菅原天満宮と野見の宿祢の御陵を訪ねた記録に 朝鮮からの渡来人卑ボコの説明を追加しました。
また菅原家の祖先 出雲系の土師家の説明も追加しました。 2021.2.10
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菅原天満宮 その1
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九州物部王家の東征で、イクメ王より一足先に日本海を北上し、出雲王国の田和山神殿を破壊したあと
魏から貰い受けた八本の錦の御旗(八幡の語源となる)をかざして大和入りした田道間守(たじまもりー朝鮮渡来人
ヒボコの子孫)は、自分がヤマトの王のように振舞う。
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それもそのはずで、田道間守もイクメ王も魏に別々に朝献に行き(第二のヒミコ豊玉姫の使者として)
それぞれが魏の官位「中朗将」を授かっているので 田道間守からすると イクメ王は自分と同格と
思っていた。
吉備王国の討伐に手を焼き、大和に遅れてやってきたイクメ王は 自分の命令に従わぬ田道間守に手を焼き、
自分が倒したはずの「旧出雲王家」に出雲進駐軍司令官 秋上十千根を通じて ヤマトに出兵して
田道間守を撃つように 助けを求める。
物部王家に倒された出雲王家の内 東出雲王家の富家(とびけ)は名前を向家に替えていた。イクメ王から
秋上十千根(このころは秋上家を名乗っているが もともとは 物部の十千根)を通じて出兵を要請された
向家当主の太田彦は 出雲王家を滅ぼした物部王家が憎かった。
しかし出雲王家の神聖な田和山神殿を破壊した朝鮮系の 田道間守はもっと憎かった。
そこで向家当主の太田彦は 名前を富(とび)の名前を野見(のみ)と変えて 野見太田彦として 神聖な田和山神殿を
破壊した 渡来朝鮮人卑ボコの子孫の田道間守に復習する為に この助けを聞き入れて 出雲兵を
引き連れてヤマトへ進軍し、見事に田道間守を打ち破る。
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この戦争が 記紀では当麻蹶速(たいまのけはや ※田道間守が領地にして君臨していた場所「奈良県御所市当麻町」は
タジマの名前が訛りタイマと呼ばれて当麻の字が当てられた)と野見の宿祢(田道間守の敗走に喜んだイクメ王は
野見太田彦に物部王家の重鎮の称号である「宿祢(すくね)」を与えて太田彦は野見宿祢と呼ばれた) の
相撲勝負のおとぎ話に替えられてから、後世にはこれが大相撲の起源とされてしまった。
記紀の作り話も恐ろしいことに発展したものである。
記紀は物部王家のイクメ王が 出雲族の助けを借りて ヤマトの平定をしたことをひたすら隠すために
戦争を力比べの相撲話にすりかえたのである。
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ヤマトに住み着いた 野見の宿禰 の子孫の出雲族は 古墳築造技術に優れていて イクメ王皇后のヒバス姫の
御陵を築き、その後土師氏(はじし)と呼ばれ 土師家を名乗る。
※イクメ王とヒバス姫の姫皇女の大和姫は 信仰心厚く 太陽の女神を奉じて伊勢へ行き 伊勢の豪族
伊雑の宮の社家 井沢富彦の保護のもと 五十鈴川のほとりに内宮を建てて太陽の女神を祀った。
これが初代の斎王である。ちなみに 井沢富彦は登美家出身である。
大和姫の死後 遺体は大和に運ばれて出雲系の賀茂家当主 賀茂田太彦(かもたたひこ 土師家から養子入り)
らにより古墳が作られて人々は 土師氏が作ったから 土師墓(はじはか)と呼んだが 記紀は
箸墓と名前を変えて箸墓古墳と名前を作り替えた。さらに嘘は嘘を呼び 大和姫は箸で陰部を突いて
亡くなったというわけのわからん作り話をこさえた上に 宮内庁はその嘘のさらに上乗せをして
「大和、ととびモモソ姫」御陵なんて大和姫とモモソ姫という100年以上時代の違う二人のヒミコ
「1番目と5番目のヒミコ」を合体させたお墓を作ってしまい すましている。恐れ多いことだ。
※2015年1月19日の記事にのせています。
そしてその土師家の子孫からは学問の家系の菅原家や大江家(平安時代の歌人大江匡房やその子孫軍学者 大江時親)が
生まれたと言う。ちなみに大江家が毛利元就の祖先とされている。
※田和山神殿跡については 2014年6月16日のこのブログの記事に載せています。
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来待町「菅原」の地名がのこるこのあたりは山の中だ。
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この鳥居を潜ると菅原天満宮の参道だ。
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長い石段をゆっくり登っていく。
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石段を登ると正面に拝殿がある。
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拝殿も立派な建物だ。松江藩の保護を受け続けていただけはある。
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その2へ続く
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