姫ではないのである。

そして和国に二度目の渡来時に築紫で「饒速日(にぎはやひ)」と名乗った秦国人徐福に嫁がれたのが
宗像三姉妹の末姫であの有名な「市杵島姫 」なのである。
そして彼女がお生みになった穂穂出見が九州物部家をおこすのである。

つまり 日光二荒山神社の御祭神は 八千矛王(大国主)、多岐津姫、そして皇子の味鋤高彦の三柱とすべきなのである。
残念な事に主祭神 を間違えている。出雲族と関係の無い奴らが あとでとってつけたようにこの神社を作ったのが
バレバレである。
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境内には 恵比寿さん つまり八重波津身も祀ってある。
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境内には 黄金の龍が置いてあり、これまたびっくりした。

古代出雲王国では クナト三神(クナト大神、佐毘売の命、それと皇子神のサルタ彦)であるが
竜蛇神信仰も盛んであったという。

松江市内の古い神社には 今でも藁で編んだ龍が ご神木に巻きつけてある。また山代の国へ移住した出雲王家
が建てた 上賀茂神社(古代出雲では神の事をカモと発音したので、大和葛城地方へ移住した奇日方などは
カモ家、カモ族と呼ばれた)境内の砂の三角錐は この龍がトグロを巻いた姿だといわれる。

ちなみにこの神社の龍と赤城山の大きなムカデが戦場ヶ原で戦ったという民話は この地に移住して来た
出雲族(豊来入彦や大彦たち)と 土着の豪族との戦いの話だろう。
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男体山は 日光二荒山神社のご神体である。神社へ手続きをして山頂へ登拝刷ると 標高約2400m
の山頂に 奥宮がある。
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奥宮には 剣を持った大国主ー八千矛王がいらっしゃる。堂々とした風貌で威厳がある。
旧古代出雲王国国民としては、うれしい限りである。
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古代出雲王朝ゆかりの地 その2 赤城神社と榛名神社へ続く
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7.尾瀬、日光、上州の山旅で見た風景 その2  2015年9月12日~15日

2019-11-05 10:34:45 | 尾瀬日光、上州の山旅
7.尾瀬、日光、上州の山旅で見かけた風景 2
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日光
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雲のたなびく中禅寺湖、ここは標高が1200mあるので、高原気候だ。平地が晴れていてもここは
雲に覆われることもあるだろう。
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戦場ヶ原の展望デッキからは 湿原地帯が見渡せるが、湿地帯の中へは入れない。
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見渡す限りの湿地帯(というより、草原にしか見えない)が広がる。

戦場ヶ原とは 戦国時代の合戦場と思い込んでいたが、違うようだ。
男体山の大蛇と赤木山の大ムカデがこの地で死闘を繰り広げたという神話に基づくものらしい。

当麻のケハヤとノミの宿祢の相撲話のような ばかばかしい作り話の類だろう。
関東地方はほとんど出雲系豪族により開拓されてきた。
それと土着の豪族との争いの話だろう。
※詳しくは別ブログ「古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて」で取り上げようと思います。
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こちらは湯の湖の湯滝レストハウスへ向かう遊歩道だ。
たくさんの中学生が歩いていった。
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湯の湖から眺める「日光白根山」の頂は 雲に巻かれたままだった。
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湯の湖も先ほどの中禅寺湖と同じく 雲が流れていた。
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赤城山
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赤城山ふもとの大沼の大洞地区は旅館お土産物やが立ち並ぶ一角だ。
この町の中に「国定忠治」の記念碑が建っている。
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大洞地区の大沼にはボートが並べられて、観光客を待っている。
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大沼の向こうには 雲が途切れたときに地蔵岳が見えた。
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大沼の湖岸からこの赤い橋を渡れば「赤城神社」だ。立派な神社だった。
この神社の由来に着いても「古代伊豆も王朝ゆかりの地を訪ねて」に載せます。
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大沼の端の覚満淵も湿地帯で有名らしい。大きな沼の周りの遊歩道をたくさんの人が歩いていた。
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榛名山
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榛名山の足元には榛名湖が広がる。高原の美しい湖だ。
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湖に面して榛名山のふもとは榛名湖公園となっていて、観光施設があり観光客を待っている。
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馬に乗り 公園をぐるっと一周する観光施設もあり、みなさん楽しそうだ。
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榛名湖には観光用のレジャーボートもたくさんあるがこちらは暇そうだった。
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榛名山と反対側の榛名湖湖畔には宿屋、土産物屋が並んでいるが 閑散としていて寂しい雰囲気だった。
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次は 「日光上州の 古代出雲王家ゆかりの地を訪ねて」
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7.尾瀬、日光、上州の山旅で見た風景 その1  2015年9月12日~15日

2019-11-02 09:57:37 | 尾瀬日光、上州の山旅
7.尾瀬、日光、上州の山旅で見かけた風景 1
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尾瀬
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今回の山旅の基地となった「尾瀬高原ホテル」の玄関風景。
「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空」と垂れ幕が玄関に張ってある。
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大量の山関係の服や装備やパソコンなどを置きっぱなしにした部屋。
部屋にはバストイレ、洗面質が付いていて、料金は11000円。民宿でも8500円はするので、
値段の割には非常によいホテルだった。それと無線ランはホテルロビーのみで使用できるのだが
私の部屋はロビーの近くだったので 部屋でも無線ランが使えてよかった。

それとこのホテルのよいところは 朝食は普通どこでも朝7時だが、ここは朝五時45分
から食べられるので 山歩きにはとても助かった。六時半には出発できるので 行動範囲がぐっと広がった。
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尾瀬への南からの玄関口 鳩待峠。
鳩待峠には食堂や山小屋、山岳救助隊のベースなどがあり、とてもにぎわっていた。

このほか尾瀬へは北東から沼山峠、北からは御池
から燧ケ岳超えにも尾瀬へ入れる。しかし当初計画では 御池に泊まり燧ケ岳超えで
尾瀬に入り、沼山峠へ出てバスで御池に帰る計画だった。
しかし直前の豪雨で 受戒ラインが崩れ御池へは直接入れず、沼山峠へのバスも林道崩壊で運休、さらに
燧ケ岳から尾瀬沼ビジターセンターへの山道も閉鎖という事で 鳩待峠から尾瀬へ入った。
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尾瀬の湿原地帯の沼には 羊草の白い花があちこちで 満開だった。
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尾瀬の散策を楽しむイタリアからのカップル。とても楽しそうだった。
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逆さ燧ケ岳にはなりませんでした。風邪が拭いていて漣が立ちきれいに映りませんでした。
あのテッペンに熊が生息しているなんて。
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尾瀬から見た至仏山。あの山からこちらへ下りてきたかったのですが こちら側の道は登りの一方通行だそうです。
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日光白根山
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日光白根山への玄関口のひとつ「丸沼高原ロープウエー」山頂駅を降りると 自然散策路が整備されていた。
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全部回ると二時間程度のコースらしい。冬のスノーシュートレッキングも盛んらしく、
コースのあちこちに頭上三メートルくらいのところに案内標識があちこちにかけてあった。
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自然観察散策路にはあちこちに 植物の説明看板があり、季節の花の名前をいろいろ教えてくれる。
しかし肝心の「白根アオイ」は書いてありませんでした。それが有名なのに。
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白根山の五色沼。きれいですねえ。吾妻山の魔女の瞳、蔵王の御釜と同じくらいきれいです。
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白根山から中禅寺湖と男体山。意外と近いですね。
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白根山の五色沼から白根山を顧みたところです。
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尾瀬、日光、上州の山旅で見た風景 その2へ続く
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