甲斐の国を訪ねて その2 笛吹市 一宮浅間神社 その2
―ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
境内の大きな銀杏の木は 黄色く輝いていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
神社の由緒を読むと 主祭神は 此花咲くや比賣だと書いてあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
阿多津姫は短命で イクメ王子を生んだ後に亡くなります。
イニエ王はその後豊王国から 月神を祀り人気のあった宇佐豊玉姫を妃として迎え
ここに物部豊連合王国が誕生します。
イニエ王は 宇佐豊玉姫の姫巫女としての人気を味方にして 大和入りしようと
計画したのです。
しかし記紀の神話に書かれた通り イニエ王も短命に終わります。
その後の豊玉姫と生目王子の活躍は このブログに書いた通りです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということで浅間神社でなぜ 此花咲くや姫が主祭神としてまつられるように
なったのでしょうか。
神話では此花咲くや姫は邇邇芸命との一夜の契りで妊娠したとされています。
たった一夜で 妊娠したことに疑いを持つ邇邇芸命に対し 此花咲くや姫は
「天津神の御子なら焼け死ぬことは無いでしよう」と言い 産屋に篭り火を放った
という。燃え盛る産屋の中で 無事生まれたのが 海彦、山彦ともうひと柱の
三人です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
燃え盛る火の中で出産したということで、たびたび荒れ狂う富士山を鎮めるべく
火の神として 浅間神社の大神として祀られたのでしょうか。
また いつのころから浅間神社の主祭神とされたのか 色々調べましたが
詳細は分かりませんでした。
此花咲くや姫の御子が山彦で 山彦(ホホデミ)と乙姫(豊玉姫)の御子が
鵜萱葺き合えず(ウガヤフキアエズ)でその御子が神武。
これらの神話の作者、太安万侶たちは 史実と実在の人物を熟知したうえで
ストーリーの組み立てをしたとしか思えませんね。
ー------------------------------
邇邇芸命(ににぎのみこと)という名前は 饒速日(にぎはやひ)と似ていますね。
また神話には 火明り(ほあかり)という御子も登場します。
紀元前三世紀末に 石見の国五十猛海岸に上陸した徐福は 和名を火明り
(ほあかり)と名乗ります。またいったん秦へ帰国して徐福は皇帝から
さらなる資金と海童たちをもらい 二度目に佐賀の浮杯(ぶばい)に上陸します。
その時は 饒速日(にぎはやひ)と名乗ります。記紀の執筆者の太安万侶は
そのあたりのことをよく知っていたから そんな名前を作ったのだと思います。
饒速日(にぎはやひ)と宗像三姉妹の末娘、市杵島姫(いちきしまひめ)との間の御子
が ホホデミなのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
初代ヤマト大王「天の村雲」は磯城家のタタラ五十鈴姫(事代主と活玉依り姫の
姫)と結婚し、その皇子「沼川耳(ぬなかわみみ)(のちの贈り名を綏靖すいぜ
い)」が二代目大王となります。
沼川耳はタタラ五十鈴姫の妹「五十鈴依り姫」と結婚し玉手看(たまてみ)と
八井耳の皇子が生まれます。
王位を継いだのは 弟の玉手看(たまてみ)(のちの贈り名を安寧あんねい)で
八井耳は「多臣家(おおのおみけ)」の始祖となり、その家系が連綿と続き記紀
製作者の太安万侶は 多家(おおけ)の子孫です。
つまり太安万侶は出雲王家の子孫でもあるのです。もともと臣は出雲王族を現す
家系です。
だから太安万侶はそのあたりの史実をよく知っていたのだと思います。
※多神社(おおじんじゃ)の訪探記は2015年12月26日の記事に載せています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
終わり
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー