夕陽を拝む 日御碕神社 その1
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日御碕神社は 出雲大社の北、島根半島の西端にあります。
その地は 日本海に沈む夕陽を拝むのに適した場所です。
この地に夕陽を拝む「日御碕神社」を建てたのは 日置王です。
日置王は上の宮法王(いわゆる聖徳太子)の皇子です。
このあたりの事情は後ほど詳しく説明します。
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出雲市から県道を車で走ると やがて山間に神社の建物群がみえてきます。
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大きな石の鳥居をくぐります。
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いきなり主祭神が大きく書かれた看板がお出迎えです。
天照大神は太陽の女神で 古代出雲王家の「佐比賣の命」が大和王朝でアマテラスと書き換えられたもので
太陽の女神を祀るのはわかるのですが なぜ素戔嗚つまり徐福なのでしょうか。
徐福が紀元前3世紀末に五十猛海岸へやってきて 出雲王家の主王ほ八千矛や副王八重波津身を
あいついで幽閉殺害して、自分が出雲王国の王になろうとして、街道たちを出雲国内で
大暴れさせた大事件はまだこのころ(推古帝)は都の貴族たちも記憶していたと思いますが。
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説明看板によれば この神社全体が 徳川幕府により 全面的に建て替えられていて
その時に主祭神が替えられたか 追加されたかしたのではないでしょうか。
この地方を支配していた 尼子氏が毛利に敗れ、毛利が秀吉に下りさらに徳川になった初めのころ
ですから もうこの地でも徐福の悪行に対する嫌悪感がかなりうすれていたのでしょう。
徐福を祀ることで 喜ぶのは出雲大社の宮司の家系だけですから。
だって出雲大社宮司は矛卑(ほひー徐福の忠実な部下で徐福とともに出雲国内で暴れた)の子孫ですから。
ちなみに全国の天皇陵なるものも 今の姿が初めからあったわけではなく、徳川後期の公武合体以後
徳川が巨額の費用を出して ほとんどの天皇陵を作り替えています。
ついでに実在しない天皇の陵を造ったりやりたい放題ですが。
※架空の大王や皇子の神武、ヤマトタケルの陵、九州から出たことのないイニエ王(崇神)の陵
モモソ姫と大和姫という時代の全く違う二人の姫皇女(いわゆるヒミコ)をくっつけて一つの陵としたり。
なんのこっちゃといいたいですね。
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立派な神門です。
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神門をくぐり境内に入ります。
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正面が「日沈みの宮」です。アマテラスが祀られていますが 朝日の方向を向いています。
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拝殿です。なんかきらびやかですね。
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内部もきらびやかです。
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こちらは本殿を真横から見たところです。境内はすべて「権現造り」なので、本殿も
大社造りとは似ても似つかない建物になっています。左の拝殿との間に別の建物が挟まれています。
「石の間」と呼ぶ建物でしょうか。
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こちらは神の宮で、夕日の沈む方向を向いて建てられています。
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神の宮拝殿です。
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拝殿内部で先ほどの 日沈みの宮の拝殿と似ています。
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左が本殿で右の拝殿より少し大きいようです。
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神の宮から日沈みの宮を見ると ちょうどその奥に夕陽が見えました。
ということで これらの建物はすべて権現造りと呼ばれる建物で 徳川幕府が日光東照宮を作った
大工たちを連れてきて 造営したものでしょう。
私個人的には 出雲の風土になじまないなあと思いました。それに素戔嗚を主祭神とするのは
徐福の子孫で秦国人の末裔たちで、京都の松尾大社、八坂神社などがそうです。
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境内の裏にひっそりと小さな祠があるので近づくと「韓国(からくに)神社」と書いてありました。
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祭神は素戔嗚つまり徐福は当たり前ですが ここには徐福に嫁入りした出雲王家第七代主王
「天の冬衣」の姫皇女が生んだ徐福の長男「五十猛(いそたけーのちの香語山)」も祀られていました。
神社の由緒書きに この神社の宮司の遠祖が「天の冬衣」だと書かれていたのですが ありえませんね。
出雲王家の主王副王を同時に殺害して 自分が王になろうとした奴を出雲王家の子孫が
祀るなんてありえないことですから。有名な天の冬衣王を自分の祖先だと偽って箔をつけたかった
のでしょう。
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日御碕神社 その2へ続く
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