アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

上州日光の古代出雲ゆかりの地を尋ねて その1 日光白根山 二荒山神社、日光二荒山神社

2019-11-08 09:29:03 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
日光上州の出雲王家ゆかりの地を尋ねて 2015年9月13~15日
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日光上州の各地に残る 古代出雲王家ゆかりの地を訪ね歩いた。
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日光白根山 二荒山神社
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日光白根山への登山口の一つ、丸沼高原ロープウエーの山頂駅を降りてしばらく歩くと
日光白根山二荒山神社がある。
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標高1900メートルの高地で鳥居を潜る。
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大己貴乃命(おおなむちのみこと)を祀っていると書いてある。

大己貴とは 古代出雲王家の主王の役職名「大名持ち」の事である。紀元前2世紀末に秦国から渡来した
徐福やその手下穂日(今の出雲大社宮司の祖先)たちに幽閉殺害された 主王大名持ちの八千矛王と
副王(役職名は少彦)の八重波津身(記紀では事代主と書き直された)は徐福の子孫の物部王朝はじめ大和王朝に
その大国主と事代主の祟りを恐れられて全国に「大国主」(八千矛王)、「事代主」(八重波津身副王)として祀られた。

上州(上毛野国)はイクメ大王に大和を追い出された豊来入彦(記紀では豊鍬入彦)が
最終的に 落ち着いた場所として知られている。豊来入彦は 宇佐王家豊玉姫とイ二エ王(記紀では崇神)
の長男なので、ご両親共に出雲王家の血を引くお方である。

神社の由来書には 日光二荒山神社より勧請したとしてある。
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標高2580メートルの白根山山頂にも二荒山神社奥宮があった。青空が突然黒い雲に覆われて噴出した突風の中で
お参りした。
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日光二荒山神社
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中禅寺湖に面した神社の駐車場から この石段を登っていく。
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立派な神門を潜る。
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長い廊下を進んで 拝殿に向う。
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これが本殿だ。一風変わっていて、なにかおかしい。
まず神社建築特有の「千木鰹木」が無い。そして出雲の王を祀るにしては 大社造りとは縁遠い造りだ。

つまり古代出雲王家の関係者が建てたものではないことが分かる。
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神社の由緒書きを見て驚いた。八千矛王とその皇后、皇子を祀っているのは分かるが
皇后の名前が間違っているのだ。田心姫(たごりひめ)と書いてある。

古代出雲王家第六代の主王 臣津野(おみつぬ)の皇子吾田片隅(あたかたす)が九州宇佐の地に移住して
宗像家を起こした。彼には三人の姫君が居て 俗に言う「宗像三姉妹」だ。

一姫が田心姫で古代出雲王家第七代主王(大名持ち)の天の冬衣
に嫁がれた。そして八重波津身(事代主、いわゆる恵比寿さん)や、徐福に嫁いだ高照姫をお生みになった。

二姫が多岐津姫(たぎつひめ)で今の出雲市田儀町に住まわれた。そして第八代主王の八千矛王(大国主と記紀で書かれた)
の皇后となられたのである。そして味鋤高彦や美良姫(八重波津身の皇子奇日方に嫁がれる)を
お生みになったのであり、大国主のお妃は決して田心姫ではないのである。

そして和国に二度目の渡来時に築紫で「饒速日(にぎはやひ)」と名乗った秦国人徐福に嫁がれたのが
宗像三姉妹の末姫であの有名な「市杵島姫 」なのである。
そして彼女がお生みになった穂穂出見が九州物部家をおこすのである。

つまり 日光二荒山神社の御祭神は 八千矛王(大国主)、多岐津姫、そして皇子の味鋤高彦の三柱とすべきなのである。
残念な事に主祭神 を間違えている。出雲族と関係の無い奴らが あとでとってつけたようにこの神社を作ったのが
バレバレである。
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境内には 恵比寿さん つまり八重波津身も祀ってある。
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境内には 黄金の龍が置いてあり、これまたびっくりした。

古代出雲王国では クナト三神(クナト大神、佐毘売の命、それと皇子神のサルタ彦)であるが
竜蛇神信仰も盛んであったという。

松江市内の古い神社には 今でも藁で編んだ龍が ご神木に巻きつけてある。また山代の国へ移住した出雲王家
が建てた 上賀茂神社(古代出雲では神の事をカモと発音したので、大和葛城地方へ移住した奇日方などは
カモ家、カモ族と呼ばれた)境内の砂の三角錐は この龍がトグロを巻いた姿だといわれる。

ちなみにこの神社の龍と赤城山の大きなムカデが戦場ヶ原で戦ったという民話は この地に移住して来た
出雲族(豊来入彦や大彦たち)と 土着の豪族との戦いの話だろう。
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男体山は 日光二荒山神社のご神体である。神社へ手続きをして山頂へ登拝刷ると 標高約2400m
の山頂に 奥宮がある。
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奥宮には 剣を持った大国主ー八千矛王がいらっしゃる。堂々とした風貌で威厳がある。
旧古代出雲王国国民としては、うれしい限りである。
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古代出雲王朝ゆかりの地 その2 赤城神社と榛名神社へ続く
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コメント
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